71.大納言経信の歌:夕されば門田の稲葉おとづれて~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『71.大納言経信の歌:夕されば門田の稲葉おとづれて~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

夕されば 門田の稲葉 おとづれて 蘆のまろやに 秋風ぞ吹く

大納言経信(だいなごんつねのぶ)

ゆうされば かどたのいなば おとずれて あしのまろやに あきかぜぞふく

夕方になると、門田の稲葉に音を立てながら、蘆葺き(あしぶき)の粗末な小屋に秋風が吹いているよ。

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[解説・注釈]

大納言経信(だいなごんつねのぶ,1016-1097)は、平安後期の公卿・歌人で、74番作者の俊頼の父に当たる人物である。大納言経信は当時の知識人・文化人の権威的位置づけにあった人であり、後三条天皇の御代から白河天皇の院政期に至るまで、歌壇の中心的な位置づけを占めていた。大納言経信は『三船(詩・歌・管弦)』の才を持つ多才多芸の歌人として知られ、漢詩の知識や宮中の有職故実にも精通した知識人であった。

秋に実った稲穂が風に気持ちよくそよいでいる景色を歌っている清々しい叙景歌であり、視覚と聴覚が受け取るダイレクトな『秋の季節の景観』を上手く伝えている。『門田』というのは、家のすぐ近くに作られた直営田のことであり、『蘆のまろや』というのは、蘆の草で屋根を葺いただけの粗末な小屋のことである。

涼しい秋風に黄金の稲穂がそよそよと揺れている景色が体感的に思い浮かべられるという意味で優れた歌なのだが、当時の貴族は都会の喧騒を離れて静かな擬似的隠遁生活を楽しむために、郊外の田園地帯に別荘を構えるという慣習があった。隠遁生活の妙味の一つは『都会にはない自然の景色』だったので、歌人たちはその別荘の持ち主を賞賛する意味合いもあって、別荘の近くや周囲にある自然の景色や季節の推移を題材にした叙景歌を多く詠んだのである。

出典は『金葉和歌集』で、その詞書(ことばがき)には『師賢朝臣の梅津に人々まかりて、田家秋風といへることを詠める』とある。

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