74.源俊頼朝臣の歌:憂かりける人をはつせの山おろしよ~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤和俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『74.源俊頼朝臣の歌:憂かりける人をはつせの山おろしよ~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

憂かりける 人をはつせの 山おろしよ はげしかれとは 祈らぬものを

源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん)

うかりける ひとをはつせの やまおろしよ はげしかれとは いのらぬものを

つれない冷たいあの人に振り向いて欲しいと、初瀬(はせ)の観音にお祈りしたけれど、そのご利益もなく、あの人はいっそう冷たくなってしまった。初瀬山の山おろしの風よ、こんなに激しく私に吹け(私に冷たい風を吹きつけよ)とは祈らなかったのに。

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[解説・注釈]

源俊頼朝臣(みなもとのとしよりあそん,1055~1129)は、平安後期・院政期を代表する歌人で、白河法皇の院宣による勅撰集『金葉和歌集(きんようわかしゅう)』の撰者として知られている。源俊頼は71番作者・源経信の三男で、85番作者・俊恵の父に当たる人物で、小倉百人一首と非常に関わりの深い一族である。

平安時代後期の和歌の世界では、源俊頼は斬新な表現手法と技巧的な掛詞を駆使する『革新派』として存在感を示しており、当時の『保守派』の中心にいた歌人の藤原基俊と対立していたという。

『はつせ』というのは『大和国(現奈良県)』の歌枕であり、初瀬山の中腹には『源氏物語』などの王朝文学に頻繁に登場する長谷寺(はせでら)があり、長谷寺には信者の祈願(お願い事)を聞いてくれるという初瀬観音(はせかんのん)が祀られていた。『初瀬』という地名は、現在の奈良県桜井市初瀬(はせ)に当たる。

長谷寺は平安時代の貴族の信仰を集めていた由緒ある寺院であるが、この歌では『恋人の態度の冷たさ』と『山おろしの風の冷たさ』とが『はげしかれ』という言葉に掛け合わされている。初瀬山の荒涼とした厳しい山おろしの風、ますます冷たさを待つ好きな人の態度が掛け合わされていて、祈願する男のこの上ない寂しさや絶望が伝わってくるのである。

山おろしの冷たい風が吹きすさぶ長谷寺で、額をつけて恋の成就を祈願しながらも、その切ない願いが結局叶えられることがなかったという悲哀の情趣を謳っている。出典『千載和歌集(せんざいわかしゅう)』の詞書には、『権中納言俊忠家に恋十首歌よみ侍りける時、祈れども逢はざる恋といへる心をよめる』とあり、『神仏に祈っても成就しなかった恋』という珍しいお題の下で詠まれた和歌である。

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