ロラン・バルトの記号論と意味作用

人間は、物事の意味を模索する動物であり、人生の意味を探求して苦悩する動物である。ロゴ・セラピーの提唱者で、ナチスドイツの強制収容所体験を綴った『夜と霧』の著者でもあるV.E.フランクル(V.E.Frankl, 1905-1997)は、人間の精神的なエネルギーの源泉は『意味への意志』であると説いた。

どんな過酷な極限状況にあっても、どんなに絶望的な苦境にあっても、『生存の意味への意志』を失わずに新たな意味を見出していければ、人間は絶望や苦悩をいずれ克服できるというのがアウシュビッツから生還したフランクルの経験的確信であった。

多くの人の人生は、『意味への欲望』や『価値への執着』によって展開していくものであるが、意味(meaning)とは何かと改めて問われると、確定的な定義を示すことは難しい。意味という概念には、場面や文脈によって使い分ける2つの様相があるからである。一つは『記号論的な意味』であり、もう一つは『心理的な意味』である。

『記号論的な意味』とは、『記号(言葉)で表現される内容・記号(言語)を介在して理解される内容』であり、『心理的な意味』とは、『ある事象・行為・表現に込められている理由・目的・肯定感情・意図』のことである。心理的な意味の中には、ある行為や出来事が特定の文脈(状況)の中で帯びてくる価値・意義も含まれていて、その重要な価値が生きる意味や働く意欲につながっていたりもする。また言語表現に明示的に表現されない『暗示的な内容』も意味の一部である。

しかし、『心理的な意味』も、意味を生み出す記号の作用(記号論的な意味)と無関係なわけではない。人間が認知して解釈する意味、他者とコミュニケイトして共感できる意味は、『記号(言語)の意味作用』を受けなければ意味を持ち得ないのである。

記号(sign)の機能とは、事物・現象・観念・感情を代理して表現することであり、記号の種類には、言語を初めとして信号・図像・象徴・指標・表象(イメージ)といった様々なものがある。この記号の構造と作用から、世界の基本原則や社会文化の特徴の分析を行う学問を記号学といい、ソシュールやヤコブソンの言語学、パースの記号学が記号学の系譜の嚆矢となった。記号論の研究、言語哲学(分析哲学)や論理実証主義にも大きな影響を与えることになる。

フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1867-1914)は、構造主義の言語学の立場から記号学(semiology)を提唱し、チャールズ・サンダース・パース(Charles Senders Peirce, 1839-1914)は、プラグマティズムの実用的意義の観点から記号論(semiotics)を構想した。

記号学(Semiology)記号論(Semiotics)を区別しない場合が現在では多くなっているが、事典的定義では、記号論(Semiotics)を記号学(Semiology)の下位分類としていることもある。記号論は、記号の本質と構造を探求して、人間の心による意味の生成・伝達・記号化のシステムを考察する学術的営為である。更に、記号の持つ意味作用と社会事象への影響を中心にした研究活動も行う。記号の意味作用によって自然現象や社会・文化構造、メディア機能を分析することが出来るので汎用性の高い学問になっている。

プラグマティズム(実用主義)の哲学者パースは、人間は記号のみによって思考すると述べて、『対象(object)・表記(representation)・表記の解釈者(interpretant)』の三者関係によって記号の意味作用を定義した。ソシュールの一般言語学では、シニフィアン(記号表現)とシニフィエ(記号内容)の相互的関係を意味作用と考えた。

アメリカの哲学者C.W.モリス(C.W.Morris ,1901-1979)は、その著書『記号理論の基礎』の中で記号論(semiotics)を『syntactics,syntax(形式論)・semantics(意味論)・pragmatics(実用論)』の3つに分類している。一般的な記号論の分類でも、以下のようにそれぞれ研究対象が異なる3つの下位分野があると定義されている。

ロラン・バルトの神話作用(デノテーション・コノテーション)

ソシュールの構造主義的な記号学の方法論を拡張して、社会環境の文化的諸関係を『意味作用の体系』としてセマンティクス(semantics,意味論)を中心に分析しようとしたのが、ポストモダンの思想家ロラン・バルト(Roland Barthes, 1915-1985)である。

音声言語や文字言語だけでなく、絵画、シンボル(象徴的事物)、ジェスチャー、音楽(メロディ)、信号などあらゆる記号の意味作用をバルトは研究対象とした。それら多種多様な記号が、複雑に組み合わせられることによって、人間社会の意味ある事象(行動・儀式・演劇・娯楽・宗教・儀礼)が生み出されると考えたのである。

即ち、無限個の組み合わせを想定することのできる『記号の体系』は、人間社会の『意味の体系』の必要不可欠な原資となっているのである。現代社会において、記号(言語・映像・デザイン・音声・歌・象徴・イメージ)の生成・伝達・普及は、様々なメディアを介して行われる場合が多い。ロラン・バルトの意味作用を中心とした記号論は、テレビや新聞、インターネット、ラジオ、雑誌といったメディアが民衆行動や社会現象、世論形成にどのような影響を与えることになるのかというメディア論を射程の範囲に捕えているのである。

ロラン・バルトは、邦訳書の『神話作用』の中で、一般応用されることの多い記号論の概念『デノテーション(明示的な意味)・コノテーション(潜在的な意味)』に触れている。これは、人間が多様な記号世界の中で受け取るメッセージには、絶えず意味の二重構造の作用(デノテーションとコノテーションの作用)が働いていることを示している。

流行のファッション・スタイルをマスメディアで宣伝していれば認知度が上がる。『流行のファッションの外見』のデノテーションは、単純に『今、多くの人が購入している衣服』という意味に過ぎない。しかし、明示的な意味と同時に『(流行のファッションをいち早く取り入れている)お洒落に敏感な人だ』『私も最新のファッションを取り入れないと、イケていないと思われるかもしれない』というコノテーションの意味作用が生まれてくる。

『六本木ヒルズの近未来的な高層建築』を例にとると、六本木ヒルズのデノテーションは『巨大できらびやかな複合商業ビル』に過ぎない。しかし、競争原理がシビアに働きだした現代社会では、六本木ヒルズは『勝ち組を物理的に象徴する』『経済的な成功者でないと入居できない』というコノテーションを帯びている。『東京大学』であれば、『東京にある国立大学』というデノテーションだが、『日本で一番入学が難しい大学である』『偏差値の高い成績上位者しか入れない』というコノテーションを持っている。

この記号論の意味作用には、「お洒落で綺麗な人だ」「勝ち組のお金持ちだ」「人並み外れて成績が良い」とかいった事柄に対して、個人が価値を承認するか否かは関係しない。お洒落なんて興味がないという人でもファッションのコノテーションは大方伝わるし、お金儲けなんて興味がない人でも六本木ヒルズのコノテーションは理解できる、偏差値による評価なんて無意味だという人でも難関大学のコノテーションは伝わっているという事である。私たちは、自分が暮らす社会に共通している価値体系や常識観念を元にして、デノテーションからコノテーションを反射的に窺い知ることが出来る。

あらゆる社会的関係性や社会的価値の認識は、デノテーションとコノテーションの二項図式によって解釈することが可能であり、私たちが日常生活で何気なく行っているコミュニケーションも『意味作用の二重構造』によって下支えされていると言っていいだろう。言語・記号・象徴・ファッション・車・演劇・テレビ・音楽・流行など社会にあるあらゆる情報(メッセージやサイン)は、意味作用の二重構造を持っていて、明示的な意味の背後に潜在的な意味を潜めているのである。

このデノテーションとコノテーションからなる意味の二重構造をバルトは『神話作用』と呼び、ポストモダンの記号論的な社会文化の分析の基盤にもなっている。社会事象や文化現象、メディア機能などを神話作用によって解釈することによって、記号論の応用分野は、メディア論、都市論、映像論、音楽論、モード論などの分野へ飛躍的に拡大することとなった。記号論の最大の特徴は、記号・情報の関与するあらゆる現象から、社会の基本構造を図式的に分析することが可能であるという事である。

高度資本主義によって運営される現代社会を、バルトの記号論の神話作用によって捉えると、自由・繁栄・幸福を実現する消費活動のデノテーションに、逆説的な反作用の抑圧や閉塞をもたらすコノテーションを読み取ることが多くなる。大量消費社会の快楽や繁栄の背後に、機械的労働や搾取システム、環境破壊、地域格差、女性差別など様々な矛盾や問題を見出す思想のパラダイムが、管理社会論やポスト・マルクス主義、フェミニズム、エコロジー思想、道徳的教育論などの現代思想の潮流に連結している。

現代思想の潮流と記号論の相関を見ると、意味作用を研究する記号論は、社会分析に当たって反体制的な批判主義を前提にしてしまうことが多いと言えるが、意味作用の記号論の実際的な意義は『人間社会の価値体系の柔軟な把握』であり『社会文化の多角的な構造分析』にあると考えられる。

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