84.藤原清輔朝臣の歌:ながらへばまたこのごろやしのばれむ~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『84.藤原清輔朝臣の歌:ながらへばまたこのごろやしのばれむ~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

ながらへば またこのごろや しのばれむ 憂しと見し世ぞ 今は恋しき

藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

ながらえば またこのごろや しのばれむ うしとみしよぞ いまはこいしき

生き長らえたならば、辛いと思っているこの頃も、懐かしく思い出されるのだろうか。あんなに辛いと思っていた世の中が、今となっては恋しいのだから。

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[解説・注釈]

藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん,1104-1177)は平安後期の歌人・歌学者であり、79番作者の藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の子である。83番作者の藤原俊成(ふじわらのとしなり)と並ぶ平安後期歌壇の双璧であり、清輔と俊成は和歌の世界における好敵手(ライバル)でもあった。

二条天皇の勅命を受けて『続詞花和歌集(しょくしかわかしゅう)』を編纂したが、その途中で二条天皇が崩御してしまったために勅撰和歌集としては認められなかった。歌学書の『奥義抄(おうぎしょう)』『袋草紙(ふくろぞうし)』、家集の『清輔朝臣集』を書き残している。藤原清輔は父の藤原顕輔から歌壇の権威的な儀式である『人麿影供(ひとまろえいぐ)』を伝授されている。人麿影供とは歌聖・柿本人麻呂を神格化して祭る儀式であり、この儀式を子々孫々に伝授している歌道の権威的な家柄が『六条家』である。

この歌は『過去・現在・未来』という時間軸の中に、『苦悩に満ちたつらい出来事・体験』を配置しており、そのつらさや苦しさが時間の経過によって懐かしい過去に変わっていくはずだということを詠んでいる。藤原清輔がこの歌をいつ詠んだのかについては『30代説』と『60代説』の二つがあるが、いずれにしても清輔が非常につらい耐えがたい出来事・試練に直面した時に、その苦悩を癒してくれる『時間の経過』に期待しているような歌である。

自分の精神では耐えられないようなつらいことや悲しいことがあった時に、『時薬(時間薬)』によって何とかその苦しみを癒されたい、つらいことを良い思い出に変えてしまいたいと願うのは、古代の人も現代の人も変わらないのである。人生は長いようで短いが、その途上では様々な苦しみや悲しみ、つらさが待ち受けているもので、そういった受け容れがたい苦悩・絶望を最終的に癒してくれるのが『時間(記憶の希薄化・生命の有限性)』なのである。

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