55.大納言公任 滝の音は~ 小倉百人一首

優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『55.大納言公任 滝の音は~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

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鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

[和歌・読み方・現代語訳]

滝の音は 絶えて久しく なりぬれど 名こそ流れて なほ聞こえけれ

大納言公任(だいなごんきんとう)

たきのおとは たえてひさしく なりぬれど なこそながれて なおきこえけれ

滝の水の音が絶えて聞こえなくなってから長い年月が経ったが、その滝の音の名声(評判)というものは、(絶えることなく)今も世間に流れていて、いまだに聞こえてくるものだな。

[解説・注釈]

大納言公任(だいなごんきんとう,966年-1041年)は、平安中期の歌人である藤原公任(ふじわらのきんとう)のことである。四条大納言とも呼ばれる藤原公任は、関白太政大臣・藤原頼忠の子、藤原定頼の父である。藤原公任は博学多才で諸芸に優れた能力を持っており、『漢詩・和歌・管弦』のすべてを得意としていた。藤原公任は『和漢朗詠集』『拾遺抄』『三十六人撰』の撰者であり、歌論書の『新撰髄脳』『和歌九品』、有職故実の『北山抄』、家集の『公任集』といった著作を書き残している。

この歌は長保元年(999年)9月12日に、当時の左大臣・藤原道長が藤原公任らをお供に連れて、大覚寺の滝殿・栖霞観(せいかかん)・大井川を紅葉狩りのために散策した時に、『初めて滝殿に到るの題』で公任が詠んだものである。嵯峨天皇の離宮があった大覚寺滝殿は、藤原公任の時代にはもはや遺構が残るだけの史跡となっていた。そのため、有名な滝の音はもう聞くことが出来なかったのだが、その滝の名声・世評だけは今でも残っていたのである。

平城京に拠点を置いた嵯峨天皇は、平安京を建設した桓武天皇と並ぶ名君であるが、嵯峨天皇に縁のある遺構を巡るこの時期の藤原道長は『実質的な天皇の地位』に迫るほどの権勢と影響力を誇るようになっていた。博識な公任は『滝・絶え・流れ』『音・聞こえ』といった縁語を巧妙に用いながら、左大臣の藤原道長に過去の嵯峨帝の威厳を偲ぶような歌を贈ったのである。

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