31.坂上是則 朝ぼらけ〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『31.坂上是則 朝ぼらけ〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献(ページ末尾のAmazonアソシエイトからご購入頂けます)
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

朝ぼらけ 有明の月と 見るまでに 吉野の里に 降れる白雪

坂上是則(さかのうえのこれのり)

あさぼらけ ありあけのつきと みるまでに よしののさとに ふれるしらゆき

朝早い明け方に、有明の月と見間違うほどに、吉野の里へと降っている美しい白雪よ。

[解説・注釈]

坂上是則(さかのうえのこれのり,生没年不詳)は平安前期に活躍した三十六歌仙の一人であり、蝦夷征伐を行った征夷大将軍・坂上田村麻呂の子孫の血統とも伝えられている。坂上是則は延喜八年(908年)に大和権少掾(やまとのごんのしょうじょう)に任命されており、貴族の代表的遊戯であった『蹴鞠』の名手としても知られている。

『有明の月』とは夜明け頃にうっすらと見える下弦の月のことであるが、この歌は奈良の吉野の里に降り積もった雪の白い輝きを見て、『月光』と見間違ってしまったという趣旨の歌になっている。ある事象を別の事象になぞらえて表現する『見立て』という歌の一種である。『白雪』と『月光』とを重ね合わせることで、幻想的な吉野の山里の真っ白な雪景色を描写しているのである。『吉野』は古代から天皇家の離宮が多く建造された山里でもあり、貴族社会における『心の古里』といったイメージの強い土地である。

作者の坂上是則は吉野の里への思い入れが強いようであり、『古今和歌集』にも『み吉野の 山の白雪 積もるらし ふるさと寒く なりまさるなり』という似たような雪景色の美しさ・懐かしさを詠んだ歌が収載されている。

Copyright(C) 2013- Es Discovery All Rights Reserved