西欧世界の哲学の起源

古代ギリシア文明の隆盛と衰退

古代哲学の代表的人物ソクラテス(B.C.470-399頃)以前に遡る西洋哲学の祖は、便宜的に自然哲学者のターレス(B.C.624-546頃)とされている。しかし、ターレス以前にも理性的な思考能力を持つ人間はもちろん存在したし、ターレスより昔にも人間は自然世界や人間社会を理解しようとして様々な知的活動を行ってきた。

ギリシア人達は自らをヘレネスと呼び、ギリシア語を話さない他民族をバルバロイ(Barbaroi:意味不明の言語を話す者)と呼んだ。ヘレネスとは、ギリシア神話に登場するデウカリオンの子の“ヘレンの子孫”という意味で、ギリシア人は神の血統を受け継ぐ勇敢な民族としてアイデンティティを形成していった。

バルバロイは元々、ギリシア人と文化や言語が異なる民族といった意味であり、ヘレネスよりも愚劣な者といった価値判断はなされていなかったと言われる。しかし、ギリシアの都市国家が強大な軍事力を持つようになり、多数の植民都市を作って征服した地域の住民を奴隷化するようになると、バルバロイには『ギリシア語を話さない野蛮な未開民族』といった侮蔑的な意味が込められるようになった。

“非ギリシア的な国家”としてギリシア世界の圧倒的な脅威となったのは、アケメネス朝ペルシア帝国であった。紀元前5世紀、3度に及ぶペルシア帝国の大遠征軍による侵略を、ギリシアの都市国家は団結して防衛することに成功する。ギリシア民族の危機となったペルシア戦争(B.C.500-449)の勝利を経験したことによって、ギリシア人達はますますヘレネスとしての民族的優越性に自覚的となり、非ギリシア人をバルバロイとして一段低い存在と見なすようになっていく。

ダレイオス1世やクセルクセス1世といった膨張期にあったアケメネス朝ペルシアを打倒したギリシアは、その後、ギリシア世界内部での絶え間なき内乱の時代に突入してポリス(都市国家)の文明と国力は衰退していく。ギリシアを代表するポリスであったアテナイとスパルタの間でもペロポネソス戦争(B.C.431-404)が起き、その後もギリシア内部でポリス同士の戦乱が続いて国力を疲弊させた。ポリス同士の戦争によって軍事力と経済力を摩滅したギリシア世界は、紀元前338年に、マケドニア王国のアレクサンドロス大王によって侵略されてしまう。古代ギリシア文明は、アレクサンドロス大王のギリシア遠征と支配によって終焉を迎え、ヘレニズム文化の時代が始まることになる。

ターレス以前のバルバロイによる宗教や魔術の要素を持つ哲学

理性的な哲学の営為は、ドグマや慣習としての宗教的信仰から独立することによって始まったが、ギリシア以外の土地で始められた哲学的営為は、完全に宗教や慣習から離脱したものとはいえないものであった。バルバロイによる哲学の萌芽としての思索活動は、魔術や卜占と区別できない神秘的なものが多かったようである。

その為、ギリシア以外のオリエンタルな土地に哲学の起源を求める場合には、宗教と哲学の中間領域にある思考活動や呪術儀式、土着の慣習などを含んだものになっていく。

ペルシア帝国には、ゾロアスター教の神官であったマゴスと呼ばれる人たちがいて、ミトラ神崇拝とも深い関係を持っていた。マゴスは、ゾロアスター教の宗教家であると同時に呪術師でもあり、カルデア人の占星術の密儀もその教義体系に取り込んでいった。カルダイオスと呼ばれた占星術師は、かつてバビロニア王国やアッシリア王国で政治判断の是非を占うような重要な役職に就いていた。天体の動きから人間の運命や国家の歴史を予測する占星術には科学的根拠などはないが、古代の文明国家においては自然科学のような信頼性を寄せられていたのである。

ゾロアスター教は、光明神アフラ・マズダと暗黒神アーリマンの善悪二元論を特徴とする宗教だが、ゾロアストレスという言葉には『星を崇める人(アストロテュテース)』という意味がある。アケメネス朝ペルシアの国教にもなったゾロアスター教は、天文学と占星術に大きな影響を受けた宗教だと考えることが出来る。

プトレマイオスやアリストテレスは天体観測を元にして天動説を主張したが、紀元前の昔には、天文学は哲学の一分野であると同時に、国家や民族の運命に関与するような非常に重要な学問の一つと考えられていた。中世の時代に至るまで天文学者や占い師は、天球儀を製作して占星術を行ったように、人類は長きにわたって、天体の運行と人類の営為に何らかの相関関係を見つけ出そうとしてきたのである。

しかし、近代に入って自然科学に基づく機械論的自然観が普及するにつれて、自然世界の事象と人間の人生や国家の運命を結びつけることは“非科学的な無意味な関連付け”だと考えられるようになる。自然科学の発展によって、天体の運行によって人類の運命を占うような占星術はナンセンスなものと見なされるようになったのである。

遥か東の古代インドでも、神秘的な言説を多く含むウパニシャッド哲学が構築され、ヴェーダと呼ばれる教典が編纂されていった。また、ガウタマ・シッダールタ(釈迦牟尼世尊)誕生の前には、ギュムノソピステス(裸の行者)と呼ばれるヒンズー教の僧侶がいて肉体を極限まで追い詰める苦行を実践していた。

ゼウスとヘラの子ヘパイストス(英:バルカン)は、ギリシア神話では武器を鍛える鍛冶の神や工芸の神とされるが、古代エジプト文明では、ヘパイストスはナイル所縁の神とされ、同時に哲学の始祖としても崇められたのである。

古代エジプトでは、古代ギリシアの自然哲学のような万物の根源(アルケー)に関する考察が行われていて、質料こそが万物の根源であり始原であると考えられていた。古代エジプトに生きた人々は、単一の質料から4元素(地・水・火・風)が分離して、この世界にある全ての生物や事物はその4元素より成り立っていると考えていたようである。

古代エジプト人は、太陽神オシリスや月の女神イシスを信仰し、それ以外にも動物や昆虫に神聖性を認めて犬の神アヌビスなども崇拝していた。彼らは、後のキリスト教やイスラム教と違って偶像崇拝を推奨し、壁画に神々の姿を色鮮やかに描き、創造的な作業で神々の彫像を作り上げた。古代エジプトの宗教儀礼については、ヘカタイオスの『エジプト人の哲学』などで述べられている。

こういったギリシア哲学以外の異文化が産んだ宗教的な思索の営みについて、アリストテレスはマゴスの教義について解説した『マギコス』の書に記録したといわれ、ソティオンは『哲学者たちの系譜』の第23巻の中で述べているといわれる。

『知恵を愛する者』としての哲学者のアイデンティティを最初に意識したのは、哲学者であり数学者でもあったピュタゴラス(B.C.582-496)であると言われるが、ピュタゴラスは神秘主義の影響を受けたオルフェウス教団の一派を創設しており宗教家としての顔も持っていた。ピュタゴラスは、客観的な数学的真理を洞察する理性を持ち、哲学・数学の分野の研究手法に宗教的観念を持ち込まなかったことにより、ターレスと並んで世界最初の哲学書と呼ばれることがある。

今まで見てきたように、バルバロイ(非ギリシアの思想家・宗教家)にも哲学的営為の端緒は見られたが、宗教儀礼や呪術行為の領域を完全に抜け出すことは出来なかった。宗教教義や神話伝承を離れて『知恵を愛する者』として、自分の頭(理性的思考)を使い世界や人間の諸問題と向き合おうとする行為を哲学と呼ぶならば、やはり哲学の起源は古代ギリシア世界にあるといえるのではないだろうか。

宗教や迷信に頼らず理性的思考によって世界の根本原理や人間の行為規範を考えていこうとするのが哲学であり、その起源はターレスを始祖とするイオニア学派とピュタゴラスを始祖とするイタリア学派とがある。一般的には、当時の文化・貿易・政治の要衝であったイオニア地方が哲学の始まりの地とされ、ターレスからアナクシマンドロス、アナクシメネスへと自然哲学は継承されていくのである。一方、ピュタゴラスのイタリア学派は、精神的な快楽主義と脱俗的な生活態度を追求したエピクロスにまで続いていく。

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