ギリシア神話のエピソードと世界の神々

ギリシア神話のエピソード

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一神教のキリスト教と多神教のギリシア神話との差異

ここでは、西欧文明世界の起源となった古代ギリシアの宗教であるギリシア神話に登場する神々や英雄についてのコンテンツを制作していきます。全知全能の唯一神を信仰する一神教のユダヤ教やキリスト教では、神は『完全』と『無限』の属性を持っていて、神自身が人間の不完全な感情に由来する魅惑的なドラマを展開することはありません。原則として偶像崇拝が禁止されている一神教では、カトリック教会内部のキリスト像やマリア像、聖人像を除いて、擬人化された神の彫像が作られることも多くありませんでした。

一切の偶像崇拝を禁止する厳格なイスラム教では、絵画や彫刻、工芸品といった宗教美術が花開くことはありませんでしたが、キリスト教カトリックでは異教徒への布教振興策として『偶像崇拝の禁止』が曖昧化していきました。ゲルマン人などの異教徒にキリスト教会の崇高さやイエス・キリストの神聖性を視覚的に分かりやすく訴えるために、荘厳なイメージと崇高な雰囲気をまとった独自のキリスト教美術(教会建築技術)を発展させたのです。

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十字架上のイエスや聖母マリア、聖母子、十二使徒、最後の晩餐など旧約聖書・新約聖書のエピソードを題材にした宗教画(イコン)が数多くの芸術家によって描かれ、キリスト像や聖人像を始めとする精緻な彫刻や美しいステンドグラス、フレスコ画がヨーロッパ各地のカトリック教会に飾られました。13世紀頃から、ガラス細工の美麗な芸術品であるステンドグラスが教会の窓に嵌め込まれるようになり、教会の壁面(漆喰壁)に描かれる宗教的な壁画が減少していきます。

教会建築が小規模な木材建築の様式から、四囲を漆喰(土)の厚い壁で囲んで天井を木材で支える『ロマネスク様式(romanesc mode)』へと変わったことで教会は大型化します。しかし、まだ『神の家』としての教会の荘厳さを顕示する建築物の高さが不足していました。そこで、13世紀から15世紀にかけて、頑丈な石柱を重層的に積み重ねて高い天井を支える『ゴシック様式(gothic mode)』をゲルマン民族が発展させました。

神の住まう天空に向かって聳える高塔を備えた荘厳広大な大教会建築が『ゴシック様式』であり、ゴシック様式の採光の良い高窓には精細で華麗なステンドグラスが装飾品として飾られることが多くなりました。ロマネスクからゴシックへの建築様式の移行の過程で、宗教芸術としての壁画は次第に姿を消し、ステンドグラスや聖画像、石像彫刻、レリーフ(石造の浮彫)などが隆盛するようになったのです。

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偶像崇拝の禁止と宗教画(イコン)や彫刻の制作は矛盾しているように思えますが、キリスト教の教義上の矛盾は、787年に女帝イレーネが開催した第2回ニケーア公会議の教義解釈によって解決されたと考えられています。即ち、『イコン(聖画像や聖遺物)そのものを信仰対象にしているのではなく、その背後にある神(イエス)の原型(実体・イデア)を崇拝しているのだから問題はない』というロジックによって、キリスト教のカトリックでは通常、偶像崇拝の教義が厳格に適用されることはありません。

ルターやカルヴァンが主導したプロテスタントの宗教改革の時代には、再び徹底的に偶像礼拝を否定しようとするイコノクラスム(偶像破壊運動)が隆盛しましたが、現代のキリスト教ではローマ・カトリックもプロテスタント(福音派)も偶像崇拝を焦点にして対立する図式は殆どなくなっています。キリスト教が西欧文明社会の精神的支柱であった中世の時代には、ギリシア神話の神々への信仰や崇敬の精神を表立って主張することが出来ませんでした。しかし、禁欲的なキリスト教教義を信奉するヨーロッパの諸民族の精神の底流には、神に隷属せずに力強く自由奔放な生を謳歌した『古代ギリシア・ローマへの回帰願望』のようなものも息づいていました。

人間の自然な本能や欲求を否定しようとするキリスト教文化に対する抵抗感や倦怠感のようなものが、古典古代時代(古代ギリシア・ローマ時代)の文化思想を再興しようとする14世紀イタリアのルネサンス(文芸復興・古代文化の再生)へと結実していきます。創造的な芸術家や先端的な科学者を数多く輩出したルネサンス期を転回点として、再び、ギリシア神話の神々のイデアとモチーフが脚光を浴びることになりました。

勿論、14世紀から16世紀のルネサンス期においても、宗教としてのギリシア神話が再生することはありませんでしたが、ギリシア神話の神々や英雄が躍動する神話と伝説は、ルネサンス期以降の近世・近代の思想家にも絶大な影響を与えました。不完全な人間のありのままの生のあり方を投射したかのようなギリシア神話のエピソードは、美のイデアを再現しようとする芸術家に創造的なインスピレーションを与え、フリードリヒ・ニーチェやミシェル・フーコー、シグムンド・フロイトといった近代の哲学者(思想家)に人間社会の本質の洞察をもたらしました。

紀元前15世紀以前からの神話や伝承を集積したギリシア神話は、まず、パルメニデスやソクラテス、プラトンといった古代ギリシアの哲学者たちの基本的世界観に影響を与え、真理探究のための理性的思考の材料を提供しました。それに続いて、マケドニア王国のアレクサンドロス大王が成し遂げた東方遠征によって、東方世界のオリエント文化と西方世界のギリシア文化が融合してヘレニズム文化(ギリシア風文化)が生まれます。世界各地に普及したヘレニズム文化の宗教観も、多神教のギリシア神話の伝説的エピソードを基本として成り立っていました。

多神教のギリシア神話と一神教のキリスト教神学とは、正反対の性格を持っていて厳しく対立するように見えますが、キリスト教に先駆けて誕生したギリシア神話(とギリシア哲学)の『本質探求のエッセンス』は、高度な学術性と神秘的な説明概念を持つキリスト教神学に強い影響を与えました。

キリスト教が誕生する以前、古代の地中海世界において広範な領域で信仰されていたギリシア神話は、ユダヤ教を起源とする一神教とは対照的な性格を持つ複数の神々を信仰する多神教でした。ユダヤ教には旧約聖書、キリスト教には新約聖書と旧約聖書、イスラム教にはアル・クルアーン(コーラン)という正式な聖典が存在しますが、遥か昔の時代(紀元前15世紀頃)から口承や伝説として語り継がれてきた内容が体系化されたギリシア神話(ローマ神話)には聖書のような公式の聖典は存在しません。

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キリスト教の建築様式として、ローマ風の『ロマネスク様式』やゴート族風の『ゴシック様式』について触れましたが、古代ギリシア世界の石造建築物には、アテネのパルテノン神殿に見られる柱頭に装飾がなく重厚な印象を与える『ドーリス様式』、ドーリス様式よりも石柱が細くて渦巻き装飾が為されているサモス島のヘラ神殿やアテネのエレクテイオン神殿に見られる『イオニア様式』、エフェソスのハドリアヌス神殿やアテネのオリンピア・ゼウス神殿に見られる、柱頭に優雅なアンカサスの葉の装飾を施した『コリント様式』があります。

古代ギリシアの巨大石造建築として最も有名なパルテノン神殿を建設したのは、民主制アテネ(アテナイ)の最高指導者ペリクレス(B.C.490-429)の命を受けた当時の第一級の彫刻家フェイディアス(B.C.500-432)でした。古代ギリシア世界の巨大建築物には、まず、ポリス(都市国家)に栄光と繁栄を与えてくれる守護神を祀る神殿があり、感動的な悲劇やコミカルな喜劇を市民に公開する為の大規模な劇場も多く建設されました。

ギリシア神話には、ゼウスやアポロン、アテネ、アフロディーテをはじめとして、多種多様な個性的人格と超越的能力を持つ神々が織り成す物語が生き生きと語り継がれています。このウェブページでは、個性的なギリシア神話の神々の系譜や魅惑的な英雄の物語を分かりやすく紹介していこうと思います。

ギリシア神話の歴史と神々と英雄が織り成す物語

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