四諦・八正道とアビダルマ

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原始仏教のアビダルマ(阿毘達磨)には、釈迦牟尼世尊(ブッダ,紀元前6~5世紀頃)の教えの要点が理論的にまとめられている。仏教はキリスト教やイスラム教(イスラーム)と並ぶ『普遍宗教』であるが、ここでいう普遍宗教とは大勢の信者や広大な布教地域を抱えた『世界宗教』という意味だけではなく、『あらゆる人々の苦悩・危機・不幸を救済する射程と内容を持った宗教』という意味も含まれている。

仏教もキリスト教もイスラム教も、あらゆる人間に概ね共通する『根源的な苦悩・危機』からの救済・解脱を目的にしているという意味で『普遍性』を持っており、釈迦(ブッダ)はすべての人間が曝されている根源的な危機状況を『一切皆苦(いっさいかいく)』の法印によって表現したのだった。煩悩を抱えた衆生にとって、この世のあらゆる事物・事象・関係は『苦』であるというのが一切皆苦だが、ブッダの創始した仏教はこの一切皆苦の状況から人間が抜け出すための『抜苦与楽(ばっくよらく)+悟りと解脱の方法』を説いた宗教である。

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仏教では苦の原因は『煩悩(執着)』であり、この煩悩を滅却することによって、苦から解放されて『悟り(解脱)』に至ることができるというのが、仏教のシンプルな救済(解脱)のエッセンスになっている。菩提樹の下で瞑想して悟りを開いた釈迦(ブッダ)が、初めての説法である『初転法輪(しょてんぽうりん)』で語った悟るための方法論が『四諦(したい)・四聖諦(ししょうたい)』である。

四諦(四聖諦)は、人間の迷いと悟りが生み出される因果を『苦・集・滅・道』の四つに分類して説明したものである。一般に四諦は『苦集滅道(くしゅうめつどう)』と呼ばれたりもするが、悟りへの道筋を示すそれぞれの真理の内容も極めて簡便な分かりやすいものになっている。

1.苦諦(くたい)……一切は苦であるという真理。

2.集諦(じったい) ……苦には煩悩という原因があるという真理。

3.滅諦(めったい)……煩悩を消せば苦は滅するという真理。

4.道諦(どうたい)……苦を滅するための正しい道があるという真理。

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釈迦(ブッダ)は四諦のそれぞれの真理を『示・勧・証(知る・実践する・証明する)』の三転から考察する『三転十二行相(さんてんじゅうにぎょうそう)』の境地に到達し、神々と人間を含めたあらゆる存在の中で『最高の悟り(正しい目覚め)』を得たとされている。四諦において人間を苦悩から解放する正しい道である『道諦』というのは、すなわち『八正道』のことである。

ブッダの言行録でもある『阿含経(アーガマ)』には、『どんな動物の足跡も象の足跡の中に納まるように、あらゆる教えは四諦の中に納まる』という言葉があり、四諦(四聖諦)がブッダの教えの根本的かつ簡便な集約であることがよく分かる。人間の存在の本質と形態を『苦』として認識したブッダは、その『苦からの解放』を目指して学問や苦行などさまざまな方法を試して、遂に苦から解放される正しい道としての『四諦・八正道』に到達することになった。

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煩悩(執着)を滅却して悟りに至るための正しい道・方法である『八正道(はっしょうどう)』とは、以下のようなものである。

1.正見(しょうけん)……正しいものの見方。

2.正思(しょうし)……正しい意思。

3.正語(しょうご)……正しい言葉。

4.正業(しょうごう)……正しい行為。

5.正命(しょうみょう)……正しい生活態度。

6.正精進(しょうしょうじん)……正しい努力。

7.正念(しょうねん)……正しい精神の集中と定め方。

8.正定(しょうじょう)……正しい精神の自在の境地。

煩悩を滅却して悟りを開き、『涅槃(ニルヴァーナ)』に到達するというのが仏教(特に上座部仏教・小乗仏教)の大きな目的であるが、その方法論の中心にあるのが正しいものの見方である『正見の確立』である。正見を確立するためには、正しい生活態度である『正命』を確立して、更にとらわれのない自由かつ清浄な精神の境地である『正定』を固めていかなければならないということになる。

悟りを開くための方法論である八正道の中心にあるものが、上記の『正見・正命・正定』である。上座部仏教(小乗仏教)でも大乗仏教でも『戒・定・慧(かい・じょう・え)』が修行の枢要とされてきたが、これらの修行方法を八正道と照らし合わせると『戒=正命(正しい生活)・定=正定(精神の集中した自在な境地)・慧=正見(正しい見方・知識)』となるのである。

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小乗と大乗を合わせた仏教では『戒・定・慧(かい・じょう・え)』の修行法を『三学(さんがく)』と呼ぶが、この三学は学問・経典である『経・律・論(きょう・りつ・ろん)』『三蔵(さんぞう)』に対応しているとされている。三蔵は一般的な理解としては、『経=定学を説く経典』『律=戒学を説く経典』『論=慧学を説く経典』となるが、経は実際には『定学・戒学・慧学のすべてを合わせた経典』になっている。

世親(ヴァスバンドゥ)がアビダルマの体系的な理論について解説・編纂した『アビダルマ・コーシャ』『三蔵の中の論』にあたる仏教の解説書であり、『三学の中の慧』を究めようとしたものでもある。

『アビダルマ・コーシャ』はブッダの悟りに至るための教えを体系的かつ論理的にまとめた解説書であるが、そこには仏教の苦・煩悩・救済の本質について『ダルマを正しく吟味弁別すること以外に、煩悩を静めるための優れた方法はない。そして煩悩によって世の人々は輪廻転生しつつ生死の海を漂う』と記されている。

ダルマを正しく吟味弁別することというのが、唐の僧侶・玄奘三蔵(げんじょうさんぞう,602年-664年)『阿毘達磨倶舎論(あびだつまくしゃろん)』でいっている『択法(ちゃくほう,ダルマ・プラビチャーヤ)』のことなのである。玄奘三蔵は『西遊記』の三蔵法師(さんぞうほうし)のモデルとなった仏僧である。玄奘はインドに渡って仏法を学び、インド旅行記・地誌の『大唐西域記(だいとうさいいきき)』を書き著して、中国で唯識を中心とする『法相宗(ほっそうしゅう)』の開祖となった人物である。

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