85.俊恵法師の歌:夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『85.俊恵法師の歌:夜もすがらもの思ふころは明けやらぬ~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

夜もすがら もの思ふころは 明けやらぬ 閨のひまさへ つれなかりけり

俊恵法師(しゅんえほうし)

よもすがら ものおもうころは あけやらぬ ねやのひまさえ つれなかりけり

一晩中(夜通し)、恋に物思っている今日この頃は、いつまでも夜が明けきらない寝室の戸の隙間さえも、無情に感じられるものだ。

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[解説・注釈]

俊恵法師(しゅんえほうし,1113-没年不詳)は平安後期の歌人で74番作者・源俊頼の子、71番作者・源経信の孫である。俊恵法師は東大寺の僧侶であり、『方丈記』の鴨長明の和歌の師として知られるが、具体的な僧侶としての履歴や朝廷における役割についてははっきりしたことは分かっていない。

俊恵法師は京都・白河にあった自分の宿坊を『歌林苑(かりんえん)』と呼んで、歌会・歌合(うたあわせ)を行っていたという。俊恵法師を和歌の師匠として敬慕していた鴨長明は著書『無名抄(むみょうしょう)』において、俊恵との思い出に残るエピソードを書き残している。

俊恵法師は男性であるが、この歌は『女性の立場からの恋心』を詠んだものであり、薄情なつれない男の来訪を待って、一晩中眠れずに寂しく物思いに耽っている女のつらい心情をしみじみと歌っている。恋しい男がやって来ない夜は、一人寝をするのもつらくて、いっそ早く夜が明けて欲しいと願うのだが、寝室の隙間の暗闇を覗いていても、朝の光はなかなか射し込んで来てくれない。

この歌では、暗闇の中で静まりかえっている『寝室の戸の隙間』と自分に対して心を動かしてくれない、会いに来てくれない『男の心の冷たさ』とが重ね合わせられており、女の寂しく悲しい心情が『つれなかりけり』という歌の言葉に見事に投影されているのである。

恋しい男の来訪を待つ平安時代の男女関係にとって『夜明けの時間』は特別な意味合いを持っていた。逢瀬を楽しんで一緒に夜を過ごした恋人たちにとって、夜明けの時間は寂しく憎らしい時間となるが、薄情な恋人の訪れをひたすら待っていた女にとっては、夜明けの時間はこれでもう諦められるという思い切り(踏ん切り)のつく救いの時間だったのである。

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