93.鎌倉右大臣の歌:世の中は常にもがもな渚漕ぐ~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『93.鎌倉右大臣の歌:世の中は常にもがもな渚漕ぐ~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ 海人の小舟の 綱手かなしも

鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん)

よのなかは つねにもがもな なぎさこぐ あまのおぶねの つなでかなしも

世の中はいつまでも変わらないものであってほしい。渚を漕ぐ漁師の小舟が綱手を引いている景色は愛おしいものだ。

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[解説・注釈]

鎌倉右大臣(かまくらのうだいじん,1192-1219)は、鎌倉幕府の3代将軍・源実朝(みなもとのさねとも)のことである。初代将軍・源頼朝の次男であり、母は北条政子である。源実朝は、2代将軍の兄・源頼家の遺児である公暁(くぎょう)によって鶴岡八幡宮で暗殺されるという非業の死を遂げたことでも知られる。

今、目の前に広がっている世の中の風景が、永遠に変わらずに続いていってほしいという、『無常の真理』に抗うかのような切ない願いが込められた歌である。永遠に続いて欲しい景色の典型例として、波打ち際を漕いでいく漁師の小舟の姿が歌に詠み込まれている。『綱手』というのは、舟を引くために舳先(へさき)につけられた縄のことであり、『かなし』というのは、愛しいという意味である。

漁師が小舟を漕いでいる浜というのは、鎌倉の由比ヶ浜か七里ヶ浜の周辺ではないかと推測されている。源実朝は漁師が小舟を漕いで綱手を引っ張る景色を眺めながら、激しい『生の衝動・欲望』に駆られていて、『諸行無常の真理』をどうにかして止められないのだろうかという切なる思いに襲われているのである。

実朝は28歳の若さで、鶴岡八幡宮で公暁に襲われ暗殺されてしまうのだが、『短命に終わるその後の実朝の運命』というものが、永遠の世界や生命を切望するこの歌のビビッドな悲劇性(逆らうことのできない無常)をよりいっそう強めていると言えるだろう。

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