98.従二位家隆の歌:風そよぐ楢の小川の夕暮は~

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優れた歌を百首集めた『小倉百人一首』は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活躍した公家・歌人の藤原定家(1162-1241)が選んだ私撰和歌集である。藤原定家も藤原俊成の『幽玄(ゆうげん)』の境地を更に突き詰めた『有心(うしん)』を和歌に取り入れた傑出した歌人である。『小倉百人一首』とは定家が宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)の要請に応じて、京都嵯峨野(現・京都府京都市右京区嵯峨)にあった別荘・小倉山荘の襖の装飾のために色紙に書き付けたのが原型である。

小倉百人一首は13世紀初頭に成立したと考えられており、飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの優れた100人の歌を集めたこの百人一首は、『歌道の基礎知識の入門』や『色紙かるた(百人一首かるた)』としても親しまれている。このウェブページでは、『98.従二位家隆の歌:風そよぐ楢の小川の夕暮は~』の歌と現代語訳、簡単な解説を記しています。

参考文献
鈴木日出男・依田泰・山口慎一『原色小倉百人一首―朗詠CDつき』(文英堂・シグマベスト),白洲正子『私の百人一首』(新潮文庫),谷知子『百人一首(全)』(角川文庫)

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[和歌・読み方・現代語訳]

風そよぐ 楢の小川の 夕暮は みそぎぞ夏の しるしなりける

従二位家隆(じゅにいいえたか)

かぜそよぐ ならのおがわの ゆうぐれは みそぎぞなつの しるしなりける

風がそよそよと楢の葉を揺らしていて、楢の小川の夕暮れはまるで秋のように涼しいが、禊(みそぎ)が行われているということがまだ夏であるという証拠なのだ。

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[解説・注釈]

従二位家隆(じゅにいいえたか,藤原家隆,1158~1237)は、平安末期・鎌倉初期の歌人で、その気質・性格は温厚誠実なものであったという。藤原家隆は藤原俊成(ふじわらのとしなり)に和歌を学んでおり、当時は藤原定家の歌のライバルのように見られていた人物でもある。藤原家隆も『新古今和歌集』の撰者の一人で、後鳥羽院とは承久の乱の後も親交を保っていたとされる。

この歌は、天皇に入内する娘に持たせる嫁入り道具の『入内屏風(じゅだいびょうぶ)』に書かれていた歌である。入内屏風には通常、屏風の表面に一年間の風物画が描かれ、その絵に相応しい和歌が合わせて書かれるという慣習があったようである。この歌は『寛喜元年女御入内屏風和歌(かんぎがんねんにょうごじゅだいびょうぶわか)』に書かれていた和歌の一首である。

入内屏風和歌には、娘を送り出す父親(藤原氏の権力者)の野心やその時の時代状況が詠み込まれていることが多いが、『寛喜元年女御入内屏風和歌』は藤原道家の娘が後堀河天皇に入内した時に作成されたものである。

この藤原家隆の歌は、上賀茂神社の晩夏・六月末の『水無月祓(みなづきばらえ)』の情景を詠んだ歌であり、この神社の行事は夏の終わりを彩り秋の訪れが近いことを告げる『風物詩』であった。水無月祓のような祓というのは神道の禊(みそぎ)の儀式であり、川原で半年間の穢れを水で洗い清めていくというものである。『楢(なら)』は掛詞であり、『植物の樹木の楢』と『上賀茂神社の境内を流れる御手洗川の別名である「楢の小川」』とが掛け合わされている。

平穏な日常の進行、平和でのどかな治世を寿いでいる(ことほいでいる)歌であり、ゆったりと吹く風の感覚、その風にそよそよと揺れている楢の葉と楢の小川が見えてくるような感じさえする。季節と禊の行事が順調に問題なく運行されている情景を描くことが、そのまま平和でのどかな治世を象徴する歌になっているのである。

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