アビダルマとは何か?:世親(ヴァスバンドゥ)・阿含経

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アビダルマ(阿毘達磨)とは、釈迦牟尼世尊(ブッダ,紀元前6~5世紀頃)の説いた教えの本質を、釈迦の死後300~900年が経ってから、仏教の僧侶・学者たちが研究して解釈して仏教の総合的な思想体系としてまとめたものである。アビダルマは一つの仏教経典を指すのではなく、仏教教義の解説書・論説書・綱要集のすべてを指すものであり、アビダルマは『アビダルマ・シャーストラ(阿毘達磨論集)』を読み解くことによって理解できるという学術的側面を持っている。

釈迦(ブッダ・仏陀)が入滅した後、その弟子の高僧たちが記憶していた生前の釈迦の言葉や教えをまとめ、その内容が僧団(サンガ)に伝承されていったが、この伝承された釈迦由来の教えのことを『アーガマ(阿含,教えの伝承)』と呼んでいる。アビダルマはアーガマ(阿含・阿含経)の研究や解釈の集大成でもあり、釈迦が死んだ後にアーガマ研究と教義の組織化(仏教教義の文献群)を生み出す原動力となった。アビダルマの原義は『ダルマ(法)に対する学習・研究』である。

古代インドでもっとも多くのアビダルマ論集を作成した学派として知られるのは、西北インドに勢力を伸ばしていた『サルヴァースティ・ヴァーディン学派』である。サルヴァースティ・ヴァーディン学派の言語的な意味は、『すべてがあると主張する者たちの学派』であり、中国はこれを漢訳して『説一切有部(せついっさいうぶ)・有部(うぶ)』と呼んだ。

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サルヴァースティ・ヴァーディン学派(説一切有部)のアビダルマ論集の成果をより発展拡張させて一つの完成形と呼ばれているのが、世親(ヴァスバンドゥ,紀元後4~5世紀頃)『アビダルマ・コーシャ(阿毘達磨倶舎論,あびだつまくしゃろん)』である。ヴァスバンドゥは漢訳名を『世親(せしん)・天親(てんじん)』というが、浄土真宗では特に七高僧の第二祖の『天親菩薩(てんじんぼさつ)』と尊称されている。

世親は一般的には大乗仏教における『唯識思想(ゆいしきしそう)・瑜伽唯識学説(ゆがゆいしきがくせつ)』の大成者として知られているが、人生の前半では部派仏教の説一切有部で高名な学者として名を馳せており、『阿毘達磨倶舎論(アビダルマ・コーシャ)』『勝義七十論』『無依虚空論』などを書き著している。

世親(ヴァスバンドゥ)の『阿毘達磨倶舎論(アビダルマ・コーシャ)』はアビダルマ的教義学書の典型的かつ代表的な書物である。『阿毘達磨倶舎論(アビダルマ・コーシャ)』は説一切有部の学説を基盤にして世親のオリジナルな仏教解釈も加えながら、仏教思想を体系的に組織だててまとめたものである。一般には、『倶舎論(くしゃろん)』として知られている。世親のアビダルマ論には、仏教の教義解釈の上でサルヴァースティ・ヴァーディン学派(説一切有部)と対立していた『サーウトラーンティカ学派(経量部)』の教義解釈も含まれているとされている。

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世親の『倶舎論』に象徴されるアビダルマの教義体系は、内容が細かくて煩瑣であり複雑な概念を多用していることから『煩瑣哲学(はんさてつがく)』と揶揄されることもあり、勉強が苦手な若い学僧たちから敬遠されることも多かったという。

くしゃくしゃと小難しい概念や理屈ばかりが延々と続くから『くしゃ論(倶舎論)』というのだといったユーモアもあるくらいである。アビダルマや倶舎論は、頭でっかちで理屈と言葉の学問だけで仏教の真髄を理解しようとする所があるということから、日本の倶舎論研究者である荻原雲来(おぎわらうんらい,1869年-1937年)『学者の玩弄物(がんろうぶつ)に過ぎない』という批判をしたりもしている。

倶舎論(アビダルマ)に対して持たれやすい偏見として、世俗の喧騒や欲望が届かない僧院の奥で難解な言葉・概念を弄びながらひたすら経典の釈義と思索に耽っているというものがある。だが、本来の倶舎論(アビダルマ)は『衆生の苦悩や迷いの救済のための知識』であり、ただ頭でっかちの理屈だけで終わるものではなく、仏教的な悟りの求道や衆生救済の実践に役立てられるものでなければならない。

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アビダルマの持つ歴史的な意義は、歴史上で初めて釈迦(ブッダ)の教えを体系的な思想として編纂しまとめ上げたということであり、その根本には釈迦(ブッダ)の断片的な言行録としての『アーガマ(阿含)』があるのである。釈迦の言行録であるアーガマ(阿含)の欠点は『体系性・統合性がない』ということであり、アーガマは断片的かつ短編的な釈迦(ブッダ)との対話集に過ぎなかったが、アビダルマはアーガマに含まれる仏教思想のエッセンスを抽出しながら壮大な仏教教義の思想体系を確立したのである。

大乗仏教の立場からは、アビダルマの価値は分析的で形式的に過ぎるとして低く見られることもあるが、アビダルマ以前の時代には仏教の思想・教義はアーガマ(阿含)のような断片的・短編的・挿話的なものしかなかったのであり、体系的かつ統合的な仏教思想の構築物としての『アビダルマ(倶舎論)』が生み出された意義は決して小さくはないのである。

アビダルマの後の時代に考案されていった大乗仏教の『中観説(ちゅうがんせつ)・瑜伽唯識説』にしても、釈迦(ブッダ)の言行録を体系的・統合的に集成したアビダルマの基本的知識の理解がなければ、現在のような思想哲学の形で発展していかなかった可能性が高い。アビダルマ・倶舎論に含まれる思想哲学の流れは、釈迦より後の時代を生きた仏僧(学者)たちによって生み出されたものなので、確かに『原始仏教の釈迦(ブッダ)本人の考えや教え』とは異なっている部分も多いと推測される。それでもなお、アビダルマという仏教の体系的な知識の長所と短所の両方を踏まえながら、その内容を学ぶ意義はやはり大きいのである。

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