68.三条院の歌:心にもあらで憂き世に長らへば~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『68.三条院の歌:心にもあらで憂き世に長らへば~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

心にも あらで憂き世に 長らへば 恋しかるべき 夜半の月かな

三条院(さんじょういん)

こころにも あらでうきよに ながらえば こいしかるべき よわのつきかな

心にもなく、この憂いの多い世の中で生き長らえたならば、きっと恋しいと思ってしまうのだろうな、今宵の格別な月のことを。

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[解説・注釈]

三条院・三条天皇(さんじょういん,976~1017,在位1011~1016)は、第67代天皇である。三条天皇は冷泉天皇の第二皇子の居貞親王(おきさだ・いやさだしんのう)として生まれたが、体質が病弱であり視力低下(失明危機)の緑内障に苦しめられた。

更に、権力の絶頂期にあった関白の藤原道長から引退を半ば強制されたという不遇な天皇である。藤原道長は天皇の権威を軽視する専横を働き、一条天皇と娘・彰子(しょうし)の間に生まれた皇子を、三条天皇に代わる後一条天皇として即位させた。引退して院になってからも三条院は、皇女の当子(とうし)内親王と藤原道雅の不倫の恋に心を痛めたが、『自分の意思に反して生き長らえてしまったならば』と前置きするこの歌自体が、相当にネガティブで陰鬱な気分に覆われている。

この歌は、視力がどんどん落ちていく緑内障に苦しんでいた三条天皇が、藤原道長から半ば強制的に退位を迫られるという、天皇としては屈辱的なつらい状況の時に詠まれたものであり、『死んでしまいたいほどのつらさの中で見上げた今宵の月の哀しい美しさ』について歌っているのである。

出典は『後拾遺和歌集』で、詞書(ことばがき)には『例ならずおはしまして、位など去らんとおぼしめしける頃、月の明かかりけるを御覧じて』とあり、いつもとは異なる眼の病気に苦しむ三条天皇が、(道長からのプレッシャーで)天皇の地位を退位しようとしている様子が説明されている。

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