所有効果:WTA(売値)とWTP(買値)の差

一つのモノ(財物)に二つ以上の値段がつくことは合理的に考えればおかしい。一つのモノ(財物)に対して、市場が需給原理に基づいた一つの合理的な価格をつけるという『一物一価の法則(low of one price)』は経済学の基本原則でもある。しかし、現実の人間は『自分の持っているモノA』を売る時と、『自分がこれから欲しいと思っているものA』を買う時とでは、異なる価格をつけることのほうが多い傾向を持っている。

特に、『安全・安心・健康』などの分野においては、『自分の持っているモノ・状態』を売ろうとする時の価格は合理的な市場価格よりも高くなる傾向がある。このように、自分が所有しているモノの価値が実際よりも高いように感じられやすい心理効果を、行動経済学では『所有効果』と呼んでいる。

例えば、以下のような問題設定を考えてみる。

問題1

A.知り合いが1週間前に購入したばかりの新車を、自分が買う時にはいくらの価格を支払うか。

B.自分が1週間前に購入したばかりの新車を、知り合いに売る時にはいくらの価格にするか。

問題2

A.巨大な竜巻(ハリケーン)が発生する確率は0.1%であるが、この竜巻の家屋への被害を軽減するための防風設備のある改築にいくらまでお金をかけるか。

B.0.1%の確率で、家屋に一定以上の被害が生じるリスクのある映画撮影をしたいという申し出を受けた場合、映画会社にいくらの報酬を要求するか。

問題3

A.致命的ながんを発症している確率は0.1%だと宣告されたが、その境界型のがんのためにいくらの治療費を支払うか。

B.0.1%の確率で、致命的ながんを発症するリスクがある治験に参加する時、いくらの報酬を要求するか。

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多くの人は、自分がいったん購入した『新車・新築の家・新品のスマホや書籍』などを、実際の市場価格以上に高い価値を持っているものと思いがちである。所有効果は所有しているモノや財物が古びてくるにつれて、かなり下がってくるが、買ったばかりの新品に近い状態では相当に大きな『主観的な値上げの効果』が生じるのである。だから、何らかの事情があって買ったばかりの新築の家・新車を売らなければならない時には、大半の人が『自分が思っていたよりもずっと低い売値』を見てがっかりしてしまう事になる。

所有効果を説明するための上記の問題設定では、『問題1』でも『問題2』でも『問題3』でも、自分が所有していないものを買う時の『Aの価格』のほうが安くなり、自分が所有しているものを売る時の『Bの価格』のほうが高くなる傾向がある。1週間前に買ったばかりの新車の客観的価値は同じはずだが、『知り合いが持っている新車』よりも『自分が購入した新車』のほうが高い価値があるように感じるということである。

問題2でも、自分が所有している家(財物)がいったん自然災害の被害を受けた後に、その壊れた状態を修理するための費用よりも、自分が所有している家(財物)を壊されるリスクに対して要求される費用(報酬)のほうが高くなる傾向がある。問題3では、同じ致命的がんでも、自分が致命的ながんになった場合を想定してそれを予防しようとする場合の治療費よりも、自分から積極的にがんになるかもしれない治験に参加しようとする場合に要求する費用(報酬)のほうが高くなる傾向がある。

『問題2』と『問題3』は、行動経済学の教科書的な説明に用いられやすい例題ではあるが、これらの例題が『純粋な所有効果』を説明しているかは疑問な部分もある。

問題2は、『保有している財物が毀損した場合にそれを原状回復させるコスト(壊れた財物を元に戻す買値)』と『既に保有している財物が毀損するリスク(所有する財物の売値)』を比較しているように見えるが、『自己責任で対処すべき自然災害のリスク』『他者(第三者)が関係する財物毀損のリスク』との比較にもなっているからである。

問題3も同様に、『自己責任で対処すべき致命的がん(健康管理)のリスク』『他者(第三者)が関係する健康被害(致命的がん)が発生するリスク』の比較になっている。これらの例題は、所有効果というよりも『他人から危害を加えられる恐れがあると解釈することもできるケース』のほうが、客観的価値よりも高い報酬を要求されるということを示しているだけかもしれない。

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つまり、『自分のため・自分のせい(自己責任・自然現象・偶然の確率)に支払う価格』よりも『他人のため・他人のせい(他者からの要請やお願い・他者への協力・他者からの迷惑や被害)に支払う価格』のほうが、一般的に高くなる傾向があるのではないかということである。損害賠償請求が、慰謝料・精神的被害も加えることで、実際の被害額よりも破格に高い価格設定になりやすいこともその現れかもしれない。

例えば自動車事故でも、自分でモノにぶつけた自損事故で軽微な被害を生じても修理しない人は多いが、他人から軽く擦られただけでも実際の修理費以上の価格を要求したいような気持ち(実際以上に損をさせられた気持ち)になる人が多いということである。

健康被害の問題でも、客観的な因果関係の証明に難しいところがあっても、『自分がヘビースモーカーの人が肺がんになった場合』と『周囲にヘビースモーカーがいる状況で肺がんになった場合』とでは、後者のほうが『他人のせいで肺がんにさせられたのではないかという被害者意識(コスト感覚や損害賠償を求めたい気持ち)』が強くなるのは、人間の自然な感情・自己防衛機制の働きでもあるだろう。

この所有効果は、以下の三つの要因から説明されていて、株式投資などにおいても、自分が保有している株に実際以上の価値があると思い込む『所有効果』が顕著に見られやすい。所有効果は、市場取引で値段がつきにくい『健康・環境問題(環境美化・環境汚染)』でも強く働きやすい。

『綺麗な空気・水・景色の価値』などはそれを所有・管理している地元の人々には非常に価値が高いものに感じられやすいが、外部からやってくる開発者やビジネスマンにとっては二次的な価値に留まり、環境を汚染する開発事業・資源開発・ビジネスが行われやすくなってしまう。あるいは反対に、田舎の人にとっては綺麗な空気・水・景色などがあまりに当たり前にあるものに感じられて、実際以上に安い値段で土地や環境が売り払われてしまうこともある。

1.プロスペクト理論の損失回避

2.自分が所有(独占)しているモノに対する執着心・愛着形成

3.所有しているモノをいったん手放すと、同じ価格ではもう買い戻せないのではないかという不安感(過大評価や執着心と関係した値上がりの感覚)

行動経済学では、自分が所有しているモノや権限を手放しても良いという売値を『WTA(Willingness To Accept)』、自分が所有していないモノや権限を手に入れるために支払っても良いという買値を『WTP(Willingness To Pay)』と呼んでいるが、一般的に『WTA>WTP』という所有効果の不等式が成り立つ。アメリカの大学で行われた各種の実験では、売値であるWTAは買値であるWTPの約50倍にも上ると言われている。

WTA(所有するモノの売値)というのは、実際に自腹で支払うお金ではなく、もしも思い通りの価格で売れたらという想像に基づいているので、WTAはもしも思い通りに売れる機会さえあればこのくらいのお金は得られるだろうという『機会費用(機会コスト)』としての特徴を強く持っている。

WTP(手に入れたいモノの買値)のほうは、実際に自分が自腹で支払うお金になるので、機会費用ではなく『合理的かつ実際的な値付け(プライシング)』のメカニズムが働くことになる。WTA(売値)は『感情・欲求に基づく理想的で過大な評価』になりやすく、WTP(売値)は『市場の期待値に基づく合理的で現実的な選択』になりやすいため、一般的に『WTA>WTP』の不等式の状態(所有効果が働いている状態)になりやすいと考えられている。

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