17.在原業平朝臣 ちはやぶる〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『在原業平朝臣のちはやぶる〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くぐるとは

在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)

ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくぐるとは

伝説的な神代の時代でさえも聞いたことがない、竜田川の紅葉の下を水が潜って流れるというようなことは。

[解説・注釈]

在原業平(ありわらのなりひら,825-880)は平城天皇の孫の血筋(阿保親王の五男)であり、在原行平の弟に当たる人物である。『六歌仙・三十六歌仙』の一人に数えられるが、それ以上に、大勢の女性と浮き名を流す絶世の美男子として知られている。『伊勢物語』では、在原業平は女性との色恋沙汰を好む容姿秀麗の美男子として登場するが、特に二条后(藤原高子)との恋愛物語のエピソードが有名である。権力の中枢から距離を置いた風流人・色男である在原業平は、『反摂関家・反俗物』の象徴的な人物とも解釈されるが、清和天皇に入内する藤原高子との恋愛話にも『摂関政治の妨害』といった意味を見て取ることができる。

『神代(かみよ)』は人代(ひとよ)の常識では説明がつかない不思議な事も起こり得た神々の時代のことであり、この歌は紅葉の名所として知られる『竜田川(奈良県生駒郡の川)』を舞台にして、美しく神秘的な情景の展開が歌われている。『からくれなゐ』とは、朝鮮半島の『韓(から)の国』から来た紅の染物といった意味で、『真紅』の真っ赤な色彩を指している。中国大陸・朝鮮半島では建築物や装束に原色の赤が好んで使われていた。

平安時代から鎌倉時代にかけて、『濁点』を表記しない慣行があったので、『水くぐるとは』の部分は、本来『くくる』なのか『くぐる』なのか判然としないとされる。在原業平は、竜田川の川面を埋め尽くすようにして流れる紅葉の『水色』『紅色』の組み合わせを見て、『水がくくられた(絞り染めされた)』という意味で詠んだようだが、撰者の藤原定家は『水が紅葉の下を潜って流れている』という意味で解釈している。

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