アモン:太陽神ラーと一体化した最高神

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テーベの氏神アモンと太陽神ラーが一体化した最高神アモン=ラー

上エジプトの都市ヘルモポリスで発生した『ヘルモポリス神学』には抽象的な創世記があるが、その創世記によると原初の水ヌンから最初期の八柱神が生まれ、この八柱神が協力して世界を創造したとされている。アモンはこの八柱神のうちの一柱(一人)であるが、時代が下るにつれて大気・豊穣の神アモンと原初の水ヌン以外の神々は、他の神話に吸収されてその個性的特徴を失ってしまったとされる。

アモンはアメンやアムンとも表記されることがあるが、元々はナイル川東岸のテーベ(現在のルクソール)で大気や豊饒の神として信仰されていたが、次第に太陽神のラーと同一化していき、最高神の『アモン=ラー神』として絶大な影響力を振るうようになった。アモン=ラー信仰は古代エジプト王国の宗教・政治・歴史・文化に圧倒的な影響力を及ぼしており、エジプト新王国時代におけるアモン神団(アモン神官)の権威はファラオ(王)や王族を凌ぐほどに強大なものになっていた。

エジプト中王国時代・第11王朝のメンチュヘテプ2世は、エジプトを再統一して首都をテーベに置いたが、この時期からアモンはラーと一体化し始めたと考えられている。第11王朝のメンチュヘテプ2世から末期王朝時代の第30王朝までの1700年以上にわたって、アモン=ラー神はエジプトの神々の最高神・主神として深い崇拝を集め続けたのである。

エジプト新王国時代というのは“紀元前1542年頃~紀元前1085年頃”に該当するが、この時期にアモン神は最高神としての地位を固めたと推測されている。古代エジプトには『ヘリオポリス神学・ヘルモポリス神学・メンフィス神学・テーベ神学』の4つの神学があることが知られているが、新王国時代に確立した最も新しい『テーベ神学』において、氏神アモンが軍神モントを吸収したり太陽神ラーと一体化したりして、次第に最高神・太陽神・創造神としての特徴を持つ『アモン=ラー神』へと変化していったのである。

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アモン=ラー神は新王国時代のファラオの権威の根拠ともなったので、第12王朝の王アモン・エム・ハト、第18王朝の王トゥト・アンク・アモンなど歴代のファラオがアモンという名を自身の名前の中に含めている。アモン=ラー信仰が余りに盛んになり過ぎて、アモン神団(アモン神官)の影響力はファラオの王族よりも強くなってしまったのだが、このアモン神団を押さえ込むために計画されたのが、アトン神を突然最高神にしたアメンホテプ4世(イクナートン)『アマルナ宗教改革(アマルナ革命)』だったのである。

テーベの氏神アモンは太陽神ラーと一体化する前から、軍神モントなどを吸収することによって最高神の位置づけになっていたともされるが、アモン信仰が盛んになったきっかけの一つは『異民族ヒクソスの侵略の撃退』であった。アモン神の加護でヒクソスとの戦争に勝てたということで、一気にアモン信仰が活発化してアモン神はファラオ・王家の守護神としても崇められるようになったのである。その後に、アモンは太陽神ラーと一体化したり、メンフィス神話に登場する宇宙の創造神であるプタハを吸収したりして、創造神としての性質も併せ持つ最高神のアモン=ラー神になっていった。

アモン=ラー信仰はヒクソス撃退を起点の一つにしていることもあり、戦争が起これば10万人の軍隊に匹敵する生命の息吹をファラオに吹き込む特殊な能力を持っているとされ、戦争に勝利するための軍神としても深い崇敬を集めていたとされる。

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エジプト最大の神殿である『カルナック神殿』にもアモン=ラーの神像は祭られているが、神殿の大列柱室などに描かれた数々の壁画には、2枚の羽を頭に冠した王者のような人物の姿で刻まれている。アモン=ラーは牡羊のスフィンクス像の姿で刻まれたり描かれることもあるが、アモン=ラーはエジプト王国の偉大な守護神として扱われ、首都テーベを中心にしてアモン=ラー神殿が盛んに建設されることになった。

最も知名度の高いアモン=ラー神殿として、アメンホテプ3世神殿や世界遺産(第一号認定)のアブシンベル神殿があるが、アブシンベル神殿内部の至聖所の列柱ホールには、第19王朝のラムセス2世像と並ぶ形でスフィンクスのアモン=ラー像が置かれている。アブシンベル神殿の建設には、当時としては驚異的な天文学の計算が駆使されており、春・秋の特定の日に1回ずつ、奥まで射し込んでくる太陽の光によって、ラムセス2世像とアモン=ラー神像が照らし出されるように設計されているのである。

アモン=ラー信仰は古代エジプト王国が衰退・滅亡した後にも、後世の英雄や民族に様々なインスピレーションや歴史的な感動を与え続けた側面がある。軍事的に偉大な支配(版図拡大)の業績を残したことで知られるマケドニアのアレクサンドロス大王だが、紀元前332年にエジプトにまで進出したアレクサンドロスは、古代エジプト文明の残光に非常に強い感銘を覚えて、自分自身を『アモンの息子』と称したりもしている。

古代エジプト王国の神々の主神とされたアモン=ラーは、ギリシア人にとってのゼウス、ローマ人にとってのユピテルと同一視されることも多く、多神教における最高神・主神の分かりやすい原型(プロトタイプ)のイメージで認識されていた。エジプトの信仰や政治の歴史を知る当時のギリシア人やローマ人たちは、アモン=ラーに主神のゼウスやユピテルの原型を見ていたのであり、その後の一神教の誕生(ユダヤ人の発想)にも歴史的インスピレーションを与えていた可能性が推測される。『旧約聖書 エレミヤ書(46章25節)』には、“テーベのアモン”という直接的な記述も見られる。

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