ミトラス教の光明神ミトラ(ミスラ)

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古代インド神話の『ヴェーダ』やゾロアスター教に登場するミトラ(ミスラ)

『ミトラ神』という神は、歴史的に多義的・多面的な起源や経緯を持つ神であり、古代インド神話の聖典『ヴェーダ』では“ミトラ”と呼ばれることが多く、地理的には西アジアに位置する古代ペルシア(古代イラン)のゾロアスター教やミトラス教では“ミスラ”と呼ばれることが多い。更に、古代ギリシア・ローマの古典古代のヨーロッパ世界においても、神秘主義的なミトラ神崇拝が広まっていった事もある。ミトラ(ミスラ)の神は、特に古代インドや古代ペルシアにいたアーリア人たちから熱心な崇拝と帰依を受けた神である。

『ヴェーダ』にミトラという名前で登場する“契約・友愛の神”は、“秩序の神”であるヴァルナと双璧を為す対(コンビ)の神として認識されていた。ミトラ(ミスラ)という名前の原義も『契約・(契約が締結された)盟友』といった意味であり、ミトラとヴァルナの盟友の友愛的な結合の背景には、不可侵の神聖な契約が存在していたのである。

古代インド神話において友情・友愛の守護神とされたミトラは、インドラ神などの他の神々の神格や属性・役割も併せ持つ特徴がある。そのため、古代ギリシア・ローマにミトラ神の信仰が伝播すると、ミトラ教の一神教的信仰の対象になったミトラ(ミスラ)は全知全能の神としての側面を強く持つようになる。ミトラ教は一神教的な全知全能・永遠の神であるミトラ(ミスラ)を信仰することによって、一神教のキリスト教の信仰形態と非常に似たものになっていき、キリスト教団から排斥・弾圧を受けることもあったという。

『リグ・ヴェーダ』ではミトラはヴァルナと表裏一体を為しているコンビの神であり、その本質は『契約の履行・祝福』にあるとされる。ミトラ神は契約を締結・祝福する役割を果たし、ヴァルナ神は契約の履行を監視する役割を果たすが、このコンビである二神によって契約に背いた者には厳しい罰が与えられる事になる。ミトラ神はアディティの産んだ十二柱の太陽神(アーディティヤ神群)の一柱であり、毎年6月の一ヶ月間にわたって太陽の戦車に乗って天空を駆け回る存在でもある。

古代インド神話に登場するミトラとヴァルナは、千の柱と扉が張り巡らされた豪華で広大な邸宅に住んでおり、契約と盟友(友愛)の神として崇められたが、時代が進むにつれて宇宙の統治者・全能の神としての属性を付与されるようになった。だが、発祥地のインドにおいては次第にミトラ神に対する信仰は衰え、神話に登場する頻度も低くなっていったという。

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ゾロアスター教では、創始者ゾロアスターによる紀元前7世紀頃の宗教改革によって、一時的にミトラ神の信仰が抑圧されることになったが、ゾロアスターの死後には『ミトラ神の民間信仰』が急速に盛り上がっていった。ミトラ神(ミスラ神)は民衆から強く支持された神であり、ゾロアスター教の教義の上でも最高神アフラ・マズダに次ぐ神格とされるようになり、遂にはミトラはアフラ・ミトラという神になってアフラ・マズダと合一化(習合)してしまったのである。

ゾロアスター教では、最高神アフラ・マズダの子供は、アムシャ・スプンタと呼ばれる大天使たちであるとされる。その大天使のアムシャ・スプンタとは別に、ゾロアスター教以前から信仰されていた一般的な土着の神々・天使として『ヤザタ神(ヤザタ神群)』と呼ばれる一群の神々がいた。ミトラ神(ミスラ神)もこのヤザタ神群の一員とされることがある。

ヤザタ神群はアニミズムの影響を受けた自然神の集団であり、大きく『物質的な神のヤザタ』『心霊的な神のヤザタ』に分類されていた。目に見える感覚器官で感じることができる物質に宿っている神が『物質的な神』であり、目に見えない理念や価値、観念などに宿っている神が『心霊的な神』である。

物質的な神のヤザタには、火の神アータル、水の神アナーヒター、植物の神ハオマなどがいる。契約の神であるミトラ(ミスラ)は、心霊的な神の一柱とされたが、ミトラ以外にも公正の神ラシュヌ、勝利の神ヴルスラグナなどがいた。

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ミトラス教の光明神となったミトラ(ミスラ)とローマ帝国におけるミトラス教の歴史

ミトラス教(ミトラ教)の起源は、古代インドのヴェーダ信仰の影響を受けた古代ペルシア人(アーリア民族)のミトラ信仰にあるとされる。ミトラ神は多種多様な属性を持つ神であり、現世利益を人々にもたらしてくれる『契約の神・戦争の神・光明神・太陽神』などとして、古代のペルシア(イラン)やインドの民衆から熱狂的に崇められるようになった。

古代のペルシア王朝におけるミトラ教信仰では、ミトラと呼ばれるよりもミスラと呼ばれることのほうが多かったと言われ、ミトラ教は次第にペルシア王朝の『国教』としての地位を固めた。

ゾロアスター教におけるアフラ・ミトラ(ミトラ神)は、『最後の審判』に関わる神としての属性を付与されて、死後の冥府で死者の生前の行状を裁く審判者(裁判の神)としての役割を担うようにもなり、段階的にアフラ・マズダと習合した絶対神になっていった。

古代のペルシア王朝におけるミトラ教信仰では、ミトラと呼ばれるよりもミスラと呼ばれることのほうが多かったと言われる。ミトラ教は次第にペルシア王朝の『国教』としての地位を固めたが、1世紀後半にはインドのクシャーナ朝にも伝播して『太陽神ミイロ』となり、仏教の神・菩薩とも習合してミトラは『弥勒菩薩(みろくぼさつ)』として崇められるようになった。

イラン高原に興った精強な遊牧民族の国家であるパルティア(B.C.247年頃-A.D.228年)では、ミスラ神は『戦争の勝利の神』として民衆や支配階層から厚い信仰を受けることとなり、ミスラ教の最盛期とも言える繁栄ぶりを見せたという。アケメネス朝ペルシアでは、ミトラ教の神官はメソポタミアや小アジアでも積極的な布教活動を展開するようになり、紀元前1世紀頃にはギリシアのヘレニズム文化の影響を強く受けて、ミトラ神は古代ギリシア神話の『太陽神ヘリオス』と同一視されるようになった。太陽神としてのミトラ(ミスラ)の誕生である

ミトラ教の神官たちは、カルデア人のバビロニアの神官たちと教義を習合させるようになり、『ミトラの密儀・儀礼』『バビロニアの占星学』を統合することで『秘教占星学(ズルワーン神学)』を開発することになった。秘教占星学(ズルワーン神学)が洗練されて普及することによって、『ミトラス教(ミトラ教)』は一つの宗教としての完成度と影響力を高めたのである。

ミトラス教は、古代のギリシア人やローマ人にとっては、『東方(オリエント)の神秘主義への憧れ』を掻き立てる魅惑的な宗教であり、バビロニア=ストア学派の神官・学者によって次第に古代ローマ帝国へと輸出されて信仰されるようになっていった。バビロニアの宗教・密儀・思想を、古典古代時代のヨーロッパのギリシアやローマに輸出したバビロニア=ストア学派は、紀元前4世紀から3世紀に至るまで約700年間の長期にわたって活動を続けていたという。

ミトラ教はアーリア系民族の多いローマ帝国内でも勢力を拡大して、歴代ローマ皇帝の帰依を受けたこともあり、帝国の各地にミトラ神殿や礼拝の洞窟が建立された。しかし、313年にコンスタンティヌス帝『ミラノ勅令』を出してキリスト教を公認し、392年にテオドシウス帝が異教崇拝を禁じて『キリスト教の国教化』を宣言したため、ローマ帝国の異教・異端信仰となったミトラ教は弾圧されて影響力を失っていった。

コンスタンティヌス帝の甥であるユリアヌス帝は、理性的なギリシア哲学に精通した教養主義の皇帝であり、排他的・教条的なキリスト教を棄教して、ミトラス教を信仰してミトラス教の勢力を復興させようとした。そのため、ユリアヌス帝は、キリスト教会から見た場合には『背教者』と呼ばれる。だがユリアヌス帝のキリスト教批判の動きも虚しく、その後のローマ帝国の皇帝はキリスト教に深く帰依すると同時に、『一神教に基づくローマ帝国のアイデンティティ・世界観』によってローマ帝国の立て直しを図ろうとした。

テオドシウス帝が392年に、キリスト教をローマ帝国の『国教』にして他の宗教に対する寛容政策・保護政策を廃止したことによって、ミトラス教も異端宗教として弾圧されるようになる。ミトラス教の洞窟神殿は容赦なく破壊されて、その跡地にはキリスト教の教会が建立されるようになったのである。

ミトラス教(ミトラ教)の歴史区分は、以下のように分けられることがある。

1.原始ミトラ教時代……紀元前の発生から紀元3世紀頃までの、バビロニアを中心として布教された時代。

2.西方ミトラ教時代……ローマ帝国やセレウコス朝シリアを中心とした布教された時代。

3.東方ミトラ教時代……バビロニアを超えて、ペルシア(イラン)や中央アジア、中国大陸などユーラシア大陸全域にまで拡大していった時代。伝道者マニの名前から、ミトラ教は中国では『マニ教(摩尼教)』と呼ばれることが多かった。

4.東方神智学時代………イスラム教の神学とミトラ教の神秘主義が思想的・儀礼的に融合していった時代。

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