大雪山(だいせつざん,旭岳2291m・黒岳1984m)

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大雪山の標高・特徴・歴史

大雪山の標高は、『2291m』である。登山難易度は、中級者向けの山である。前夜泊の日帰り、前夜泊の1泊2日の縦走登山となる。旭岳のみであれば日帰り登山が可能だが、旭岳・黒岳を縦走するなら1泊2日の登山行程になる。旭岳と黒岳の縦走は距離も長くて時間もかかるので、一気に登るよりもそれぞれ別々に登ったほうが余裕のある日帰りの安全登山を楽しめる。

大雪山の登山口のアクセスは、JR北海道の『旭川駅(あさひかわえき)』が起点となる。大雪山(旭岳)へは、『旭川駅から旭岳ロープウェーまでの旭川電気軌道バス(約1時間45分あるいは1時間10分)』である。黒岳へは、『旭川駅から層雲峡までの道北バス(約1時間55分)』である。

大雪山(だいせつざん)というのは特定の山の名前ではなく、北海道中央部の広大な山系の名称であり、大小20あまりの山・峰が連なっている。大雪山の山系はアイヌ語で『ヌタクカムウシュペ(川の湾曲の上にあるもの)』『カムイミンタラ(神々が遊ぶ庭)』と呼ばれていて、アイヌ人の山岳信仰とも深く関係していた。

標高2291mの旭岳は北海道の最高峰であり、標高2000m級の高峰が多く並んでいる大雪山は『北海道の屋根』とも称されている。

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旭岳(2291m)と黒岳(1984m)は大雪山で『表大雪(おもてだいせつ)』に分類されている火山群である。大雪山の山系は、『表大雪・北大雪・東大雪・十勝連峰』と大きく4つの山塊・区域に分類されている。旭岳を取り巻く2000m級の複数の火山が織り成す景観は、日本の名山の中でも格別に壮大かつ厳粛なものであり、旭岳の先にある北海岳・間宮岳・北鎮岳・凌雲岳などに囲まれた『御鉢平(おはちだいら)』という火口原を視界に入れる山系の景色は圧巻という他はない。

黒岳への登山口に当たる『層雲峡(そううんきょう)』は観光地としても知られた所であり、柱状節理(ちゅうじょうせつり)の断崖が約20キロにわたって続く峡谷である。高さ120mもある『銀河の滝・流星の滝』も見ごたえがあるが、層雲峡ロープウェーを使えば黒岳7号目まで登ることができ、そこから黒岳頂上までは約2時間(下山は約1時間)の行程となる。御鉢平の中央部には『有毒温泉』といわれる高濃度の硫化水素が噴出する温泉があり、旭岳の西にある爆裂火口地形の『地獄谷』は緩やかに白い噴煙を上げ続けていて、この一帯が活きた火山帯であることを示している。

大雪山は雄大な心に迫る景色だけではなくて、動植物の生態もバリエーションに富んでいて、トドマツやアカマツの広大な原生林や綺麗なお花畑が残されていて、チシマザクラやエゾオヤマリンドウ、ウラジロナナカマドなどの花・葉も季節ごとに楽しめる。9月中旬に最盛期を迎えて、山を赤・黄で華やかに彩る紅葉の季節は、日本国内で一番早いとも言われている。

雪渓・湖沼・池塘(ちとう)・巨岩と様々な地形を楽しむこともでき、動物では生きた化石ともいわれるナキウサギやクマゲラ、シマフクロウを見ることができる。昆虫類も天然記念物に指定されているウスバキチョウやダイセツタカネヒカゲなど珍しい種が存在している。旭岳には金庫岩、ニセ金庫岩、黒岳にはマネキ岩といった一際目立つ巨岩もあり、景観・地形・火山と珍しい動植物を同時に思いっきり楽しめる素晴らしい名山になっている。

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深田久弥の大雪山への言及

深田久弥は著書『日本百名山』で、大雪山の名称の歴史について『いつから大雪山と呼ばれるようになったのかはっきり分からない』と述べ、アイヌ語の『ヌタクカムウシュペ』という山名が明治・大正期まで用いられていたとしている。1907年(明治40年)の山岳雑誌『山岳 第二年』では、北海道在住の読者がまだ和名がついていなかった北海道最高峰の旭岳に『しろぎぬやま』という名前を提案しており、少なくとも明治期まではヌタクカムウシュペのアイヌ語名で呼ばれていたのだろう。

青函連絡船の大雪丸、北海道の急行列車の大雪号、大雪山国立公園の指定・宣伝などが出てきた昭和期から、次第に『ヌタクカムウシュペ』というアイヌ名は影を潜めていき、『大雪山(旭岳・黒岳)』という和名が中心になっていったと推測されている。ヌタクカムウシュペは元々はヌタプカムウシュペと呼ばれていて、『川がめぐる上の山』という意味で、原始的なアイヌの人達の確かな自然観察の目を反映した名前であった。大雪山系からは石狩川・十勝川という北海道の二大河川が水源を持って流れ出しているからである。

大雪山はアイヌ人のヌタクカムウシュペよりも広い山系を指しているが、深田久弥は元々のヌタクカムウシュペは『旭岳を中心とする火山群』であったとしている。北海道の屋根と呼ばれる大雪山には、北海道では貴重な2000m級の山がひしめいており、旭岳以外にも深田は北鎮(ほくちん)・白雲(はくうん)・北海(ほっかい)・凌雲(りょううん)・比布(びっぷ)・愛別(あいべつ)といった山の名前を書き残している。大雪山に登る登山口として『層雲峡(そううんきょう)・愛山渓(あいざんけい)・勇駒別(ゆこまんべつ)』の3つを上げているが、いずれも豊富な温泉が湧き出ていて、層雲峡には既に一般庶民では泊まりにくい高級旅館が建ち並んでいたのだという。

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層雲峡の登山口は当時もかなり整備されていたようで、軽装の遊覧者たちが登山バスで銀泉台まで行き、終点から『第一花園・第二花園』と呼ばれた見晴らしの良いお花畑まで散策していたのだという。そこからは登頂を目指す元気のいい人たちだけが、黒岳の頂上への急峻な山道を登っていった。

深田久弥は素朴な針葉樹の原生林の趣きを残す『勇駒別の登山口』から旭岳へと登った記録を残している。北海道最高峰の旭岳の優美さと気高さを賞賛しているのだが、林の中にある湿地帯の『天女ヶ原』、旭岳の鏡像を映す『姿見の池』、爆裂火口の地形を眺められる『地獄谷』などの地名と景観についても語っている。勇駒別温泉の湯浴み客たちは、随所で白い噴煙を上げている地獄谷あたりまでは物見遊山で登ってきていたようである。

深田が旭岳の頂上に立った日は絶好の秋晴れで見晴らしが良かった。大雪・十勝・石狩の連山を指呼の距離で一望することのできる絶景を楽しみ、更に遥か遠くには阿寒・知床・天塩・夕張・増毛といった北海道の主だった山々を360度見渡すことができたというから、最高の登山日和に恵まれたのだろう。

大雪山系は一般にゆったりとした稜線で女性的とか優しいとか形容されるけれど、その例外として急峻な岩峰を持つ愛別岳(あいべつだけ)を上げており、大雪山第二の高峰・北鎮岳へと登る途中で愛別岳が非常に良いコントラストになっていた。

北鎮岳から下って雲の平(くものだいら)を横切っていく高原散策の景観の素晴らしさについて感嘆しており、深田は『内地へ持ってきたら、それ一つだけでも自慢になりそうな高原が、あちこちに無造作に投げ出されている』と評している。大雪山の魅力とは、第一級の高原が無造作にあちこちにある事からも分かる『この贅沢さ・この野放図さ』なのだという。

大雪山を構成する山名の由来についても説明しており、桂月岳(けいげつだけ)は大町桂月(おおまちけいげつ)、間宮岳(まみやだけ)は間宮林蔵(まみやりんぞう)、松田岳は松田市太郎(まつだいちたろう)、小泉岳は小泉秀雄(こいずみひでお)にそれぞれ由来している。

参考文献

深田久弥『日本百名山』(新潮社),『日本百名山 山あるきガイド 上・下』(JTBパブリッシング),『日本百名山地図帳』(山と渓谷社)

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