茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す(ちゃにおうてはちゃをきっし、めしにおうてはめしをきっす):瑩山紹瑾

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茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す
(ちゃにおうてはちゃをきっし、めしにおうてはめしをきっす)

瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)

[出典]
『本朝参禅録』

[意味・エピソード]

瑩山紹瑾(けいざんじょうきん,諡号:佛慈禅師,1268-1325)は、鎌倉時代の曹洞宗の僧侶で『総持寺派(瑩山派)』の始祖である。曹洞宗の教団では第四祖として崇められ、釈迦・道元・瑩山は『一仏両祖』とされている。瑩山紹瑾は瑩山禅師と呼ばれることが多く、日本曹洞宗では永平寺派派祖の道元を『高祖』、瑩山派派祖の瑩山を『太祖』と尊称する習わしがある。

瑩山は師匠の徹通(てっつう,1232-1309)が、『平常心是れ道』の説話を話しているのを聞いて豁然(かつねん)として大悟したのだという。『我は悟った』と叫ぶ瑩山に対して、徹通は『どのように悟ったのか』と問うと、瑩山は暗闇の中を真っ黒な丸い玉が飛んでいるという意味で『黒漆の崑崙、夜裏に走る(こくしつのこんろん、やりにはしる)』と答えた。この時に、瑩山は『平等一如・真空無相・無心無我』の境地について語ったとされる。

まだ悟りが甘いと感じた徹通が『まだまだだ。更に悟りについて語ってみよ』と突っ込むと、瑩山はここで『茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す』とさらりと答えたのである。これを聞いた徹通は微笑して、『お前がこれから曹洞宗の宗風を興すことになるのであろう』と答えて、悟りを印可したという。

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平常心が道であると語った師匠の徹通に対して、瑩山は平常心こそが道というのであれば、『お茶の時にはお茶を飲むだけ、飯の時には飯を食べるだけのことである』と、日常を悩み迷わずに(正に平常心を持って)淡々と丁寧に生きることが悟りに通じると言ってのけたわけである。

身心統一の無我の境地で『禅定三昧(ぜんじょうざんまい)』に入りながらも、禅者であるなら『茶に逢うては茶を喫し、飯に逢うては飯を喫す』という余計な雑念・煩悩に惑わされずに平常心を徹底する行持(ぎょうじ)こそが大切なのである。

瑩山紹瑾が開いた能登(石川県)の総持寺は、越前(福井県)の永平寺と共に曹洞宗の二大本山とされている。曹洞宗中興の祖とされる瑩山は、永平寺の孤雲懐弉 (こうんえじょう) に得度を受け、徹通義介 (てっつうぎかい) に師事して道元の伝法衣を受け徹通を継いで大乗寺の住職となった。

応長元年(1311)に、弟子の明峯素哲に法衣を伝えて加賀の浄住寺に移って、更に能登に永光寺を開いている。元亨元年(1321)に能登の定賢から律宗の寺を寄進されるが、禅寺に改めて総持寺を開いている。総持寺を峨山韶碩 (がざんじょうせき) に譲った後に永光寺に移ってこの寺で没した。瑩山紹瑾には『語録』『伝光録』の著作がある。後村上天皇より仏慈禅師、後桃園天皇より弘徳円明国師、明治天皇より常済大師の号を追贈されている。

参考文献
有馬頼底『茶席の禅語大辞典』(淡交社),秋月龍珉『一日一禅』(講談社学術文庫),伊藤文生『名僧のことば 禅語1000』(天来書院)

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