5.猿丸大夫 奥山に〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。 このウェブページでは、『猿丸大夫の奥山に〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

奥山に 紅葉踏み分け 鳴く鹿の 声聞く時ぞ 秋は悲しき

猿丸大夫

おくやまに もみじふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき

奥山に入って、地面に積もった紅葉を踏み分けながら、鳴いている鹿の声を聞く時には、秋の季節は物悲しいものだとしみじみ感じる。

[解説・注釈]

猿丸大夫(生没年不詳)は古今和歌集の真名序にもその名前が記されているが、その人物や事績、家柄などの詳細ははっきりとしない人物である。三十六歌仙の一人に数えられているが、この歌の原歌は『古今和歌集』に収載されており、古今集版では赤い『楓の紅葉』ではなく黄色い『萩の黄葉』として解釈されていた。

奥山に分け行っていく主体が『私』なのか『鹿』なのかで解釈は分かれるが、通説では牝鹿の妻を恋しく思って『求愛』の鳴き声を上げる鹿が奥山に居るという設定になっている。その奥山の鹿の鳴き声を聞く人間も、何だか物悲しい気分に襲われてしまうという事だが、この歌は『都に住む貴族』『奥山の幽玄な物寂しさ(わび・さびに通じる情趣)』に憧れている様子を詠い上げたものだとも言われている。秋の物悲しさと奥山の静けさ(寂しさ)は、都会に住んでいる貴族にとってはある種の精神的な癒し(都の煩雑さを忘れられる場)であり、自然と人が静かに温かく融合する境地は『隠棲者(世捨て人)の理想』とされていた。

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