45.謙徳公 あはれとも〜 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『45.謙徳公 あはれとも〜』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

謙徳公(けんとくこう)

あわれとも いうべきひとは おもおえで みのいたずらに なりぬべきかな

可哀想になどと言ってくれるような人がいるとも思えない。この身は恋の苦悩のためにはかなく消えてしまいそうです(=恋の苦しみに耐えられずに死んでしまいそうです)。

[解説・注釈]

謙徳公(けんとくこう,924〜972)は、平安中期の貴族で、有力政治家を輩出する藤原氏の名家に属していた。本名は藤原伊尹(ふじわらのこれまさ,これただ)で、26番作者の藤原忠平(貞信公)の孫、50番作者の藤原義孝の父に当たる人物である。藤原伊尹の父は右大臣・藤原師輔であり、実家の権勢と身分を背景にして非常に華やかな恵まれた人生を送ったとされる。

藤原伊尹は家柄の良さだけではなく、容姿端麗で学識も豊かな人物であり、多くの女性を魅了して恋愛を楽しんだ。色好みであった藤原伊尹の人生や色恋の概略は、家集の『一条摂政御集』に記録されているが、この歌は『あなたのことが恋しくて恋しくて今にも死んでしまいそう』という絶望や哀願を示しながら、女性の同情を引いて口説こうとしている。

複数の女性と浮き名を流して恋愛を謳歌した藤原伊尹が、女性の同情を巧みに引こうとするのだが、『伊尹の色好み・浮気性』を知っている女性は(遊ばれて悲しい思いをしたくないという自衛の心理から)その誘惑を拒絶するような返歌を返している。多くの女性を惹きつけるだけの容姿と財力、権力を持った謙徳公がこの歌を詠んでいると考えると、かなり自己肯定的なナルシスティックな歌のようにも感じられてくるが、歌そのものの内容は『純粋な恋愛の苦悩』を詠んだものになっている。

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