23.大江千里 月見れば〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『大江千里 月見れば〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

月見れば 千々にものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど

大江千里(おおえのちさと)

つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど

月を見ると、様々な多くの物事が悲しく感じられる。私ひとりのために訪れた(悲しみの情緒が高まる)秋というわけでもないのに。

[解説・注釈]

大江千里(生没年不詳)は、在原行平・業平の甥に当たる人物で、漢学者として漢文の素養があった。その漢文の素養を生かして作った和歌がこの歌であり、この歌は白楽天の『白氏文集』に収載されている『燕子楼』の第一首を参考にして詠まれたものである。『燕子楼(えんしろう)の中霜月の夜 秋来たりてただ一人のために長し』という中国の女性の悲しい心中を詠んだ歌が下敷きになっており、大江千里の和歌に詠まれた女の心情も突き詰めれば、この古代中国の女性(張尚書という男を愛した女)の心情に重ねられているということになる。

暑い夏が終わって涼しい秋が訪れると、なぜか人は悲しく孤独な気持ちに陥りやすい、その悲しみや孤独感はその時にはまるで『自分だけのもの(自分だけが取り残された感覚)』のように思われるものだ。大江千里はこの『自分だけにしか分からないように感じられる悲しみ・孤独感』を、『わが身ひとつの 秋にはあらねど』という下句の部分で何とか表現しようとしている。

『秋の季節の到来』と『月が浮かぶ夜』というのは、日本人の感受性にとってある種の『普遍的な悲しみの情緒』を呼び起こすものであり、その日本文化に根ざした情緒は平安時代でも現代でも変わらないのかもしれない。

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