78.源兼昌の歌:淡路島通ふ千鳥の鳴く声に~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『78.源兼昌の歌:淡路島通ふ千鳥の鳴く声に~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

淡路島 通ふ千鳥の 鳴く声に いく夜寝覚めぬ 須磨の関守

源兼昌(みなもとのかねまさ)

あわじしま かようちどりの なくこえに いくよねざめぬ すまのせきもり

淡路島へと飛んで通っている千鳥の鳴く声に、いったい幾晩(いくばん)、寝覚めたことだろうか、須磨の関守は。

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[解説・注釈]

源兼昌(みなもとのかねまさ,生没年不詳)は、その生年と事績がはっきりしない人物であるが、平安貴族にとって没落・失脚・閑居などの淋しいイメージのある『須磨(すま)』を題材にして、人間の人生の苦しみや儚さを詠んだ歌と考えられている。

平安時代には、千鳥(チドリ科の鳥の総称)が淡路島と須磨(現在の神戸市須磨区)の間を往来して、物悲しい声で鳴いていたのだという。須磨は摂津国と播磨国の国境に位置しており、平安前期までは『須磨の関所』が置かれていた。須磨の浦にまでやってきた旅人が、この地で物悲しい千鳥の鳴き声を聞きながら、かつてこの地で関守をしていた役人の『千鳥の哀切な声が絶え間なくして眠れない心境』を想像して歌ったという設定になっている。

須磨という土地は、『源氏物語』の主人公である光源氏が流刑に処されてわびずまいを余儀なくされた土地としても知られ、当時の中央の貴族にとって『失意・挫折・哀しみの土地』という意味合いも強くあった。光源氏も『源氏物語 須磨巻』の中で、須磨の地で千鳥の鳴き声を聞きながら眠れない夜を過ごしていたのである。そういった歴史的背景とかつてここにいた関守の心境を想像しながら詠むと、よりいっそうの味わいが感じられる歌である。

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