羽根田治『ドキュメント 単独行遭難』の感想

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以下は、『ドキュメント 単独行遭難』(羽根田治著、 ヤマケイ文庫)の紹介と感想になります。

登山には『仲間と一緒に登る楽しみ』『自分ひとりで単独行で登る楽しみ』とがある。自分ひとりだけで山に登る『単独行』は、人によっては危険な行為だと注意されることもあれば、単独行こそが誰に気兼ねすることのない自由気ままな山行の醍醐味であると語られることもある。

現代の登山者の多くは山岳会(学生なら登山部)・登山サークルにでも参加していない限りは、好んで単独行をするというよりも、実質的に誘える相手があまりいないので単独行になってしまうことも多いだろう。大人になって働き始めたり結婚したり子供が産まれたりすると、登山好きの友人知人がいたとしても、おいそれと登山には誘いづらくなるし、休日のスケジュールを合わせるのも難しくなるからである。

単独行の魅力は何といっても『自分の都合だけで自由気ままに動けること』『登山中の行動と休憩を気兼ねせずにできて、景色を思う存分眺められること』『登山計画の変更(中止・延期・続行)を自分ひとりの体調と意思で決定できること』だろう。山の単独行は一般に危険と思われがちだが、『難易度の低い山・危険箇所のない山・春から秋の雪のない季節・登山道をたどるコース・日帰り登山(歩行距離も長くない)』であれば、大半の山は自分ひとりで登っても気をつけていれば大丈夫なはずである。

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単独行で一番大きなリスクは何かと言ったら、『滑落・転落・落石・雪崩などで大怪我をして行動不能になった時』に、その場で誰も助けてくれないことだろう。携帯電話(スマホ)の電波が届かない場所で大怪我をして遭難すれば、文字通り山中で完全に独りきりの状態になり、怪我がひどければひどいほどに『死の不安・恐怖』に苦しめられることになる。山の日暮れは早い、大怪我をしてその場から動けなくなり、日が落ちてしまえば、平常な心理状態ではまずいられないだろう。

物理的に助けてもらえないということもあるが、山での大怪我は致命的なものでなくても骨が肉を破ってつきでるような開放骨折、重症の擦り傷や切り傷による多量の出血(傷口の損傷の見た目が痛々しいもの)など、ただでさえ精神状態が動転して大きな不安・恐怖に陥るようなものが多く、一人で誰も話す相手がいないと精神的な心細さ(誰にも見つからずにこのまま死ぬのではないかという恐怖)が極限まで高まりやすいものである。怪我をしていない時の『道迷い』でさえ、単独行だと正しいルートがどっちだったかとかなり焦る気持ちになりやすい。

本書には『単独行で遭難した人の経験談』が7事例も収載されていて、『単独行で怪我をせず遭難しないための心構え』を学ぶことができる。登山者が死ぬ思いをした単独行遭難の記録ではあるが(痛くて恐ろしい思いをした遭難者には申し訳ないが)、単純に山岳小説的な読み物としても面白い内容に仕上げられている。7つの遭難事例それぞれの特徴や原因があるので、自分自身が単独行の山登りをする時にも参考にできるポイントを多く見つけることができるだろう。

単独行遭難の事例として、『奥秩父・唐松尾山』『北海道・羅臼岳』『秩父・両神山』『北アルプス・徳本峠』『加越山地・白山』『北アルプス・奥穂高岳』『尾瀬・尾瀬ヶ原』が収録されているが、この書評では『北海道・羅臼岳』『北アルプス・奥穂高岳』の2つの概略と感想を書いてみたいと思う。

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『北海道・羅臼岳』では、黒田晋(仮名・38歳)が北海道に長期のバイクツーリングと登山の旅に出かける。3週間の長期休暇を利用したもので、バイクで北海道各地を旅しながら、斜里岳(しゃりだけ)・羅臼岳(らうすだけ)・幌尻岳(ぽろしりだけ)に登る予定であった。東京創山会に入会しており、八ヶ岳の冬季登攀や谷川岳の雪上訓練など素人登山のレベルを越える経験を積んでいた。

事前計画書では、羅臼温泉から羅臼岳に登り、羅臼平経由で岩尾別温泉に下山、木下小屋に宿泊する予定となっていた。羅臼岳頂上には午前11時到着の予定、12時までに登頂できなければ登山中断で羅臼温泉に引き返すという慎重な計画であり、装備もピッケルに軽アイゼン、シュラフ(カバー)、ガスストーブをはじめなかなかの重装備(約15kg)で、準備不足だったわけでもない。

雪渓が続くコースなので早めに軽アイゼンを装着し、防寒対策としてゴアテックスのレインウェアを羽織ったスタイルで登っていた。黒田晋が遭難するきっかけになったのが、左右に分かれている分岐点で登山地図にはない『第三の道(羅臼岳に直登できると思えた道)』を選んでしまったことである。右に行けば羅臼平、左に行けば羅臼平と羅臼岳頂上の中間地点にでる分岐点で、素直にどちらかのコースに行くべきだったが、ショートカット(近道)をしたくて第三の道を行ってしまう。その結果、頂上には着かずに困難な道を分岐点まで逆戻りせざるを得なくなる。

そして分岐点に戻る雪道の途中で足を滑らせて滑落してしまう。勢いよく雪渓を滑っていく体はピッケルを突き立てる滑落停止姿勢を取っても全く止まることができず、本人の感覚では200メートル近くも滑落してしまったのである。不幸中の幸いは、これだけの滑落をしながらケガ一つしなかったことだが、時計を見ると既に3時間半も時間が過ぎて、午後1時になっていた。羅臼岳山頂に到着する目標時間の12時を大幅に過ぎているので、本来であれば登頂を諦めて羅臼温泉に引き返さなければならなかったのだが、頂上がすぐ近くにあったために誘惑に勝てず、午後3時半に登頂した。

頂上からウトロ方面に下ることにしたが、ガスが出て小雨が降りだし、視界は20~30メートルにまで狭くなってしまった。雪山での思わぬ滑落を経験した黒田だったが、順調に下山の行程を進むことができれば、木下小屋(午後5時半に到着予定)に1時間遅れの午後6時半には着けるのではないかと見ていた。しかしガスと雨で視界が効かないこともあり、銀冷水の先で下りる道を見失ってしまい、道に迷った。沢水に行き当たったので、イワウベツ川源流の支流であろうと目星をつけて下っていくことにした。

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黒田の選択したイワウベツ川を下るルートは確かに木下小屋に通じる正しい道だったが、黒田は夕刻にザックを置きっぱなしにしてその場を離れて登山道がないか探索するという『痛恨のミス』を犯してしまう。電話がつながるピークに出て、北海道警察に『羅臼岳で道に迷った』と伝えられたのだが、色々としゃべっている内に日が暮れて真っ暗になってしまったのである。警察に電話したことで救助には来てくれるが『遭難した状況』が確定されてしまい、家族や山岳会の仲間を含め周囲が心配して大騒ぎすることにもなった。

単独行の登山ではザックはよほど目印が明確な場所でない限りは、『ザックを置いての行動』はタブーであり、樹林帯などでザックを置けば再び見つけ出すことはかなり困難になる。まして夕方過ぎの日暮れ時にでもなれば完全にアウトで、自分の荷物(食べ物・防寒着・ツェルトなど)を取り出せなくなってしまい、夜間に山中でビバーク(露営)する時にはかなり厳しい状況に置かれてしまう。結局、朝方までほとんど一睡もせず何も食べずに、6月の寒い北海道の山の夜を乗り切るのだが、警察の指示を無視して川沿いを1時間ほど下っていると、あっけないほど突然に木下小屋の裏に出てしまった。何とか自力下山こそできたが警察に連絡していたので、早朝から救助隊が既に出動しており、救助隊にも家族・山岳会にも迷惑をかけることになってしまった。

滑落してひどい大怪我をして瀕死の状態まで追い込まれた遭難事例として、脚を開放骨折して肉が腐敗しつつも救助されるまで2週間近くかかった『秩父・両神山』があるが、登山者憧れの北アルプスの奥穂高岳・西穂高岳の縦走コースで遭難した『北アルプス・奥穂高岳』の岩場からの滑落事故の大怪我もかなり痛々しいものである。

『北アルプス・奥穂高岳』では、初めての富士山登山を契機に登山の魅力に目覚めた宮本幸男(仮名・26歳)が、北アルプスで『上高地―涸沢―北穂高岳―奥穂高岳―西穂高岳―上高地』のコースで、長距離かつ危険箇所も多い縦走登山の計画を立てている。前日は友人宅で一泊させてもらった宮本は、速乾性のアンダーウェアと冬用の厚手フリース、下はポリエステルの登山用ストレッチパンツの服装で山域に踏み込んでいった。山小屋素泊まりの予定なのでテントやシュラフ(寝袋)こそ持っていなかったが、きちんと一通りの登山道具を揃えての単独行である。

人が多くて涸沢小屋でゆっくりと眠れなかった疲れもあったのかもしれない。北穂高岳・奥穂高岳までの山道はそれほど険しいものでもなく、初心者でも慎重に登れば危険性は少ない。宮本は途中で北穂高岳まで往復登山するという二人の山ガールと出会い、二人が登山経験が少ないというので心配して、一緒に連れ添って北穂高岳に登頂した。午前5時半に山小屋を出発して午前10時前後の北穂高岳登頂で、天気は快晴で遮るものがない山頂からは絶景のパノラマを堪能することができた。山ガールとはここで別れて、単独になってからペースを上げて、奥穂高岳山頂に午後1時頃には到着することができた。

宮本はその日は穂高岳山荘で一泊してから、翌早朝から西穂山荘を目指す計画を立てていたのだが、天気が良くて疲れも感じず、早めに奥穂高岳に登頂できたために、『その日の内に西穂山荘を目指す』という欲を出してしまうのである。穂高岳山荘から西穂山荘までの道のりは標準コースタイムで約8時間、ただ距離が長いだけではなく危険な岩場が連続する難所でもあるから、本来は無理をせずに翌日の早朝に出発すべきだったのだが、午後1時から西穂山荘をハイペースの強行軍で目指すという無茶をしてしまうのである。

馬の背やジャンダルム、ロバの耳などの岩場の名所・難所の写真を見るだけでも、高度観と尾根道の幅の狭さが分かって普通の人ならかなりの緊張感・恐怖感を感じるが、こういった岩場の行程を『コースタイム短縮のハイペース』で乗り越えようとする計画はかなり危ないものである。奥穂高岳から西穂高岳に向かう稜線の尾根道は、初心者だと足がすくんでしまうような危険な岩場がずっと続いているので(実際にザックを下して休める場所がほとんどなく、多くの滑落事故・死亡事故が起こってもいる)、一般的な登山者はあまり足を踏み入れない場所でもあり、本書でも奥穂高岳の山頂のにぎわいが嘘のように途端に登山者がいなくなったと記している。

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宮本は自分の登山経験やボルダリングの練習で自分の登山の技術・能力を過信していた部分もあるのだろうか、休憩して少し歩いたところで浮き石を踏んでバランスを崩し、斜面をゴロゴロと転落していき、最後は5メートルほどの高さから岩場に股間を打ち付ける形で落下した。激痛でギャーッと大声を上げたというが、実際に陰部・尿道に深い裂傷を負っており、感覚のなくなった右脚の脛の肉はそぎ落とされていた。興奮状態で必死に岩場を岳沢小屋(だけさわごや)方面に下りていた本人は、脛部分の肉を抉り取られたような深い傷に、ビバークしていた夜中まで気づかなかったが、足を突っ込んでいたザックに血だまりができるほどに大量出血していた。

激痛を伴う血尿がでて出血の激しい満身創痍の身体で、夜の山の厳寒に耐えながら救助を待ち続けていた宮本の心中は察するに余りあるが、この遭難事例は単独行というよりは無理なタイムスケジュールの強行軍によって引き起こされたものであり、その原点は『自分の力量・体力の過信(安全策の事前計画を曲げても大丈夫と思い込んだこと)』にあったのではないかと思う。

本書を読んでみて、単独行はやっぱり危ないからやめようと思う人もいるだろうが、遭難の原因は『単独行以外の部分』にあったのではないかと思う人もまたいるのではないかと思う。私自身も単独行の登山が好きでたまに近場の山に登るのだが、危険個所が少なくて安全確保のロープワークが不要な一般の登山であれば、単独行だから極端に危ない状況に陥るということは少ないだろうと思う。

誰かと一緒に登ればより安全性が高まるわけでもないことは、一定の登山経験がある人であれば分かって頂けるとも思う。『他人のペースに無理に合わせて登る疲れ・ストレス』『同行者がケガや病気をした時の倫理的・義務的な救助活動(自分一人なら自力下山できてもケガや不調の同行者がいれば一緒に遭難することにならざるを得ない)』によって、単独行の登山よりも誰かと一緒の登山のほうがリスクが高まってしまうこともあるからである。

登山は自己責任とはいうが、よほどギリギリの致命的状況でない限りは、一緒に山に登った仲間をその場に残して自分だけが下山する選択に迷う人はやはり多い。過去の遭難事故では、大怪我をしたり意識を失った友人知人を置いていけずに一緒にその場に残って、命を落としてしまったような人もいるわけで、自分の登山の安全哲学や自己責任、慎重さに適度な自信・納得がある人ほど、むしろ単独行のほうが安全なケースもあることが分かっているであろう。

いずれにせよ単独行の登山を楽しむのであれば、最大限の努力で人・家族や地域、警察に迷惑をかけないようにしなければならないのが原則で、一人で登山する場合には必ず『登山届』を出して家族や知人に『いつどこの山にどのルートで登るのか』くらいは伝えておくことである。『登る山とルートについての十分な情報・知識』を得て『無理のない慎重な登山計画』を立て『必要十分な適度な重量の装備』を持つこと、そして実際の登山において『場当たり的な計画変更・滑落転落につながる不注意な動作(疲労感を感じながらの歩行・登攀)』をしないように気をつけることが何より大切なのだと思わされた。

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