『枕草子』の現代語訳:85

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来、騒がしうなりて~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

138段

殿などのおはしまさで後、世の中に事出で来(いでき)、騒がしうなりて、宮もまゐらせ給はず、小二条殿(こにじょうどの)といふ所におはしますに、何ともなく、うたてありしかば、久しう里に居たり。御前わたりのおぼつかなきにこそ、なほ、え絶えてあるまじかりける。

右中将(うちゅうじょう)おはして、物語し給ふ。「今日、宮にまゐりたりつれば、いみじう、物こそあはれなりつれ。女房の装束、裳(も)、唐衣(からぎぬ)、折にあひ、たゆまで侍ふかな。御簾のそばのあきたりつるより見入れつれば、八、九人ばかり、朽葉の唐衣、薄色の裳に、紫苑、萩など、をかしうて居並みたりつるかな。御前の草のいと茂きを、『などか。かき払はせてこそ』と言ひつれば、『ことさら露置かせて御覧ずとて』と、宰相の君の声にて答へ(いらえ)つるが、をかしうもおぼえつるかな。(女房)『御里居(おんさとい)、いと心憂し。かかる所に住ませ給はむほどは、いみじき事ありとも、必ず侍ふべき物に思し召されたるに、甲斐なく』と、あまた言ひつる。語り聞かせ奉れ、となめりかし。参りて見給へ。あはれなりつる所のさまかな。対(たい)の前に植ゑられたりける牡丹などのをかしきこと」など、のたまふ。(清少納言)「いさ、人のにくしと思ひたりしが、またにくくおぼえ侍りしかば」と、答へ聞ゆ。(右中将)「おいらかにも」とて、笑ひ給ふ。

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[現代語訳]

138段

殿(藤原道隆)がお亡くなりになって後、世の中に変化が起こってきて、情勢が騒がしくなり、中宮様も参内なさらず、小二条殿という所にいらっしゃる頃、私(清少納言)はどうという理由もないが、面白くない気分だったので、長く里に下がっていた。中宮様の周辺が落ち着かない心配な状態だったので、やはり、そのまま里にばかり引き下がってはいられなかった。

右中将がいらっしゃって、色々と雑談をされた。「今日、中宮の御所に参ったところ、とても寂しくされている悲しい様子でした。女房の衣裳も、裳や唐衣が季節に合っていて、きちんとした身なりで中宮にお仕えしていました。御簾の脇の開いているところから覗き見をすると、8~9人ほど、朽葉の唐衣、薄紫色の裳に、紫苑や萩など、色とりどりの綺麗な衣裳で並んで侍っていました。お庭の草がとても生い茂っているので、『どうしてこんなままにしているのですか。お刈り取りになられれば良いのに』と言うと、『わざと草に露を置かせて御覧になりたいと(中宮様がおっしゃっておられますので)』と、宰相の君の声で答えたのが、風情があるなと思われました。『あなたが里に下がっておられることが、とても悩ましいのです。このような所に住まなければならなくなる時には、どんなに大変なことがあっても、必ずあなたが側に仕えてくれるものと中宮様はお思いになられていたのに、その甲斐もありません』と大勢の女房たちが言いました。私からあなたにこういったことを語って聴かせて欲しいと、中宮様はお思いだったのでしょう。参って中宮様を御覧になられて下さい。しみじみとした物さみしい御所の様子ですよ。対の前に植えられていた牡丹などの風情のあること」などとおっしゃる。(清少納言)「さあ、どうしましょう。皆さんが私のことを憎たらしいと思っているので、また私のほうもあなた方を憎く思ってしまいましたので」とお答えして言った。右中将が「よくも言えたものだ」とお笑いになられる。

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[古文・原文]

138段(続き)

げにいかならむと、思ひまゐらする。御気色にはあらで、さぶらふ人たちなどの、「左の大殿方(ひだりのおおとのがた)の人、知る筋にてあり」とて、さし集ひ物など言ふも、下より参るを見ては、ふと言ひ止み、放ち出でたるけしきなるが、見ならはず、にくければ、「まゐれ」など、たびたびあるの仰せ言(おおせごと)をも過して、げに久しくなりにけるを、また、宮の辺には、ただあなた方に言ひなして、虚言(そらごと)なども出で来べし。

例ならず、仰せ事などもなくて日頃になれば、心細くて打ちながむる程に、長女(おさめ)、文を持て来たり。(長女)「御前より、宰相の君して、忍びて賜はせたりつる」と言ひて、ここにてさへ、ひき忍ぶるも、あまりなり。人づての仰せ書きにはあらぬなめりと、胸つぶれて、とくあけたれば、紙には、物も書かせ給はず、山吹の花びらただ一重を包ませたまへり。

それに、「言はで思ふぞ」と書かせ給へる、いみじう、日ごろの絶え間嘆かれつる、皆慰めて嬉しきに、長女も、打ちまもりて、「御前には、いかが、物のをりごとに思し出で聞えさせ給ふなるものを、誰も、怪しき御長居とこそ、侍るめれ。などかは参らせ給はぬ」と言ひて、「ここなる所に、あからさまにまかりて参らむ」と言ひて去ぬる後、御返事書きてまゐらせむとするに、この歌の本、更に忘れたり。

「いとあやし。同じ古事(ふること)といひながら、知らぬ人やはある。ただここもとにおぼえながら、言ひ出でられぬは、いかにぞや」など言ふを聞きて、小さき童の前に居たるが、「下行く水、とこそ申せ」と言ひたる。など、かく忘れつるならむ、これに教へらるるも、をかし。

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[現代語訳]

138段(続き)

本当にどうされているのだろうと、思い申し上げていた。中宮はそういったこちらの思いを知っているご様子もなくて、仕えている女房などが、「左大臣側の人で、知っている人がいる」と、みんなで集まって話している時でも、私が局から参上してくる姿を見ると、急にその話をやめて、私を仲間外れにする様子が、慣れないことで憎らしいので、中宮から「参上せよ」などと何度も仰せを受けているのだがそれに応えずに過ごして、本当に参上しないまま長い時が過ぎてしまったが、また中宮の周辺では、私が左大臣側についてしまったと話し合って、事実無根な噂話(うその話)まで出てきてしまった。

今までと違って、仰せの言葉(手紙)もなくて何日も経つので、心細い気持ちでぼんやりしていると、長女(おさめ)が手紙を持ってやって来た。「中宮様から宰相の君に命ぜられて、ひっそりと下されたお手紙です」と言って、ここに来てさえも、人目を忍んだ様子なのはあんまりなことである。人づてで書かせた手紙ではないのだろうと、胸がドキドキとして、急いで開けたところ、紙には何も書かれておらず、山吹の花びらただ一片をお包みになっておられる。

その花びらに「言わずに思っている」と書かれているのが、素晴らしいお心遣いで、何日間も手紙が絶えていた悲しみもすっかり慰められて嬉しい気分になり、長女もその様子を見守って、「中宮様には、どれほどか、何かの折ごとにあなた様のことを思い出しておられるそうでございますが、みんなもどうして長く里に下がったままなのかと不思議に思っておられます。どうして中宮様に参上なさらないのですか。」と言って、「近所に寄ってからまたこちらに伺いますから」と言って去った後、その間にご返事を書いておこうとしたところ、この歌の上の句を、すっかりと忘れてしまった。

「とても不思議なこともあるものだ。同じ古歌と言いながら、こんな有名な歌を知らない人がいるだろうか。もうここまで上の句が出てきているのに、口で言える形で出てこないのは、どういうことなのか」などと言うのを聞いて、小さい女の子の前に座っていたのが、「下行く水、と申しますよ」と言った。どうして、こんなにすっかり忘れてしまっていたのだろう、こんな子供に教えられるというのもおかしなことだ。

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