92.二条院讃岐の歌:わが袖は潮干に見えぬ沖の石の~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『92.二条院讃岐の歌:わが袖は潮干に見えぬ沖の石の~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知らね かわく間もなし

二条院讃岐(にじょういんのさぬき)

わがそでは しおひにみえぬ おきのいしの ひとこそしらね かわくまもなし

私の袖は、引き潮になっても見えない沖の石のようなもので、人は知らないけれども、乾く暇もないのです。

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[解説・注釈]

二条院讃岐(にじょういんのさぬき,1141頃-1217頃)は平安末期・鎌倉初期の歌人で、源頼政(みなもとのよりまさ,源三位頼政ともいう)の娘である。二条院讃岐は『新古今和歌集』の時代に活躍した歌人であり、二条天皇や後鳥羽天皇の中宮任子(ちゅうぐうじんし,藤原兼実の娘・宜秋門院)に仕えた。

この歌は、平安時代末期に流行していた『石に寄する恋』という題で詠まれたものだが、石というのは『長い年月・長期にわたって継続する恋心』の象徴であり、長い年月をかけて恋人のことを思い続ける女をイメージさせるものでもあった。

私の袖は沖に沈んでいる石ですという表現は、現代ではあまり意味の通らない表現であるが、『袖』と『石』はそれぞれ『涙』と『海水』で濡れそぼっているものであり、沖合に沈んでいて誰にも気付かれない石というのは『世間にばれてはいけない秘密の恋』をイメージさせるのである。

海の底に沈んでいる石と自分自身の世の中から隠さなければならない秘密の恋を重ね合わせている歌で、二条院讃岐という歌人の優れた想像力から生み出された趣き深い歌である。

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