『枕草子』の現代語訳:97

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『昔おぼえて不用なるもの  繧繝縁の畳の、節出で来たる~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

158段

昔おぼえて不用なるもの

繧繝縁(うげんばし)の畳の、節(ふし)出で来たる。唐絵(からえ)の屏風の黒み、面(おもて)そこなはれたる。絵師の、目暗き。七、八尺の鬘(かづら)の赤くなりたる。葡萄染(えびぞめ)の織物、灰かへりたる。

色好みの老いくづほれたる。おもしろき家の、木立(こだち)焼け失せたる。池などは、さながらあれど、浮草、水草(うきくさ、みくさ)など茂りて。

159段

頼もしげなきもの

心短く、人忘れがちなる婿の、常に夜離れ(よがれ)する。そら言する人の、さすがに、人のこと、なし顔にて、大事うけたる。風早きに、帆かけたる舟。七、八十人ばかりなる人の、ここちあしうて日ごろになりたる。

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[現代語訳]

158段

昔は立派だったが、今はだめなもの。

繧繝縁(うげんばし)の畳で、節が出て擦り切れたもの。唐絵(からえ)の屏風が黒ずんで汚れ、表面が破れたもの。絵師で、目が見えなくなった人。七、八尺ほどの長い鬘(かつら)の毛で、赤くなったもの。葡萄染め(えびぞめ)の織物で、色褪せてしまったもの。

好色な人が老いぼれて、元気がなくなったこと。風流な家だったが、木立が焼け失せてしまったもの。池などはそのまま残っているけれど、浮草、水草などが水面を覆って茂っていて。

159段

頼りにならないもの

気持ちが続かなくて(飽きやすくて)、妻のことを忘れがちになる婿が、いつも夜にご無沙汰している。嘘つきな人が、それでも人の願い事を叶えてあげるという顔をして、大事なことを引き受けたこと。風が強いのに、帆を上げた舟。70~80人ほどの人が、病気になって何日も経っていること。

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[古文・原文]

160段

読経は、不断経(ふだんきょう)。

161段

近うて遠きもの

宮のべの祭。思はぬはらから、親族の仲。鞍馬のつづらをりといふ道。師走のつごもりの日、正月(むつき)の朔日(ついたち)の日のほど。

162段

遠くて近きもの

極楽。舟の道。人の仲。

163段

井(ゐ)は堀兼(ほりかね)の井。玉の井。走り井は、逢坂(あふさか)なるがをかしきなり。山の井、など、さしも浅きためしになりはじめけむ。飛鳥井(あすかゐ)は、「みもひも寒し」とほめたるこそ、をかしけれ。千貫(せんかん)の井。少将の井。桜井。后町(きさきまち)の井。

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[現代語訳]

160段

読経は、絶え間なく読み続ける不断経(ふだんきょう)。

161段

近くて遠いもの

宮のべの祭。情愛のない兄弟、親族の関係。鞍馬のつづらおり(九重折)という道。十二月の大晦日の日と、正月の一日の日との間の時間。

162段

遠くて近いもの

極楽。舟の道中。男女の仲。

163段

井は、堀兼(ほりかね)の井。玉の井。走り井は、逢坂の関にあるということが面白い。山の井、どうして、そのように心の浅い例に引かれるようになったのだろうか。飛鳥井は、「みもひも寒し」と、水の冷たさを褒めたのが面白い。千貫(せんかん)の井。少将の井。桜井。后町(きさきまち)の井。

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