69.能因法師の歌:嵐吹く三室の山のもみぢ葉は~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『69.能因法師の歌:嵐吹く三室の山のもみぢ葉は~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり

能因法師(のういんほうし)

あらしふく みむろのやまの もみぢばは たつたのかわの にしきなりけり

嵐の風が吹き散らす三室山のもみじ(紅葉)の葉は、竜田川の川面を色鮮やかに彩る錦であるな。

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[解説・注釈]

能因法師(のういんほうし,988~?)は、平安中期の歌人で橘諸兄(たちばなのもろえ)の後裔に当たる人物で、本名を橘永愷(たちばなのながやす)といった。藤原長能(ふじわらのながよし)に和歌を学んだ経歴があり、後年は出家して全国を行脚しながら風流な歌を詠むという漂白の人生を送ったという。

能因法師は風流の道を好んで没頭する数寄人(すきにん)として知られ、『袋草紙』では『数寄給へ。数寄ぬれば、歌は詠むぞ』という言葉を残している。この歌にある『三室(みむろ)の山』は奈良県生駒郡斑鳩町にあり、竜田川下流の西岸に位置している。『竜田の川』は、三室山の東の麓を流れている川であり、三室山と竜田川は和歌の世界では、美しい風情のある景色を表現するために二つをセットにして詠まれることが多かった。

三室山の紅葉が嵐に吹かれてハラハラと舞い散り、竜田川の川面を色鮮やかに飾っていく景観を見事なバランス感覚で詠み上げている。『山』と『川』の景色の対比、『動(散る紅葉)』と『静(色鮮やかな錦の織物への見立て)』の対照がこの歌の魅力になっているのである。

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