辰野勇『モンベル 7つの決断 アウトドアビジネスの舞台裏』の感想

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以下は、『モンベル 7つの決断 アウトドアビジネスの舞台裏』(辰野勇著、 ヤマケイ新書)の紹介と感想になります。

登山靴やザック、登山ウェアを製造販売する登山道具のメーカーにはさまざまな会社があるが、その多くは欧米の会社でデザインやカラーバリエーションが優れていても、機能性がいまいちで、日本人の体型・足型に合わず価格が高すぎることも多い。『モンベル』は登山者なら誰もが知っている登山道具・登山ウェアのメーカーで、『間違いのない品質水準の高さ+高すぎない適正価格』で高い人気を維持し続けている。

登山上級者になればそれぞれのブランドの好みが出てきて、登山靴でもザンバランだとかローバーだとかの高級な登山靴を購入する人も多いが、登山初心者でどれを買えば良いか分からない人であれば、とりあえずモンベルの直販店に行って店員に相談しながら買えば大きな間違いや購入後の後悔はないだろう。

登山をこれから始めようとする人はレインウェアをどれにしようか迷いやすいものだが、ゴアテックス製の防水透湿性の高いレインウェアは基本的に高額であり簡単に買いなおせないものである。だからこそ、よく分からなければとりあえずモンベルの定番中の定番である『ストームクルーザーの上下』を買っておけば、機能性と実用性では絶対に後悔することはないはず(登山だけでなく日常用のカッパとしても活躍するはず)である。

デザインに奇抜さや派手さはないのだが、登山をするのに必要な機能性がしっかり備わっているベーシックな登山ウェア・登山靴・ザックなどをモンベルだけで一通り揃えることができるのは強みである。確かに、ファッション性やカラーバリエーションでモンベルより魅力のある海外ブランドは多いけれど、『見かけの格好良さ』は登山では二の次で品質・機能が第一だし、ある程度登山を何回かやってみて慣れてから、いろんなブランドの商品を探してみても遅くない。

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モンベル7つの決断 アウトドアビジネスの舞台裏 (ヤマケイ新書) [ 辰野勇 ]

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ブランドの好き嫌いを除いて、登山道具の品質面だけで考えれば、モンベルだけでかなりハードな『冬山登山』に必要な道具・ウェアの一式をすべて揃えられるくらい(当然、自分の体力・技術・経験が居るので道具だけで登れるものではないが)には充実している。本書はモンベル創業者で、自分自身も登山家・冒険家として多くのチャレンジをしてきた辰野勇(たつのいさむ)さんの本で、『アルパインスタイル的経営哲学』と銘打たれているが、モンベルの創業時の苦労から成長期の挑戦まで色々な話題が散りばめられている。

登山は『体力・技術・道具・知識・チームワーク』と相関するリスクマネージメントの連続であり、リスクを取ったり避けたりする会社経営とも共通する要素がある。本書の冒頭では、人間の生きる力を構成するものとして『集中力・持続力・判断力・決断力』を上げており、この中で辰野勇氏が特に登山を通して学びとった重要な力は『決断力』だったとしている。登山家は用心深く怖がりでなければならないとするが、急な天候悪化や危険な難所に対して注意深く準備したり判断したりしながらも、最終的には登山を続行するか撤退するか、どのようにして進むかの『決断』をしなければならない。

登山における決断がビジネスにおける『リスクマネージメント』につながるとし、辰野勇氏はこれまでの30年間の間(2006年当時)に下した重要なビジネス上の決断が『7回』あると語る。本書は、1975年のモンベル創業以降のこの7回の決断について書かれた本であり、この決断がなければ今のモンベルはなかったほどの重要な決断だったのだという。アウトドアや登山に関するビジネス書という異色のジャンルの本であるが、『モンベル』という総合アウトドアブランドの歴史と創業者の思想・信念についても学べる面白い内容になっている。

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第一の決断は『28歳、資金ゼロからの起業』ということだが、辰野氏は実家が寿司屋の自営だったこともあり元々サラリーマンになるつもりはなく、高校生にして既に『28歳になったら独立して自分で山に関わる事業を始める』という明確な人生設計があったというから驚かされる。そういった起業に関する人生設計を持つようになったきっかけは、国語の授業でハインリッヒ・ハラーのアイガー北壁登攀記『白い蜘蛛』の一節に出会ったことであり、『アイガー北壁の日本人初登攀』『28歳の時点での独立起業』を目的に定めることになった。

1947年生まれの辰野勇氏は、1969年に本当にアイガー北壁の日本人の第二登攀の記録を成し遂げ、日本人初登攀こそできなかったものの、日本のトップクライマーの仲間入りを果たしているのである。有言実行で決断力を発揮して、人生設計をぐいぐいと前に進める力強さが20代前半にして既に備わっていたとも言える。大阪で登山用品専門店の白馬堂に勤めながら、21歳の時にアイガー北壁登攀(当時の世界最年少登攀記録)をやり遂げて、アイガー北壁でパートナーだった中谷三次、アイガー北壁日本人初登攀の高田光政と一緒に『日本初のロッククライミングスクール』を開設した。

次に総合商社の繊維部で働いて商品企画・製造販売にまつわるビジネスのノウハウを学び、高機能素材を扱う米国デュポン社とのコネクションができた。高機能素材を活用してより良い登山道具を作りたいという夢を叶えるためには、メーカーに売り込む総合商社ではなく自分自身が『物づくりをするメーカー』にならなければならないことに気づき、辰野氏は28歳の誕生日に商社を退職して、大阪西区立売堀の雑居ビルの一室で『モンベルの原点』となる起業を決断したのだった。

資本金ゼロからのモンベルのスタートは無謀にも思えるが、『お金』よりも『時間・タイミング』こそが重要であり、お金は知恵と努力があれば何とかなるが、十分なお金ができるまで待っていたらいつまでも起業(決断)できないとする辰野氏の考え方は正に『アントレプレナー(起業家)』のリスクテイクである。辰野氏は家業ではなく組織として企業を起こすことを決め、『少なくとも30年間は規模を拡大し続ける必要がある(世代交代を成し遂げて平均年齢を若く保ち企業を持続させる)』や『日本の当時の登山市場の約2割に当たる100億円の売上を目指す』という大きな目標を設定して実現に動くのである。

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デュポン社の軽くて保温性の高い新素材『ダクロン・ホロフィルⅡ』を活用した寝袋(ダクロン・スリーピングバッグ)が、モンベルの登山商品で初のヒット商品になったが、ハイパロン・レインウェアやオーロン・フリースなどのモンベル初期のヒット商品のほぼ全ては『デュポンの機能性新素材の独占使用権』に支えられていたものであった。

モンベルは創業3年目の1977年に海外市場への進出にチャレンジするが、アルピニズム(近代登山思想)発祥の地であるヨーロッパ(ドイツ)では思うような成果を上げられなかったものの、辰野氏はヨーロッパ最大の登山用品専門店『スポーツ・シュースター』に飛び込み営業をかけて一定の注文をもらうという大きな成果を上げた。

『小さな世界戦略』という第二の決断は、モンベルの海外市場開拓に大きな貢献をするが、その背後には思うようにいかない多くの失敗やアメリカ市場での訴訟トラブルもあった。しかし、辰野勇氏の飛び込み営業を果敢にしかけるチャレンジ精神は、起業家にとっての何にも勝る武器であり、モンベルをグローバル企業のブランドとして成長させることにもつながったように思えた。

第三の決断は『パタゴニアとの決別』であるが、パタゴニアを起業したイヴォン・シュイナード氏から初対面で気に入られて、パタゴニア代理店として日本でのビジネスを任せられることになる。当時の登山用品のクオリティーでは、モンベルのほうがパタゴニアよりも上だったが、モンベルが機能性素材を提供してパタゴニアが商品化する形で、1984年から本格的な提携ビジネスがスタートした。モンベルは代理店となり、パタゴニア商品の日本国内での販売を引き受けたが、初めこそ気候の違いなどで苦戦したものの、次第にパタゴニアはアメリカのライフスタイル衣料として支持を広げ、3年後の1987年にはモンベルの総売上の約4分の1をパタゴニア商品が占めるまでになっていた。

しかし、パタゴニア商品が売れすぎることは、モンベルという自社ブランドの構築・成長の妨げになるだけではなく、パタゴニアが他社に買収されて商品を扱えなくなるリスクとも背中合わせであった。辰野氏はここで儲かっているパタゴニア商品の代理店販売をやめるという大きな決断をして、1987年に即座にパタゴニアとの円満な契約解消をするのだが、契約解消をしたその年から『失ったパタゴニアの売上以上のモンベル独自の商品の売上増加』を成し遂げたというのは凄いことである。

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モンベルのビジネスが急成長する転換点となった第四の決断は『直営店出店』であり、問屋・小売店に卸売りする“BtoB”ではなく、自前の直営店を構えてお客さんに直接商品を手に取って見てもらえる“BtoC”を始めたということだが、これは当時としては『登山用品メーカーが小売も手がける画期的な挑戦』でもあった。

第五の決断は『価格リストラ』であり、定価のメーカー希望小売価格を2~3割下げることによって、『販売店舗によって実売価格が異なる不公平の解消・小売店同士の過度の値引き競争の抑制』を図ったのである。モンベルの商品は基本的にどこのお店でも値引きの安売り販売はしておらず、『定価販売』が原則になっているが、それはこの価格リストラによって初めから定価を安く設定しており、それ以上安い価格で値引き競争的な販売をしないようにしているからである。

元の定価が高いメーカーの製品は、シーズンを外れれば半額近くまで値引きされたりすることも多いが、モンベルには基本的にそういった値引き販売がない。値引き販売がないことに対する不満も多いが、どこのお店でも割安な定価で変えるという安心感や公平感のメリットもやはり大きいのである。

第六の決断は『モンベルクラブ会員制度発足』であるが、無料会員がほとんどである現状で、敢えて会報誌の制作費・郵送費を賄って長く会員制度を持続していくために『年会費1500円』を徴収する仕組みにしている。会員になることが無料で当たり前という意識が根付いている現代において、年会費1500円を継続的に支払ってくれる優良顧客を集めることは簡単なことではないが、2014年9月の段階で会員総数は50万人を超えていて会費総額も7億円以上というから、モンベルという登山ブランドが如何に大勢の人から愛されて信頼されているかが分かる。

会員になると商品購入でポイントが加算され、フレンドショップでの割引があって、無料カタログや会報誌『OUTWORD』が郵送されてくる。しかし、モンベルクラブ会員制度に入会して、年会費1500円を継続的に支払ってくれる顧客というのは、モンベルの単なる優良顧客というだけではなくて、自然・登山を愛好してモンベルと価値観を共有してくれているスポンサーみたいな存在になっている。

第七の決断は『アウトドア義援隊』で、企業の社会貢献活動や社会的責任を果たす経営とも関係する決断であるが、1995年の阪神淡路大震災や2011年の東日本大震災をはじめとする災害救助や物資援助においてモンベルはアウトドア義援隊を派遣して少なからぬ貢献をしてきている。辰野勇氏の一貫した信念として『やらないことで、後悔したくない』があるが、ここまでエネルギッシュに自分の歩く道を自分で選んで果敢に行動できる人というのはそうそういるものではなく、その起点にあるアルピニズム精神が起業・経営・社会貢献・人格練磨のすべてにおいてプラスに作用してきた人生なのだろうと思わせられる。

モンベルという会社や辰野勇という登山家・冒険家を題材にしたビジネス論として読み応えのある本書だが、モンベル創業時に考えていたという企業が身につけるべき5つの要素『企画力・生産力・営業力・資金力・広報力』は、経営者であれば常識的なことなのだが、実際の現場でそれを積極的に実践し続けることは生半可な能力と気力では無理である。

モンベルにおいてパワフルで挑戦的な経営を実現しながら、30年以上先のビジネスプランを思い描いて競争力をつけてきた辰野氏は、『旧来の日本型雇用の維持=社員の人生を支える終身雇用を前提とした家族主義経営・反派遣労働』に向けて努力を続けているという意味でも、自分さえ儲かれば良いという経営者ではない。社員や顧客と一丸になったチームワークで企業活動を盛り立てていき、利益がでればその一部を積極的に社会貢献・災害援助などに割り振っていくという倫理観に根ざした経営哲学を本書から感じ取ることができた。

辰野勇氏は更に『今から30年後のモンベルの未来』をイメージしており、モンベルがこの先30年以上生き残っていくためのたった2つの条件として、『30年後もモンベルが社会から必要とされ続けていること』『事業活動の採算が取れて利益が出ていること』を挙げている。

社会が必要とする事業を行い、かつその事業で採算を取るというバランスを保つことがモンベルが30年後も存続している条件というわけだが、これはあらゆるビジネスや会社にも適用できる『普遍的な原則論』である。社会や人に必要とされ感謝される事業を行って、それで利益を得て社員にも十分な給料を分配できたなら、正に経営者冥利に尽きる状態であり、本来すべてのビジネスや会社経営はそのような倫理的なバランスの上に立っていなければならないのだろう。

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