8.喜撰法師 わが庵は〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。 このウェブページでは、『喜撰法師のわが庵は〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

わが庵は 都の辰巳 しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり

喜撰法師(きせんほうし)

わがいほは みやこのたつみ しかぞすむ よをうぢやまと ひとはいふなり

私がこのように静かに住んでいる庵は、都の南東にあるのだが、人々はこの場所を世を憂えている隠者が隠れ住んでいる『うじやま(宇治山)』と呼んでいるそうだ。

[解説・注釈]

喜撰法師(生没年不詳)は、平安時代初期に宇治山に住んでいた僧侶・歌人であるが、その人物や事績の詳細は『六歌仙』の一人であること以外は不明である。『喜撰(きせん)』は、お茶(宇治茶)の銘柄や隠語として用いられることもある。

京都府宇治市池尾の西側に立つ宇治山とそこにある粗末な庵を題材にした歌で、心静かに慎ましやかな隠棲生活を送る喜撰の心情と人々が宇治山に抱く印象を表現したものである。この有名な歌の存在によって、宇治山は『喜撰山』という別名で呼ばれるようにもなった。宇治山の『うぢ』には、当時の『憂(し)』『治(し)』とが言葉遊びのように掛け合わされている。

世の中の人々は宇治山の隠棲を『憂鬱な淋しい生活』と見ているが、喜撰法師本人は『幸福で静かな生活(世俗を離れた煩悩のない生活)』と感じていて、そのギャップがこの歌の奥行きのある味わい深さにつながっている。鴨長明はこの喜撰法師について、『無名抄』の中で『御室戸の奥に二十余町ばかり山中へ入りて、宇治山の喜撰が住みかける跡あり』という文章で触れている。

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