25.三条右大臣 名にし負はば〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『25.三条右大臣 名にし負はば〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

名にし負はば 逢坂山の さねかづら 人に知られで くるよしもがな

三条右大臣(さんじょううだいじん)

なにしおわば おうさかやまの さねかづら ひとにしられで くるよしもがな

逢坂山のさねかずら(植物の一種)の名前が、『逢う・さ寝(共寝)』というそのままの意味を持つならば、他の人に知られないようにしてあなたの元に行く手段が欲しいものだ。

[解説・注釈]

三条右大臣とは藤原定方(ふじわらのさだかた,873〜932)のことであり、右大臣の高位高官の立場にあって三条に立派な邸宅を建てていたことから『三条右大臣』と呼ばれていた。山城国(京都府)と近江国(滋賀県)の境界にある山が『逢坂山(おうさかやま)』であり、この山名から『逢う』という意味が抽出されている。

『さねかずら(真葛)』というのは、他の樹木や建物に巻きついて成長していく蔓型の植物であり、この名前から『さ寝(一緒に寝る共寝の意味)』という意味を取り出している。モノの名前の意味を取り出して重ね合わせるという技巧的な和歌であるが、この歌はプレイボーイでもあった三条右大臣が、意中の女を口説く時に『サネカズラの実物』と一緒にして贈られたものではないかと言われている。『サネカズラ』にはその巻き付く姿から、『男女の仲睦まじい絡み合い』がイメージされるという効果』もあった。

この時代には、『事物の名前』にそのモノの本質や影響力が宿っているという『言霊思想(ことだましそう)』が信奉されており、三条右大臣も『逢坂山・さねかずらの名前』に魔術的・超能力的な力を、少し期待しながらこの歌を詠んでいるように感じられる。

Copyright(C) 2013- Es Discovery All Rights Reserved