『枕草子』の現代語訳:114

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『見物は臨時の祭。行幸。祭の帰さ。御賀茂詣で~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

208段

見物は臨時の祭。行幸(ぎょうこう)。祭の帰さ。御賀茂(おかも)詣で。賀茂の臨時の祭、空の曇り、寒げなるに、雪すこしうち散りて、挿頭(かざし)の花、青摺(あおずり)などにかかりたる、えも言はずをかし。太刀の鞘のきはやかに黒う、まだらにて、ひろう見えたるに、半臂(はんぴ)の緒の、やうしたるやうにかかりたる、地摺(じずり)の袴の中より、氷かと驚くばかりなる打ちめなど、すべていとめでたし。

今少し多く渡らせまほしきに、使(つかい)は必ずよき人ならず、受領(ずりょう)などなるは目もとまらずにくげなるも、藤の花に隠れたるほどは、をかし。なほ過ぎぬる方を見送るに、陪従(ばいじゅう)のしなおくれたる、柳に挿頭(かざし)の山吹、わりなく見ゆれど、泥障(あふり)いと高ううち鳴らして、「神の社のゆふだすき」と歌ひたるは、いとをかし。

行幸にならぶものは、何かはあらむ。御輿(みこし)に奉るを見たてまつるには、明暮(あけくれ)御前(おまえ)に侍ひつかうまつるともおぼえず、神々しくいつくしう、いみじう、常は何とも見えぬなにつかさ、姫まうち君さへぞ、やむごとなく珍しく覚ゆるや。御綱の助(みつなのすけ)の中少将、いとをかし。近衛の大将、ものよりことにめでたし。近衛司(このえづかさ)こそ、なほいとをかしけれ。

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[現代語訳]

208段

素晴らしい見物は、臨時の祭。行幸。祭の帰さ。御賀茂詣で。賀茂の臨時の祭、空が曇って、寒い感じであるのに、雪が少し舞っていて、挿頭(かざし)の花、舞人の青摺(あおずり)の衣などに雪がかかっているのは、何とも言えない情趣がある。舞人の太刀の鞘がくっきりと黒く、まだら模様で、末が広くなっているように見えたのに、半臂(はんぴ)の緒が、磨いたかのように艶々してかかっているのとか、地摺(じずり)の袴の中から、氷かと思って驚くほどに、砧(きぬた)で打った光沢が見えているのなど、すべてがとても素晴らしい。

もう少し大勢の人々に通ってもらいたいのだが、勅使(ちょくし)は必ずしも身分の高い人ではなく、受領などであったりするのは見栄えもせず憎たらしいが、挿頭(かざし)の藤の花に隠れたところは趣きがある。やはり人々の行列が通り過ぎてしまった方角を見送っていると、身分の低い陪従で品性のないものが、柳襲(やなぎがさね)に挿頭(かざし)の山吹では、釣り合わないように見えるけれど、乗馬の泥障(あおり,泥水)を音高く打ち鳴らして、「神の社のゆふだすき」と歌ったのは、とても面白い。

行幸に並ぶものなど、一体何があるだろうか。帝が御輿にお乗りになるのをお見上げ申し上げると、自分が普段から明け暮れ、御前にお仕えしているお方とは思われず、神々しくてご立派で、とても素晴らしく、いつもは何とも思わない何とかの司とか、姫もうつ君とかいうお供の女官まで、高貴な感じで目新しく珍しく思われるものだ。御綱の助(みつなのすけ)の中少将、とても素晴らしい。近衛の大将、誰よりも優れていて特別に素晴らしい。近衛府の人々は、やはりとても素敵なものである。

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[古文・原文]

208段(続き)

五月こそ、世に知らずなまめかしきものなりけれ。されど、この世に絶えにたることなめれば、いとくちをし。昔語りに人の言ふを聞き思ひあはするに、げにいかなりけむ。ただその日は、菖蒲(しょうぶ)うち葺き、世の常の有様だにめでたきをも、殿の有様、所々の御桟敷(おさじき)どもに菖蒲葺きわたし、よろづの人ども、菖蒲鬘(しょうぶかづら)して、菖蒲(あやめ)の蔵人、容貌(かたち)よき限り選りて出だされて、薬玉(くすだま)賜はすれば、拝して腰に付けなどしけむほど、いかなりけむ。

ゑいのすいゑうつりよきもなど打ちけむこそ、烏滸(おこ)にもをかしうもおぼゆれ。還らせたまふ御輿の先に、獅子、狛犬など舞ひ、あはれ、さることのあらむ、郭公(ほととぎす)うち鳴き、ころのほどさへ似るものなかりけむかし。

行幸は、めでたきものの、君達(きんだち)、車などの好ましう乗りこぼれて、上下(かみしも)走らせなどするがなきぞ、くちをしき。さやうなる車の、押し分けて立ちなどするこそ、心ときめきはすれ。

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[現代語訳]

208段(続き)

五月の節会(せちえ)は、世に比べるものがないほど優雅なものであった。しかし、既に絶えてしまい行われなくなってしまった行事なので、とても残念である。昔話で、人々の言うことを聞いてあれこれ考えてみると、本当にどんなに素晴らしかったのだろう。ただその日は、御殿の屋根に菖蒲(しょうぶ)を葺き、いつもの宮中の様子でも素晴らしいのに、武徳殿の様子は、所々の御桟敷にはずらりと菖蒲を葺きわたして、やってきた色々な人々は、菖蒲鬘(しょうぶかづら)を垂れ、菖蒲の蔵人(あやめのくろうど)は、容貌の美しいものだけが選び出されて、帝が薬玉を臣下にお与えになられると、拝してその薬玉を腰に付けたであろう景色は、どれほど素晴らしかっただろうか。

ゑいのすいゑうつりよきもなど(この部分の古語の意味は不明である)を打ったというが、滑稽にも面白くも思われる。帝がご帰還になられる御輿の先に、獅子や狛犬に扮した(ふんした)舞人が舞い、あぁ、そのような情景の中で、ほととぎすが鳴き、季節のことを考えても、似ているものさえない素晴らしさであったろう。

帝の行幸は素晴らしいものであるが、若殿たちが、車などを綺麗に飾って車から衣裳をこぼれ出して、道を行ったり来たりで走らせることがないのは、物足りない。そのような車が、人の車を押し分けて割り込んだりするのが、(どんな殿方が乗っておられるのだろうと)心ときめくことなのである。

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