『枕草子』の現代語訳:78

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清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『などて、官得はじめたる六位の笏に、職の御曹司の辰巳の隅の築土の板はせしぞ~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

129段

などて、官(つかさ)得はじめたる六位の笏(しゃく)に、職の御曹司(しきのおんぞうし)の辰巳(たつみ)の隅の築土(ついひじ)の板はせしぞ。さらば、西、東のをもせよかし」などいふことを言ひ出でて、あぢきなきことどもを、「衣(きぬ)などに、すずろなる名どもをつけけむ、いとあやし。衣の中に細長は、さも言ひつべし。なぞ、汗衫(かざみ)は、尻長(しりなが)と言へかし。男の童(わらは)の着たるやうに」

「なぞ、唐衣(からぎぬ)は、短衣(みじかぎぬ)と言へかし」「されどそれは、唐土(もろこし)の人の着る物なれば」「袍(うえのきぬ)、うへの袴は、さも言ふべし。下襲(したがさね)、よし。大口、また、長さよりは口広ければ、さもありなむ」「袴、いとあぢきなし。指貫(さしぬき)は、なぞ、足の衣(きぬ)とこそ言ふべけれ。もしは、さやうの物をば、袋と言へかし」など、萬(よろづ)のことを言ひののしるを、「いで、あなかしまし。今は言はじ。寝給ひね」と言ふ答へ(いらえ)に、夜居の僧の、「いとわろからむ。夜一夜(よひとよ)こそ、なほ、のたまはめ」と、にくしと思ひたりし声様(こわざま)にて言ひたりしこそ、をかしかりしに添へて、驚かれにしか。

[現代語訳]

129段

「どうして、官位を得たばかりの六位の笏を作るのに、職の御曹司の東南の隅の築土塀(ついじべい)の板を使ったのでしょうか。それならば、西や東の板を使ったら良いのに」などといったことを言い出して、面白くもないものについて、「着物などに、味気ない名前をつけたのは、とても変である。着物の中で細長というのは、そう言ってもいいでしょう。どうして、汗衫(かざみ)というのか、尻長(しりなが)というべきでしょう。小さな男の子が着ているもののように」

「どうして、唐衣(からぎぬ)というのか、短衣(みじかぎぬ)と言えばいいのに」「しかしそれは、唐土(もろこし)の国の人が着るものだからいいのでは」「袍(うえのきぬ)や上の袴は、そう言うべきでしょう。下襲(したがさね)、これも良いでしょう。大口、これも長さに比べて口が広いから、こう言ってもいいでしょう」「袴という名前は、全く面白くない。指貫(さしぬき)はどうしてそういうのか、足の衣と言ったほうがいいのに。もしくはそういった物は、まとめて袋と言うべきです」など、色々なことを言い合って罵っているので、清少納言が「あぁ、うるさい。もう今は言わないでいいわ。寝ましょう」と答えて言ったら、夜居の僧侶が、「話をやめるのはダメじゃ。夜通しで、更にもっと語り合いなさい」と、憎たらしく思っている声の調子で言ったのが、おかしいという事に加えて驚かされてしまった。

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[古文・原文]

130段

故殿(ことの)の御ために、月ごとの十日、経、仏など供養せさせ給ひしを、九月十日、職の御曹司にて、せさせ給ふ。上達部(かんだちめ)、殿上人(てんじょうびと)、いと多かり。清範(せいはん)、講師(こうじ)にて説くこと、はた、いと悲しければ、殊に物のあはれ深かるまじき若き人々、皆泣くめり。

果てて、酒飲み、詩誦(ず)じなどするに、頭の中将(とうのちゅうじょう)斉信(ただのぶ)の君の、「月、秋と期して、身いづくか」といふことを、うち出だし給へりし、はた、いみじうめでたし。いかでさは思ひいで給ひけむ。

おはします所に分け参るほどに、立ち出でさせ給ひて、「めでたしな。いみじう、今日の料に言ひたりけることにこそあれ」と、のたまはすれば、「それ啓し(けいし)にとて、物見さして参り侍りつるなり。なほいとめでたくこそ、おぼえはべりつれ」と啓すれば、「まいて、さ覚ゆらむかし」と、仰せらる。

[現代語訳]

130段

亡くなった道隆様の追悼のため、中宮様は毎月10日、お経や仏像などを供養なさっていたが、9月10日に職の御曹司で、追悼を執り行わさせた。上達部や殿上人たちが、非常に多く参列した。清範(せいはん)が講師として説いたことが、あぁ、とても悲しい内容だったので、特別に諸行無常の真理とは縁が深いわけでもない若い女房たちも、みんなで泣いてしまった。

供養も終わって、お酒を飲み、詩などを吟じている時に、頭の中将の斉信(ただのぶ)の君が、「月、秋と期して、身いづくか(月は秋に最も美しく輝くが、その月を詠んだ人の身はどこにあるのか)」という歌を吟じなさったことが、非常に素晴らしかった。どうしてそのような素敵な歌を思い出されたのだろうか。

中宮様がいらっしゃる所に女房たちを掻き分けて参上すると、中宮様が御座所から立ち上がっていらっしゃって、「素晴らしいですね。今日の仏事のために特別に詠んで下さった歌なのでしょう」と、おっしゃるので、「それについて申し上げようと思いまして、見物もそうそうにしてここに参上したのです。私もやはりとても素晴らしい立派な歌だと思いました」と申し上げると、「貴女がそんなに評価するのであれば、更に歌の喜びが大きく感じられますね」とおっしゃられた。

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