神々・国土の誕生とイザナギ,イザナミの国生み物語

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混沌からの神々と国土の誕生

日本神話の始まりはギリシア神話に類似した『混沌(カオス)』から始まりますが、天上世界である高天原(たかまのはら)に最初に出現するのは、天之御中主神(アメノミナカヌシ)という天上の摂理を司る独神です。独神とは配偶者のいない単独で屹立する型の神であり、日本の最初期の5柱の神々のことを『別天つ神五柱(ことあまつかみ・いつはしら)』と呼びます。アメノミナカヌシに続いて現れた神が、高御産巣日神(タカミムスビ)神産巣日神(カミムスビ)という独神であり、その3柱に宇摩志阿斯詞備比古遲神(ウマシアシカビヒコヂ)天之常立神(アメノトコタチ)を加えて始原の『別天つ神五柱』となります。

宇宙の始まりに生成した5柱の神々は、現世にその姿を現すことのない観念的・抽象的な神としての性格を強く持っており、アメノミナカヌシは特に天上の至高神としての位置づけですが、タカミムスビとカミムスビは農作物を豊かに実らせ男女を結合させて生命を生み出す産霊(むすび)の神とされており、大和・出雲・壱岐・対馬など地域の多くの豪族から信仰を受けていたようです。天皇は神道の最高権威であり五穀豊穣を祈る祭祀を執り行う神官でもありますが、天皇即位後に行われる豊穣に感謝する収穫祭である『大嘗祭(だいじょうさい)』でも、タカミムスビが斎田の傍らに祀られていました。カミムスビは母性原理を担当する女神とされており、その後に多くの神々を新たに産み出しています。

アメノミナカヌシ・タカミムスビ・カミムスビの3柱は天地開闢(天地創造)を行ったという意味で『造化の三神』とも呼ばれますが、神々の起源を3柱の神に置いているのは『三尊三清(さんぞんさんせい)』という道教思想の影響だと考えられています。タカミムスビとカミムスビの後には、神世七代の神々が生み出されたとされますが、その最後に生まれたのが『国生み・国土形成の二神』として知られる伊邪那岐神(イザナギ)伊邪那美神(イザナミ)の夫婦神です。世界が始まったばかりの時期には、原始の広大な海にどろどろした固まらない国土がバラバラに浮かんで漂っていたとされますが、アメノミナカヌシを筆頭とする天津神がイザナギとイザナミに『この国土を造り固めよ』という命令を出して、天の沼矛(あめのぬぼこ)を授けました。

イザナギとイザナミは天の浮橋に立って、下界に下ろした天の沼矛でコオロコオロと海をかき混ぜて引き上げると、矛の先から滴り落ちる塩が凝り固まっていき、自然に『オノゴロ島』という島が出来上がりました。『オノゴロ島』の意味は、自ずから凝り固まって出来上がった島という意味であり、神話上の見立てでは淡路島近郊の島がオノゴロ島と仮定されています。海から島を作り上げるという創世記に似た神話は、南国のポリネシア、ミクロネシア、メラネシアなどにも伝わっており、これらの国々では釣り針で島を釣り上げるという『島釣り神話』になっています。『出雲国風土記』には巨大な鋤で海に浮かぶ国土を引き寄せて島根半島の岬にしたという『国引き神話』がありますが、国土を海に浮かぶ魚のように見立てるアイデアは『漁撈民の集合無意識』に発しているとも推測されます。

イザナギ・イザナミはオノゴロ島の上に降り立って婚約を結び、天の御柱(あめのみはしら)を立てて広大な宮殿・八尋殿(やひろどの)を建設します。そして、柱の周囲をお互いに逆周りに回って、出会ったところで『あなにやし えをとこを(あぁ、何と言う素敵な男か)』とイザナミが言い、『あなにやし、えをみなを(あぁ、何と言う素敵な女か)』とイザナギが言って性的結合を行い、日本国土の大八洲(おおやしま)となる子ども達を生みます。しかし、初めに生んだ子どもは淡島と手足の不自由な蛭子(ヒルコ)だったので、ヒルコは流して捨ててしまいました。太占(ふとまに)という占いをして天津神に伺いを立てると、最初に女であるイザナミが声を掛けたのが良くないという事で、今度は男であるイザナギが初めに『あぁ、何という良い女か』と声を掛けてから性的な交わりを行い、新たな国土となる子ども達をイザナミが生み出しました。

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イザナギとイザナミの『国生み・黄泉戸喫』の物語

イザナギとイザナミの夫婦神の神話には、『天父神・地母神の結合‐分離』『兄妹神的な近親相姦の問題(原罪)』というモチーフが関与しているともされますが、近親相姦的な神々の交わりによって初めは不具(奇形・動物)の子どもが生まれるというテーマは、中国や台湾、東南アジアの『原始洪水型の神話』としても広く見られるものです。イザナミが生んだ蛭子(ヒルコ)は『日本書紀』では、3歳になるまで脚が立たなかった身体障害児として記されていますが、これは古代における『捨て子の慣習(流産児・未熟児・障害児の遺棄)』を反映しているとも考えられています。その一方で、蛭子は本来は『日子(ヒルコ)』と表記されるほうが適切という仮説もあり、この場合には太陽神としての日子が捨てられて後に大きな事績を残したという『貴種漂流譚』の一種として解釈することができます。

イザナギとイザナミは二度目の性の交わりによって、淡路島・四国・九州・隠岐・壱岐・対馬・佐渡・本州という『大八洲・大八島(おおやしま)』を産むことに成功して、ここに日本列島が誕生する『国生み』が行われたことになります。イザナミはその後も森羅万象を担当する自然神などを生みますが、火の神である軻遇突智(迦具土神・カグツチ)を産んだ時に陰部に火傷を負ってしまいそれが原因で亡くなります。臨終時にも、尿・糞・吐瀉物から神々を産み出すというほどの地母神ぶりを発揮しながらの死でした。イザナギは愛するイザナミを焼死させたカグツチに激怒して斬り殺してしまいます。イザナミは死後の国である『黄泉国(よみのくに)』に送られますが、イザナミのことを諦めきれないイザナギは黄泉国までイザナミを追いかけていき何とか再会を果たします。

黄泉国では、黄泉国の竈(かまど)で炊いた食物を食べる『黄泉戸喫(よもつへぐい)』をしてしまうと現世には戻れないという厳しいルールがあるのですが、イザナミは既に黄泉戸喫をしてしまっていました。イザナミは何とか現世に戻して貰えないか黄泉の神々に相談してみると言い残して別室に入っていくのですが、いくら待っても戻ってこないイザナミを待ちきれなくなったイザナギは櫛の歯を折ってそれに火を灯し、部屋の中を覗きこんでしまいます。

すると美しく可憐だったイザナミの姿はそこに無く、腐敗して蛆が湧き悪臭を放っている死体の変わり果てたイザナミがそこにはいました。『よくもこんな姿を覗き見て、私に恥を掻かせてくれましたね』とイザナギに激怒したイザナミが追いかけてきます。イザナミは黄泉醜女(ヨミノシコメ)という鬼女を差し向けてイザナギを追跡しますが、イザナギは櫛や髪飾りをタケノコ・ブドウに変えて投げつけ、黄泉醜女らがそれを食べ漁っている間に逃げます。霊力を持つとされる桃の実を投げつけて、黄泉醜女の撃退に成功します。

イザナギは現世と黄泉国の境界にある『黄泉比良坂(よみのひらさか)』でイザナミに追いつかれますが、そこを巨大な岩で塞ぎこんでからイザナミとの離婚を宣言しました。離婚を一方的に宣言するイザナギの態度に激昂したイザナミは『黄泉国の神となってあなたの国の人間を一日に千人殺しますよ』と脅しを掛けますが、それに対してイザナギは『ならば、私は一日に千五百人の子どもを産んで更に産屋を立てよう』と返しました。

黄泉国の竈で炊いた食物を食べる『黄泉戸喫(よもつへぐい)』をすると現世に帰れなくなるというルールは、『同じ釜の飯を食べた人間は仲間・同族血族である』という共同飲食の信仰に根ざしたものであり、ギリシア神話でも冥王プルートに攫われたペルセフォネー(豊穣神デメテルの娘)が冥界のザクロを食べて地上に戻れなくなった説話などがあります。『死者の食物』を題材にした宗教信仰や神話伝承、呪術・呪医(シャーマニズム)などは、日本だけではなくアジアやヨーロッパ、アメリカ、オセアニア、未開民族などあらゆる地域に見られます。

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