97.権中納言定家の歌:来ぬ人をまつ帆の浦の夕なぎに~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『97.権中納言定家の歌:来ぬ人をまつ帆の浦の夕なぎに~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

来ぬ人を まつ帆の浦の 夕なぎに 焼くや藻塩の 身もこがれつつ

権中納言定家(ごんちゅうなごんていか)

こぬひとを まつほのうらの ゆうなぎに やくやもしおの みもこがれつつ

やって来ない恋人を待つ、松帆の浦の夕凪の時に、私は藻塩を焼いている。私自身の身も恋の思いで焼き焦がしながら。

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[解説・注釈]

権中納言定家(ごんちゅうなごんていか,1162‐1241)は鎌倉時代初期の歌人で、藤原俊成の子である。父の藤原俊成は和歌の本質としてほのかな情趣が漂う『幽玄体』を説いたが、藤原定家は『有心体』という和歌にある人の心の妖艶さ、情緒性を重視して、新古今調の和歌を大成したと評されている。

藤原定家は『新古今和歌集』『小倉百人一首』の撰者として知られる。歌論書『近代秀歌』『毎月抄』、日記『明月記』なども書き残しており、当時の文化・和歌・社会情勢を伝える知識人的な役割も果たしている。この歌は、撰者である藤原定家が自薦した『建保四年内裏歌合』の時に詠まれた恋歌である。

『松帆の浦』というのは淡路国(現兵庫県淡路市)の北端にある海岸のことであり、『夕凪』とは夕方に海辺で風の動きが止まって波が起こらなくなる静かな時間帯のことである。夕刻(夕方)は恋人が逢う時間帯であるが、風のない夕凪を持ってくることで、『事態が進展しない・状況が停滞している』ということを上手く表現している。つまりは、愛しい恋人が待ち合わせの場所にやってこないということである。

『こがれ』は掛詞(かけことば)になっており、『藻塩が焼かれて焦がれること』と『恋人に恋い焦がれること』が掛け合わされている。この歌の本歌は『万葉集』にある淡路島を舞台にした恋歌であり、藤原定家は淡路島に住む娘の『男を恋い焦がれる心境』になりきって、この妖艶さや哀しみが伝わってくる歌を見事に歌い上げているのである。

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