『枕草子』の現代語訳:139

清少納言(康保3年頃(966年頃)~万寿2年頃(1025年頃))が平安時代中期に書いた『枕草子(まくらのそうし)』の古文と現代語訳(意訳)を掲載していきます。『枕草子』は中宮定子に仕えていた女房・清少納言が書いたとされる日本最古の女流随筆文学(エッセイ文学)で、清少納言の自然や生活、人間関係、文化様式に対する繊細で鋭い観察眼・発想力が反映された作品になっています。

このウェブページでは、『枕草子』の『神は松の尾。八幡、この国の帝にておはしましけむこそ、めでたけれ~』の部分の原文・現代語訳を紹介します。

参考文献
石田穣二『枕草子 上・下巻』(角川ソフィア文庫),『枕草子』(角川ソフィア文庫・ビギナーズクラシック),上坂信男,神作光一など『枕草子 上・中・下巻』(講談社学術文庫)

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[古文・原文]

272段

神は松の尾。八幡(やはた)、この国の帝にておはしましけむこそ、めでたけれ。行幸(ぎょうこう)などに、水葱(なぎ)の花の御輿(みこし)にたてまつるなど、いとめでたし。大原野。春日、いとめでたくおはします。平野は、いたづら屋のありしを、(清少納言)「なにする所ぞ」と問ひしに、「御輿宿り」と言ひしも、いとめでたし。

斎垣(いがき)に蔦などのいと多くかかりて、紅葉の色々ありしも「秋にはあへず」と、貫之(つらゆき)が歌、思ひいでられて、つくづくと久しうこそ立てられしか。みこもりの神、またをかし。賀茂(かも)、さらなり。稲荷(いなり)。

273段

崎(さき)は唐崎(からさき)。みほが崎。

274段

屋はまろ屋。あづま屋。

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[現代語訳]

272段

神は松の尾。八幡(やはた)、この日本国の帝でいらっしゃったというのが素晴らしい。御参詣の行幸(ぎょうこう)などに、帝が水葱(なぎ)の花の御輿(みこし)にお乗りになられるなど、とても素晴らしい。大原野。春日、とても素晴らしくていらっしゃる。平野は、使わないままになっている空家があったので、(清少納言)「何をする所か」と尋ねたところ、「御輿がお泊まりになる所」と言ったのも、とても素晴らしい。

神の垣に蔦などがとても多くかかっていて、紅葉が色々と出てきていたのも、「秋にはあへず」という紀貫之の歌が思い出されて、そこに長い時間、車を止めていたのだった。みこもりの神、また面白い。賀茂(かも)は、言うまでもない。稲荷(いなり)。

273段

崎(さき)は唐崎(からさき)。みほが崎。

274段

屋はまろ屋。あづま屋。

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[古文・原文]

275段

時奏(じそう)する、いみじうをかし。いみじう寒き夜中ばかりなど、こほこほとこほめき、沓(くつ)すり来て、弦打ち鳴らして、「何家の某(なにがし)、時丑(うし)三つ、子(ね)四つ」など、遥かなる声に言ひて、時の杭さす音など、いみじうをかし。「子九つ、丑八つ」などぞ、さとびたる人は言ふ。すべて、何も何も、ただ四つのみぞ杭にはさしける。

276段

日のうらうらとある昼つ方、また、いといたう夜ふけて、子の時などいふほどにもなりぬらむかし、大殿籠りおはしましてにや、など思ひ参らするほどに、「男ども」と召したるこそ、いとめでたけれ。夜中ばかりに、御笛の声の聞えたる、またいとめでたし。

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[現代語訳]

275段

時を奏するのは、とても面白い。とても寒い夜中など、こほこほと音を立てて、靴を引きずってきて、弓弦を打ち鳴らして、「何家の誰々、時、丑三つ、子四つ」などと遠くの方で言って、時を示す杭を刺す音など、とても面白い。「子九つ、丑八つ」などと、田舎びている人(宮中の習わしを知らない人)は言う。しかし、どの時であっても、杭は四つの時だけに限って刺すものなのである。

276段

日がうららかに照っているお昼頃、また、とても夜が更けてしまって、子(ね)の時などと言う頃になったであろう、帝はもうおやすみになられているのだろうか、などとお思い申し上げていると、「蔵人はいないのか」とお呼びになられたのは、とても素晴らしい。夜中ごろに、御笛の音が聞こえたのも、またとても素晴らしい。

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