ヴィシュヌ:ヒンドゥー教の秩序の維持神

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ヒンドゥー教の主神となったヴィシュヌ

古代インド神話(ウパニシャッド哲学)の『三神一体論(トリムルティ)』では、創造神ブラフマー、維持神ヴィシュヌ、破壊神シヴァを三大神として崇拝していたが、抽象的で独自の神話を殆ど持たないブラフマーに対する信仰は次第に衰えていった。5~10世紀頃にヒンドゥー教の宗教が影響力を拡大していくと、ブラフマーを除いたヴィシュヌとシヴァが事実上の『二大神』として大衆の信仰を集めるようになっていく。

古代インドにおけるヴィシュヌの歴史は古く、紀元前13~12世紀の『リグ・ヴェーダ』にもその名前が登場しており、インドで人気のある雷神インドラと共に悪神を滅ぼす神として描かれている。ヴィシュヌの基本的な性格は『宇宙・世界の秩序の維持神』であるが、バラモン教で最高神として崇拝されていたブラフマーの信仰が衰えていくにつれて、次第に『世界の創造神(実質的な最高神)』としても崇敬されるようになった。

世界の秩序の維持神であるヴィシュヌは、4本の腕を持った男性神の姿で描かれ、右の二つの手にはチャクラム(円盤・輪っかの投擲武器)と棍棒を持ち、左の二つの手にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持っている。4本の手それぞれに特殊な強力な武器を持っていることから、『チャトゥルブジャ(4つの武器を持つ者)』とも呼ばれ、ガルーダと呼ばれる鷲のような姿をした鳥類の王をヴァーハナ(乗り物)として使っている。

ヴィシュヌはインドのメール山にあるヴァイクンタという地を拠点としているが、『リグ・ヴェーダ』におけるヴィシュヌは、天空と大地を三歩で闊歩する太陽神として描かれている。しかし、紀元前の『リグ・ヴェーダ』の段階ではヴィシュヌは未だ重要な神ではなく、悪神と戦う雷神インドラの盟友のような位置づけに留まっていた。

『彼の三歩は蜜に満ち、尽くることなく、自己の本性に従って陶酔する。彼は独りして三界を支えたり、天をも地をも、一切万物をも』

『リグ・ヴェーダ讃歌 辻直四郎訳』

その後、複数の叙事詩やプラーナ文献(古い物語)の中で、ヴィシュヌは他の有力な神々と同一視されたり合体したりして、神としての性格を複合的で複雑なものに変えていった。ヴィシュヌは様々な名前と多様な姿を持つ『変幻自在の神(多数の化身となる神)』としての性格を歴史的に色濃くしていったのである。

ヴィシュヌの妻は、乳海攪拌の時に誕生して『美・豊穣・幸運を司る神』となったラクシュミーであり、ラクシュミーは雷神インドラさえ完全に手に入れることができなかった蓮華の象徴のような美貌を持つ女神(赤い蓮華の花の上に乗っている姿で描かれる)とされている。ラクシュミーは仏教神としては『吉祥天・吉祥天女』と呼ばれ、福徳や安楽の恵みを人々にもたらして仏法を護持する天女として信仰を集めている。

多様な化身(アヴァターラ)を持つ変幻自在の神ヴィシュヌ

ヴィシュヌ派の創世神話では、ヴィシュヌは宇宙の誕生以前から人間の想像を超えた形で存在しており、竜王アナンタの上で横たわっていたという。ヴィシュヌのヘソから蓮の花が伸びてきて、蓮の花から創造神ブラフマーが生み出され、更にブラフマーの額から破壊神シヴァが誕生したという伝説が伝えられている。

ヴィシュヌの名前の起源はサンスクリット語で『広く行き渡る』という意味であり、ヴィシュヌは太陽神アーディティヤの一人として認識されることもあるように、世界の隅々まで照らす太陽光線を神格化した神ではないかとも推測されている。

5世紀以降にインド亜大陸でヒンドゥー教が盛んになっていくにつれて、伝説的な英雄や土着の神々をその化身(アヴァターラ)として包摂することで、ヴィシュヌ、ブラフマー、シヴァの三神一体(トリムルティ)の中で最高神の地位を手に入れること(古代インド神話の主神ブラフマーに取って代わること)になった。10世紀以降には、特に南インドでヴィシュヌ信仰が活発化して、独自の儀式・教義が発達していった。

ヴィシュヌは世界を滅亡や危機から救済する善神としての温厚な性格を持ち、世界が悪や脅威で覆われかけた時には、クリシュナや亀、イノシシ、ブッダなど様々な『化身(アヴァターラ)』となって世界を救おうとするのである。ヴィシュヌは世界の秩序や正義、善を維持しようとする神であり、様々なものや動物、神に化身することで世界のピンチを救う最高神なのである。

ヴィシュヌが変化する代表的な10個の化身(アヴァターラ)には以下のようなものがある。叙事詩『マハーバーラタ』に登場するクリシュナ、『ラーマーヤナ』に登場するラーマもヴィシュヌの化身である。

マツヤ(魚)……大洪水が発生する時に、人間の賢者マヌの前にマツヤ(魚)となったヴィシュヌが現れ、7日後に大洪水が起こると預言して、船にすべての植物の種子と7人の聖者を乗せるように助言した。ユダヤ教とキリスト教の『旧約聖書』にある『ノアの方舟(はこぶね)』の原型のストーリーとも言われる。

クールマ(亀)……魔神と対決して勝つためには、不死の霊水アムリタが必要だったが、それを作るためには海を乳色になるまで攪拌(かくはん)しなければならなかった。ヴィシュヌはクールマという亀に化身して海に潜り、不死の霊水アムリタを作成するための攪拌棒になった大きな山を支えたという。

ヴァラーハ(野猪)……悪魔が大地を水中に沈没させた時に、ヴァラーハ(野猪)に化身したヴィシュヌが、水中に一気に潜ってその頑丈な牙で大地を再び引き上げたという。

ヌリシンハ(人獅子)……頭が獅子(ライオン)、身体が人間という半神半獣の人獅子(ライオンマン)に化身して、強大な魔人を打ち滅ぼしたという。

ヴァーマナ(矮人・小人)……神々よりも強力な魔王と戦うことになった時、ヴァーマナという矮人(小人)に化身したヴィシュヌが、絶妙な策略によってその窮地を脱したという。

パラシュラーマ(斧を持つラーマ)……クシャトリア族が世界を侵略した時に、パラシュラーマという斧を持つ英雄になって、千の腕を持つ怪物の国王を打ち倒したという。この活躍によって、神々とブラフマン、人を救済した。

ラーマ(王子)……叙事詩『ラーマーヤナ』の主人公であるラーマ王子もヴィシュヌの化身とされ、魔王ラーヴァナを打ち倒す活躍を見せた。

クリシュナ(英雄)……叙事詩『マハーバーラタ』に登場する英雄で、『バガヴァッド・ギーター』にその活躍が記されている。クリシュナは紀元前7世紀頃に、マトゥーラ地方にいたヴィリシュ族の英雄的人物ともされ、太陽神崇拝を広めるという功績を残したという。

ブッダ(釈迦牟尼)……仏教の開祖であるブッダ(仏陀)こと釈迦牟尼世尊もヴィシュヌの化身とされる。ヒンドゥー教ではブッダは必ずしも信仰の対象ではなく、『諸行無常』を説いて世の中の既存の価値観を乱す人物として低く評価されることもある。

カルキー(最後の化身)……世界の終末が訪れる約43万2000年後に、白馬に乗った騎士であるカルキーの化身となり、悪を滅ぼして世界を滅亡の危機から救済するとされる。

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