羽根田治『ドキュメント 気象遭難』の感想

以下は、『ドキュメント 気象遭難(羽根田治著、ヤマケイ文庫)』の紹介と感想になります。

『道迷い』に次いで登山で遭難する主要な原因の一つが、『気象(天気)の悪化・異常』である。その多くは、想定外の天気の変化だったり予想以上の悪化(悪天)だったりするが、『不意の雪崩・突風(強風による落石)』のように不可避に近いアクシデントに見舞われることもある。天気予報や現地の様子を確認して、できるだけ雨・雪が降らない晴天の日を選んで山に登るというのが安全登山の原則であるが、『冬期の登山・泊りがけの登山・長距離コースの登山』では常に想定外の気象変化のリスクが有り得るということを意識しておかなければならない。

本書では『春・夏・秋・冬の7つの気象遭難の事例』を取り上げているが、それぞれのケースの『異常気象・気象悪化の特徴』に着目することで、自分の登山に潜んでいるかもしれない気象遭難の可能性に気づきやすくなるような読み方もできる。単純に遭難の事実に基づいたドキュメンタリーの物語としての読み応えもある。登場人物の登山歴や人間関係、人生の背景、登山中の様子(登山後の感想)にも大まかに触れられているので、不幸な気象遭難に襲われた人たちの各場面での心情や切迫した状況にリアルな共感を寄せることもできる。

『春・沿海州低気圧 谷川岳――雪崩』は、冬山のアルパインクライミング(岩壁登攀)のトレーニングをしていた『勝野アルパインスクール』の指導者・研修生たち3人(勝野・小林・古本)を、突然の雪崩が襲ったケースである。一番経験の浅い研修生でさえも、日本アルパインガイド協会で専門的な技術教育を受けており、一般登山者からすればほとんどプロに近い登山者であり、2001年(平成13年)3月19日も『エキスパートコース』という難易度の高いコースを登ろうとしていた。冬から春に季節が移り変わる3月の谷川岳は『雪崩の巣』になる幾つかの危険箇所があり、この気象遭難による研修生2名の大怪我も、そういった危険箇所を素早くトラバースしようとしていた途中で起こったものである。

雪崩は、雪が固く引き締まるような零下の低い気温では起こりにくい。雪崩が起こりやすいコンディションを作り上げるのは、凍っていた雪が緩やかに溶け始めるような『気温の上昇』であり、この日も早朝4~7時頃までキンキンに冷えていた気候が、8時頃から急速に上がり始め、その温度で溶け始めた雪が8時55分に雪崩を引き起こしてしまったという。早朝は零下だった気温が、午前8時には1.8度、9時には5.1度にまで上昇して、深夜から早朝まではかっちり固まっていたと思われる氷の壁面を溶かし、小規模なブロック雪崩から大きな雪崩を引き起こしたのである。

後ろを歩いて早い段階で雪崩に気づけた指導者の勝野氏だけが、何とか直接の雪崩被害を免れたが、研修生の小林氏・古本氏の2名は何も為す術もなく一瞬で雪崩に呑み込まれた。何とか一命を取り留めることはできたが、25分以上も雪の中に埋もれていた古本氏が助かったのは奇跡的な幸運だったという他はない。古本氏は恥骨骨折・右足踝骨折・左足踵粉砕骨折・右手と顎の裂傷という大怪我を負い、小林氏も左足大腿骨骨折をしたが、身体能力や登山技術を高めたプロに近い登山者でも、自然の猛威、偶発的な雪崩の前ではどうしようもないという事を改めて突きつけられる事例である。

暖かい南風が吹き込んできたこと、岩壁の雪がない部分に直射日光が当たったことが雪崩の原因と推測されたが、勝野氏はこの雪崩の予測が困難なコースを実習に使うことをやめたという。『春・春の嵐 伊那前岳――突風』では人間をそのまま宙に舞いあげる竜巻のような信じられない突風の脅威を取り上げているが、既に死亡している遭難者を救うための勇み足の救助活動で起こりかけた『二次災害の恐怖』をリアルな筆致で綴っている。

光量と目印が乏しい夜間の山での活動が如何に危険を伴うものかということだが、そこに強風が吹き荒れる吹雪が加わったことで、百戦錬磨の山岳救助隊であっても『ホワイトアウト(視界遮断)による方向感覚の喪失』に陥ってしまったのである。視界が効かないホワイトアウトの状況や夜間の無謀な行動によって、過去にも『山小屋・避難小屋のすぐ近く』でたどり着けずに死亡してしまった事例(阿蘇山で学生グループがその種の遭難で死亡した)はあり、この伊那前岳のケースでも山小屋経営の男性が『見慣れた岩の形状』に運良く気づかなければ、間違った方角に向かって進んで二次遭難(最悪の結果)になってしまった恐れがあった。

大雪山系のトムラウシ山は、泊りがけで連峰を縦走する長距離コースの怖さ、北海道の夏山の特殊性(夏場でも氷点下まで気温が下がる気象条件が有り得る)について言われることもある山だ。2009年7月にはツアー登山にも関わらず、ツアーガイドを含む登山者9名が低体温症で死亡するという悲惨な『トムラウシ山大量遭難事故』が起こっており、短時間では下界にアクセスできない山深い山域で『気象の急速な悪化』に襲われた場合の危険性を改めて知らしめた。登山者には60代半ば以上の高齢者も多いため、幾ら長年の経験があり体を鍛えていて体力に自信があっても、『気象悪化時の迅速な下山』にはやはり限界がある。

トムラウシ山で何度か起こった気象遭難でも、『下山のスピード+野外のビバークに耐える体力がある登山者』は死んでおらず、この本に収載されているトムラウシ山の遭難事故でも『遭難したパーティー』とすれ違った登山者や集団の多くは、台風の中であっても何とか下山を果たしている。『夏・台風 トムラウシ山――低体温症』では、少なくとも遭難して死者を出した2つのパーティー以外での死者はでていない。同じ日に強風と浸水を凌ぎながらテントを張っていた人もいたりした。亡くなられたリーダーの女性の葛西氏も『脳血管障害のような体調の異常』に襲われたため、一晩のビバークを乗り越えられずに亡くなった可能性が高い(同じ条件下で一緒にビバークした女性は死亡していない)のではないかと感じた。

パーティーを組んでいた3人の女性の証言からも、『いつもの葛西さんらしくなかった(登山中の注意や指導の声かけがなくて判断もあやふやな場面が目立った)』ということが上がっている。初日は他のメンバーを置いていくくらいの足取りだったのに、遭難した3日目は口数が極端に少なくなっていて足取りが重たかったということからも、何らかの体調の不良・異常が疑われる。いつもなら先頭を力強く歩く人なのに、その日は『少し待って。もう少しゆっくり行って』という弱気の言葉が増えており、平均よりも遅いくらいのペースに殆ど足がついていかなかったという。

2泊目の『ヒサゴ沼避難小屋』で台風6号が速度を増して北海道に急接近してきたのだが、夜間のヒサゴ沼避難小屋を激しい風雨が襲ってきたため、葛西以外の3人は当初『明日は絶対に行かずに停滞する』ことを決めていた。小屋の場所取りの関係なのだろうが、リーダーの葛西だけが二階に上がり、他の3人は一階の比較的近い場所で寝ていて、何となくリーダーとメンバーとの間で決行か停滞かの意思疎通がしっかりできていなかった感じも伝わる。

天気予報では台風6号が明日本格的に上陸すると伝えていたため、リーダーの葛西は『今日中に下山しないと小屋に数日閉じ込められてしまう』という判断にこだわった。夜中には行かないつもりだった他の3人も『天気予報+朝の風雨の弱まり+リーダー葛西の毅然とした判断+周りの登山パーティーの行動(みんな小屋を出ている)』を見てから、自分たちも行くべきだという判断に変わってしまった。

このヒサゴ沼避難小屋を出発するという葛西の判断が間違っていたのかどうかの見極めは、事後的であれば『行くべきでなかった』となるのだろうが、実際に当日自分がこの無人小屋にいたとしたら、『明日台風が上陸するという天気予報』を聞いてやはり他の登山者に合わせて出発してしまったのではないかと思う。翌日はもっと強い風雨が吹き荒れる台風の悪天になると分かっているのだ、一定以上の登山経験があってそれなりに体力に自信があれば、その日のうちに急いで下界にまで下りきってしまいたい(コースタイムからは十分に下山することが可能だ)と考えるのがむしろ普通かもしれない。そうしないと、その山小屋で台風が完全に通過するまで2泊、3泊しなければならない恐れが出るのだから。

リーダーの葛西の判断が間違っていたから遭難死したというのも飽くまで“結果論”であり、途中で完全に歩けなくなった(最終的に死亡してしまった)のも葛西一人だけであることから、葛西の体調・体力に想定外の異常が起こらずにいつも通りのペースで他の3人と一緒に歩けていれば、みんなそのまま無事に下山できていた可能性のほうが高い。

事前に安全性を高めて下山するための葛西の判断ミスがあったとしたら、『荷物を背負い過ぎていて無駄な体力を消耗したこと・あまりに食料品を備え過ぎてしまったこと』くらいである。もう一つは、途中で判断力・体力が低下するような体調の異変に気づいたのであれば、葛西がその異変を仲間にすぐに報告して体力を温存しながら進む次善策を練り直さなかったことである。葛西は仲間に対して体調・気分が悪いとかいうような弱音を吐いたことが一度も無かったというが、その責任感や気負い、自尊心が結果論としてはパーティー全体を危険な状態にまで引っ張っていってしまった。

小屋の出発前に朝食を取り忘れそうになるほど葛西の注意力は低下していた可能性があり、最も重要な『トムラウシ山の頂上を踏まなくて良い迂回路(距離を短縮できる道)』まで間違ってしまい、台風の中を岩登りしてトムラウシ山の頂上にまで行ってしまうのである。先頭を進むメンバーの加藤が『トムラウシ山頂上(上向きの道)・迂回路(平坦な道)の分岐点』で、後ろの葛西に『上だよね』と確認したところ、葛西は『下だよ』と間違いを指摘したのだが、その言葉が加藤にきちんと伝わらずに頂上に向かう道を取ってしまった。

理由は不明だが、葛西はこの時に即座に『そっちじゃない、下よ』とは言わずに、そのまま加藤の後ろを黙々と付いていってしまった。いつもの葛西であれば重要な分岐点では必ず地図(ガイドブック)を取り出して念入りに行き先を確認するはずなのに、この時に限って地図を取り出す素振りもなかったという。何とかトムラウシの頂上を踏んで反対側への下山に取り掛かると、地元の山岳ガイドと客の2名とすれ違い遭難救助(下界への非常事態の伝達)を要請するのだが、この時、遂に葛西は足をもつれさせて萎えるように仰向けに倒れこみ、重量のある重たいザックを自力で担ぐことができなくなった。

突然の転倒は単純な疲労蓄積のせいだったのか否か、転倒した時に葛西は呂律が回らなくなって言語が不明瞭だったというから、脳内の血管が切れるか梗塞した恐れもあるし、直接の死因は低体温症だが後の司法解剖ではやはり脳梗塞の所見が認められたようだ。悪天候の中で長い時間、激しい風雨に晒され続けたことで脳血管障害が発症した可能性も高いと思うが、2泊3日の山行計画で『10日分以上の食料の準備』というのはリーダー葛西の周到なリスク管理意識の現れであるが、結果として『重装備過ぎることの弊害・疲労』のほうが目立ってしまったのではないか。

山の遭難事故では『軽装備・準備不足』といった持ち物の少なさが非難されやすいのだが、登山というのは『持っていけるだけの装備・食料』を持っていけば安全というわけでは当然ない。『自分の体力・体格に見合った重量のパッキング(重たすぎて疲れるということがない程度のザックへの詰め込み)』こそが最も安全なのであり、このトムラウシ山遭難事故でも、10日分も過剰に食料を持っていかずに精々5~7日分程度の予備(山行計画は2泊3日であり夏期のトムラウシ山の小屋には大勢の登山者もやってくるのだから)で十分だったのではないかと思う。

途中ですれ違って救助に走ってくれた地元の登山ガイドも、葛西の背負っていたザックの重量に驚いており、重すぎるからザックを置いていったほうが良いとのアドバイスをしていたというが、現在の登山では『ウルトラライトな装備(できるだけ軽い装備・持ち物)の流行』をスタイルだけではなく安全面・体力面でも考慮しておく必要がある。

一緒にトムラウシ山の麓の辺りでビバークした葛西さんと加藤さんの『最後の会話』は胸を打つものがあり、亡くなられる直前までの葛西さんが明晰な意識と記憶を保っていたことが分かる。葛西さんは自分の死の不可避を悟りながらも、加藤さんに明るい思い出話でも話しかけて落ち込ませないために必死に話し続けていたのではないかと加藤さんは述懐しているが、元々の葛西さんの責任感の強さや思いやりの深さが伝わってくるエピソードである。後わずか半日だけでも山中の厳しいビバークに耐える体力・健康が葛西さんに残されていれば、4人全員が生きて下山することができたのにと残念でならないが、『北海道の山の気象と気温の変化の激しさ』については改めて本州・九州の感覚で考えていてはいけないなと認識を新たにさせられる。

ここで紹介した遭難事例以外にも、『立山連峰の凍死』『剱岳の異常降雪・暴風雪』などが取り上げられているが、いずれも山域の自然の猛威を前にした時の人間の儚さ・脆弱さを感じさせる気象遭難であり、自然はどれだけ科学・道具が発達しても完全に予測したり制御できるような代物ではない。『遭難の極限状況(生命の危機)に陥らないための事前の準備・方策』について、それぞれの登山者が自分の経験・技術・体力に合わせて考えていかなければならないが、美しくも恐ろしい山とどのように安全を確保して向き合っていくか(自分や仲間の生命を危険に晒さないようにできるか)が登山者の持つべき倫理でもある。

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