ソシュールの言語論(シニフィエ・シニフィアン)と構造主義

スイスの言語学者フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857-1913)は、言語の歴史的起源や時間変化を探究する『通時的な研究』ではなく、同時代の言語の構造や一般規則を考察する『共時的な研究』を精力的に行い、近代言語学の礎を築くことに成功した。

ラング(文字言語)の構造を徹底的に分析したソシュールの言語哲学は、『差異の体系』『言語記号の恣意性』という基本的なアイデアを持っている。このソシュールの言語哲学の基本的なアイデアは、マルクス主義的な史的唯物論や直線的な発達史観の対極にあるアイデアである。つまり、今ある言語がその言語であるべき必然的な理由などは存在せず、『恣意的な社会的規則(社会的取り決め)である言語』をマルクス主義のような発展・進歩の視点から研究することはナンセンスであるという事である。

言語が何故そのようなルールや語彙を持っているのかに関して歴史的必然性はなく、ただ、機能的なパロール(声)の意志伝達を可能とする『ラング(言語規則)の社会的取り決め』とそれに従う『シニフィエ・シニフィアンの恣意的な言語構造』があるだけなのである。

言語を通時的に研究することによって分かるのは『言語の語彙・文法・用法・話法の変化』であり、『言語の進歩・発展・前進・洗練』ではないという考え方が前提にある。若い頃のソシュールは、インド・ヨーロッパ語族の母音に関する歴史研究(通時的研究)を行っていたが、後に、歴史的な通時的研究よりも現在の言語構造や規則を対象とする共時的研究を中心に行うようになった。

ソシュールの著書で最も著名なものは、ソシュールの死後に学生達が講義録を持ち寄って編纂した『一般言語学講義(1916)』である。邦訳でソシュールの研究や思想の詳細について知りたければ、丸山圭三郎『ソシュールの思想』が最もよく内容がまとまっている。

ソシュールの解明したシニフィアンとシニフィエで形成される言語構造やパロールとラングが結びついて解発される言語能力(ランガージュ)の発想は、フランス現代思想や構造主義の起点となった。ポストモダンの構造主義やそれ以降の構造主義的な思想は、世界精神を説いたヘーゲルや史的唯物論を主張したマルクスの思想のアンチテーゼとしての役割を果たすことになる。

ソシュールは、言語構造や言語規則を研究する際に、言語記号(シーニュ)を以下のように3つの枠組みに分類して考えた。ソシュールが主要な研究対象としたのは、コミュニケーションや感情伝達の道具としてのパロール(音声言語)ではなく、意味伝達や表現・記録活動の道具としてのラング(文字言語)であった。

ソシュールは、言語記号をシーニュと呼び、シーニュは言語表現や音声像として意味(内容)を指示する「シニフィアン」と、シニフィアンによって指示される言語内容(言語の意味・対象)である「シニフィエ」に分けられると考えた。「犬」や「猫」という言葉(音声)のシニフィアンは、その言葉によって指し示される「犬の意味(対象・形態・特徴)」や「猫の意味(対象・形態・特徴)」というシニフィエを持っている。「INU」や「NEKO」といった音声言語の記号であるシニフィアンは、必ずそれが指し示す対象(物質・意味・概念)としてのシニフィエを持っているのである。

ソシュールは、生成言語文法で知られるノーム・チョムスキーの提唱した生得的な普遍文法のような『言語の発生や起源の問題』については余り関心を示さなかったが、ランガージュ(生得的な言語獲得能力)の開発の為には言語共同体に所与の自然として存在するラング(言語の諸規則)が必要だと考えていた。

上記の言語定義の枠組みに従ってソシュールの言語理解をまとめると、パロール(音声言語)はラング(言語規則)を前提に発達し、ランガージュ(言語能力)はパロール(音声言語)のある環境において解発されるということである。つまり、ラング(言語の諸規則)こそが、ホモ・サピエンスのシーニュ(言語記号)の体系化の根拠であり、他者との意思疎通を可能にするものなのである。

ソシュールは科学的言語学を志向した人物であり、ソシュールが研究したのは社会共同体とは別個に自律的に存在するラング(言語規則)であった。ソシュールは、ラングを自然科学的な研究対象と見なして、『共時態のラングを対象とする科学的な言語学』を構想したのである。

ソシュール言語学の最も重要なポイントは、『言語の恣意性と分節作用』であり、思想史における歴史的意義は『構造主義の基本的アイデアの呈示』である。音声・文字としてのシニフィアンは、必ずそれが指し示す意味・概念としてのシニフィエを持つ。シニフィエには、「犬」や「人間」のように物理的実体を持つものもあれば、「優しさ」や「信念」のように物理的実体を持たず観念や概念として了解されるものもあるが、ソシュールは基本的にシニフィエを心理的に了解する概念(観念)として考えていたようである。

しかし、物理的なシニフィエにせよ観念的なシニフィエにせよ、それがその名前や言葉で呼び表されるべき必然的な理由は何も存在しない。今、「川」と呼んでいる水の流れを「海」と呼んでもよかったし、英語のように「river」と呼んでもよかったし、全く関係ない「イライカ」というような新語で呼んでもよかったのである。その意味においてシニフィアンとシニフィエの結びつきは恣意的なものであり、社会文化的な共通理解や取り決めによって結びつきが決定されているに過ぎない。

恣意的な言語は、物質世界と一対一で自然法則的に対応していないからこそ、国家・民族・地域・時代・文化圏によって言語は異なるし、歴史時間の進行によって言語は適応的に変化することが出来るのである。多種多様な言語の成立と分化の原因は、言語が何を指し示し、何を意味するのかという事については一般法則がなく、恣意的な社会的合意によってシニフィエとシニフィアンが結び付けられるからである。

このソシュールの考え方は、言語を対象とする哲学の伝統的な世界観である『実在論(世界の事物・秩序に対して名前がつけられるとする世界観)』を否定して、『言語は恣意的な差異の体系(言語の差異の体系によって世界の事物が分節され共通の世界観が作られるとする世界観)』であるとする構造主義的な考え方を持ち込むことにつながっていく。

言語記号のシステムは、物理世界の秩序の写像といったものではなく、記号システム内部の差異によって世界を分節する作用なのである。世界秩序や自然事象が先にあってそれに言語で名前を付けるという『実在論』の考え方ではなく、言語の差異のシステムが先にあって世界秩序や自然事象を構築するという考え方である。

言語の差異や対立を人々が共通認識することによって、世界が分節化され秩序が形成されるという『関係論への発想の転換』がソシュールの言語学にはあった。『通時的原因の追求や機能的価値からの演繹』ではなく『所与の構造』によって現象を理解するというこの発想の転換が、後に、文化相対主義を提唱したクロード・レヴィ・ストロースなど構造主義の思想家に大きな影響を与えることになる。

構造主義とは、ある一つの問題事象(社会現象)に存在する複数の要素から成り立つ構造を、それ以外の並列的な問題や現象に当て嵌めて論理整合的に説明できるという思想潮流のことである。基本的に、物事や歴史に優劣(進歩・未開)の差異を付けないという価値相対主義の視点を含んでいて、西欧中心主義や進歩主義的な歴史観を反駁する性格の思想となっている。

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