『枕草子』の現代語訳:80

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『さて、「逢坂の歌は、へされて返しもえせずなりにき。いとわろし~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

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参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

[古文・原文]

131段(終わり)

さて、「逢坂の歌は、へされて返しもえせずなりにき。いとわろし。さて、その文は、殿上人、皆見てしは」と、のたまへば、(清少納言)「まことにおぼしけりと、これにこそ知られぬれ。めでたきことなど、人の言ひ伝へぬは、かひなき業(わざ)ぞかし。また、見苦しきこと散るがわびしければ、御文はいみじう隠して、人につゆ見せ侍らず。御心ざしのほどをくらぶるに、ひとしくこそは」と言へば、(行成)「かく、物を思ひ知りて言ふが、なほ人には似ずおぼゆる。『思ひ隈(ぐま)なく、あしうしたり』など、例の女のやうにや言はむとこそ思ひつれ」など言ひて、笑ひ給ふ。

(清少納言)「こは、などて。よろこびをこそ聞えめ」など言ふ。(行成)「まろが文を隠し給ひける、また猶、あはれにうれしきことなりかし。いかに心憂く、つらからまし。今よりも、さを頼み聞えむ」など、のたまひて後に、経房の中将(つねふさのちゅうじょう)おはして、「頭の弁はいみじうほめたまふとは、知りたりや。一日の文に、ありし事など語り給ふ。思ふ人の、人にほめらるるは、いみじう嬉しき」など、まめまめしうのたまふも、をかし。

「うれしきこと二つにて。かのほめたまふなるに、また思ふ人の中(うち)に侍りけるをなむ」と言へば、(経房)「それ、珍しう、今の事のやうにもよろこび給ふかな」など、のたまふ。

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[現代語訳]

131段(終わり)

さて、「私の逢坂の歌には、貴女も気圧されてしまって返歌も上手くできませんでした。とても情けないことですね。さて、その手紙は殿上人がみんなで見てしまいましたよ」と、藤原行成がおっしゃるので、「本当に私のことを思っていて下さるのだと、これでよく分かりました。素晴らしい歌などが、人の間で評判にならないのは、甲斐のないことですものね。また、あなたの見苦しいお手紙の方は人に見られるのがつらいので、手紙はしっかりと隠していて、誰にも全く見せてございません。私たちの気持ちを比べると、同じようなものですね」と言うと、「そのように、物をよく知っているように語るのが、やはり他の人とは違う貴女らしさなのだと思います。『よく考えずに、悪いことをしてくれましたね』などと、普通の女のように怒って言うのかと思っていたのですがね」などと言ってお笑いになる。

「これは、どうしてそんなことを申すでしょうか。喜びの気持ちをお伝えしたいくらいです」などと言う。「私の手紙をお隠し下さったことも、またやはり、しみじみと嬉しく感じることですね。(人に見せていたら)どんなに気持ちがふさぎ込んで、つらかったことでしょうか。これからもそのような好意をお頼みしたいと思います」などとおっしゃってから、その後、経房の中将がいらっしゃって、「頭の弁が貴女のことをとても褒めていらっしゃることを知っていますか。先日の手紙に、この前のことなどを書いておられる。私の好きな人が、人に褒められているのは、とても嬉しいことだ」などと真面目におっしゃっているのも素敵です。

「嬉しいことが二つになりました。頭の弁(行成)が褒めてくださっているということに加えて、あなたが好きな人の中に私が入っていたということです」と言うと、「それをさも珍しいことであるかのように、まるで今初めて知ったかのようにして、(わざとらしく)喜びなさっているんですね」などとおっしゃる。

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[古文・原文]

132段

五月ばかり、月もなういと暗きに、(殿上人)「女房やさぶらひ給ふ」と声々して言へば、(宮)「出でて見よ。例ならず言ふは、誰(たれ)ぞとよ」と、仰せらるれば、(清少納言)「こは誰そ(たそ)。いとおどろおどろしう、きはやかなるは」と言ふ。ものは言はで御簾をもたげて、そよろとさし入るる、呉竹(くれたけ)なりけり。「おい、この君にこそ」と言ひたるを聞きて、(殿上人)「いざいざ、これまづ殿上に行きて語らむ」とて、式部卿の宮の源中将、六位どもなどありけるは、去ぬ(いぬ)。

頭の弁はとまりたまへり。(行成)「怪しくても去ぬる者どもかな。御前の竹を折りて、歌詠まむとしつるを、『同じくは職にまゐりて女房など呼び出できこえて』とて来つるに、呉竹の名をいと疾く(とく)言はれて去ぬるこそ、いとをかしけれ。誰が教へを聞きて、人のなべて知るべうもあらぬ事をば言ふぞ」など、のたまへば、(清少納言)「竹の名とも知らぬものを。なめしとや思しつらむ」と言へば、(行成)「まことに、そは知らじを」など、のたまふ。

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[現代語訳]

132段

五月の頃、月も出ていないとても暗い夜に、「女房たちよ、いらっしゃいますか」と殿上人たちが大勢の声で言うので、中宮様が「出て見なさい。いつもとは違ってうるさく言っているのは誰でしょうか」とおっしゃられるので、「誰でしょうか。。とても大げさで、目立っているうるさいお声の方は」と私(清少納言)が言った。何も物は言わずに、御簾を上げて、ガサガサと何かを差し入れてきた。呉竹であった。「ああ、この君でいらっしゃったのね」と言ったのを聞いて、「さあさあ、これをまず殿上の間にまで言って話そう」と言って、式部卿の宮の源中将、その他に六位の蔵人たちもいたが、帰っていった。

頭の弁(藤原行成)はその場にお留まりになられた。「怪しい感じで(返事もせずに)帰っていく者たちだな。お庭の竹を折って、歌を詠むつもりだったのだが、『同じなら職の御曹司に参上して女房たちなどをお呼び出しして』と言って来たのに、呉竹の名を素早く言われて去ったというのは、とても面白い。誰の教えを受けて、普通の人が知りようもないことを言っているのか」などとおっしゃるので、私が「竹の名というのも知らなかったのに。相手は失礼だとお思いにならなかったでしょうか」と言うと、行成は「本当に、それは知らなかったのでしょうね」などとおっしゃる。

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