4.山部赤人の歌:田子の浦にうち出でてみれば白妙の~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。 このウェブページでは、『山部赤人の田子の浦に~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

田子の浦に うち出でてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪は降りつつ

山部赤人(山辺赤人)

たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ

田子の浦にまで出てみて、上を仰ぎ見ると、真っ白な富士の高い山に雪が降っているよ。

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[解説・注釈]

山部赤人(生没年不詳)は柿本人麿と並んで奈良時代を代表する『歌聖』であり、三十六歌仙の一人として数え上げられている。山部赤人は、『人間の愛情・苦悩・死別の悲しみ』などを歌で表現した柿本人麿と比較すると、『自然の雄大さ・自然の景観の美』を和歌の主要な題材としたところに特長がある。

『田子の浦』は現在の静岡県静岡市清水区蒲原(かんばら)にある吹上の浜の周辺だと考えられているが、田子の浦にまで出てきて一気に視界がパッと開け、雄大な姿でどっしりそびえ立っている富士山が目に入ってきた時の感動を詠ったものである。海の青、空の青、富士山頂の雪の白が、鮮やかな視覚上のコントラストを形成しているが、この歌は霊山でもある日本最高峰・富士山の『畏敬に通じる神聖さ・威厳のある姿』を詠っている。

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