アルフレッド・T・マハンのシーパワー理論とニコラス・J・スパイクマンのリムランド理論

モンロー主義とアルフレッド・T・マハンのシーパワー理論
ニコラス・J・スパイクマンのリムランド理論

モンロー主義とアルフレッド・T・マハンのシーパワー理論

1823年、アメリカ合衆国の第5代大統領であるジェームズ・モンロー大統領(James Monroe,1758-1831)が、アメリカ大陸とヨーロッパ大陸の相互不干渉を宣言する『モンロー主義(モンロー・ドクトリン)』を議会で提唱した。1815年にヨーロッパで『ナポレオン戦争』が終結してから、スペインやポルトガルの南アメリカ大陸諸国の植民地に対する支配力が低下して、メキシコやラプラタ連合州(現アルゼンチン)、チリ、ペルー、コロンビアなどで革命が起こって独立の機運が高まったが、アメリカはこのような独立闘争を『共和主義の隆盛』として歓迎し、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の再植民地化を警戒していた。

南北アメリカが将来にわたってヨーロッパ諸国から植民地化されず内政に干渉されないこと、ヨーロッパ諸国の関係する戦争にアメリカが中立的態度を取ることを宣言した『モンロー主義(モンロー・ドクトリン)』は、以下の三原則によって成り立っていた。

1.南北アメリカ大陸に対する『将来における侵略と植民地化』の禁止。

2.南北アメリカ大陸(西半球にある国)の国家主権を侵害してヨーロッパ大陸の政治組織を導入し内政に干渉しようとすることは、アメリカに対する敵対行為と見なす。

3.アメリカからもヨーロッパ大陸の戦争・内政には干渉しない。

しかし、モンロー主義の三原則を現実的に遵守してアメリカの独立と中立を守るためには、当時世界最強の海軍国家(シーパワー)であったイギリス(大英帝国)と軍事的な協調姿勢を維持する必要があった。モンロー主義が宣言された当初のアメリカは、『ロシアの太平洋北西部(北緯51度線のアメリカ沿岸部)への進出・フランスのアメリカ大陸にある旧スペイン領に対する領土的野心・スペインのカリフォルニアへの植民活動』などの軍事的な危機を抱えており、通商・軍事でフランスと敵対するイギリスの海軍力とアメリカは連携することで、相互不干渉のモンロー主義に実効性を持たせたのである。

19世紀には、イギリスのシーパワーに依拠して制海権・通称活動を維持していたアメリカだったが、1898年にキューバやフィリピンを舞台にしてスペインと戦った『米西戦争(アメリカ・スペイン戦争)』に勝利したアメリカは、カリブ海の制海権を掌握して西太平洋への根拠地を確保した。米西戦争の勝利はアメリカにキューバとプエルトリコ、フィリピン、グアム島といった根拠地をもたらし、形式的には独立させても実質的には米国の植民地として活用した。1914年には、太平洋と大西洋を結ぶ最短の海の通路となる『パナマ運河』を建設するが、太平洋に浮かぶハワイ諸島やサモア諸島、ミッドウェー島、ウェーク島なども領有するようになったアメリカは、海軍力のシーパワーに支えられた世界帝国として急速に膨張し始めた。

アメリカの海軍軍人・戦略研究家であるアルフレッド・T・マハン(Alfred Thayer Mahan, 1840-1914)は、アメリカ合衆国を海洋国家のシーパワーと定義して、イギリスの海軍・通商(海運)の歴史をシーパワーの典型的な成功モデルとして参照した。アルフレッド・T・マハンの代表作は、シーパワーであるアメリカの任務・課題・危機・可能性について歴史的かつ多面的に検証した『海上権力史論(シーパワーの歴史に及ぼした影響)』であり、イギリスやアメリカのようなシーパワーが持続的に発展していくためには『強力な海軍力に保護された通商活動(制海権の下にある海上の安全な通行・輸送)の発展・海を超えた海外市場の拡大』が絶対に必要だと主張した。

マハンの語るシーパワー(海洋国家)を構成する要素は、『貿易船(商船)・海軍力・根拠地(寄港地・補給地)』であり、この3つの要素を強化したり拡大したりすることによって、『経済力の成長・海上交通の安全・植民地の増加』という国益に貢献する3つの成果を手に入れ続けることができるとした。

外国を圧倒するだけの強大な海軍力を備えて『制海権』を確立することのメリットは、『安全な海上交通路・海上貿易の活発化』だけではなく、『(艦砲外交のような恫喝も含めた)新たな海外市場の開拓・獲得』といったことも想定されていた。日本の浦賀沖に来航して開港・通商・補給を求めたマシュー・ペリーの黒船艦隊も、新たな寄港地や市場を海軍力で拡大していこうとするマハンのシーパワー戦略を継承したものだったと言える。

マハンは一つの国家がランドパワー(大陸国家・陸軍力)とシーパワー(海洋国家・海軍力)の両方の特徴と能力を兼ね備えることはできないという前提を置いた上で、以下のようなシーパワー戦略の原則論を語っている。

1.海軍力と国益の不可分の原則……シーパワー(海洋国家)において海軍力と国益は不可分であるため、戦時ではない平時においても海軍力の維持・増強に努めるべきである。

2.目的の単一化と集中の原則……兵力は分散させずに集中させるべきというのは兵法・戦術全般の大原則である。制海権の確立・維持を目的とする海軍が『艦隊決戦』に臨まなければならない時にも、『決戦海域』だけに海軍力を集中して(太平洋・大西洋の二正面作戦のような兵力分散をせずに)必ず敵国よりも優勢である状態にしなければならない。

3.根拠地の原則……海軍力による制海権は、海上交通路と根拠地(補給地・寄港地)によって支えられており、根拠地がなければその周辺海域における制海権の維持・拡大はできない。

マハンのシーパワー理論は、アメリカの26代大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Teddy Roosevelt, 1858-1919)に評価されることになり、太平洋進出のために航続距離の長い戦艦群を増やし、アメリカの海軍力を急拡大させる根拠になる理論ともされた。

マハンの制海権と通商圏を同時的に拡大させていこうとするシーパワー理論は、アメリカに伝統的なものとしてある膨張志向の世界観・運命論である『明白な運命(manifest destiny)』という考え方と共鳴することになる。明白な運命とは、アメリカにとっての『領土拡大』を自然界の生命の拡大再生産になぞらえて肯定する運命論である。アメリカの領土拡大は天・神・自然に承認された『明白な運命』であり避けられないものだと考え、アメリカ合衆国全体を統合した後に、更にカリブ海や太平洋に進出することを神から与えられた使命のように受け止めていた。

アメリカは日露戦争(1904-1905年)でロシアのバルチック艦隊を破って勝利した日本を、中国の市場獲得を争い合うことになるシーパワー(海洋国家)のライバルとして警戒するようになり、マハンのシーパワー理論に影響を受けた海軍大学校と海軍諮問委員会が中心となって対日戦争計画である『オレンジプラン』の構想を練り始めたりもした。

アメリカはアルフレッド・T・マハンのシーパワー理論と明白な運命の世界観によって、海外への膨張政策と海軍力の増強を維持していくが、20世紀になるとアメリカの政治・思想・文化・価値観を『世界の中心(模範的な基準)』に据えて、アメリカとは異なる異質な文化文明(アメリカから見て劣った文明と見えるもの)を同質化させようとする『啓蒙教化・自由化(民主化)の思想』を持ち始める。

20世紀後半の米ソ冷戦構造がゴルバチョフ書記長時代の『ソ連崩壊(1991年)』によって終結した後、世界で唯一のスーパーパワー(超大国)となったアメリカだったが、冷戦後の世界は『多極化する世界』の中で非正規軍や武装勢力、テロ集団との『非対称戦争の脅威』が高まる世界へと変質し、国家と国家の間の制海権を巡る戦いを前提としたマハンのシーパワー理論が通用しないシチュエーションが増えてきた。

21世紀に入り、啓蒙教化・自由化(民主化)の思想を前面に出して、国際政治に干渉する姿勢を鮮明にし始めたアメリカは、反米・イスラム原理主義のテロネットワークであるアルカイダから『9.11の米国同時多発テロ(2001年9月11日)』の被害を受ける。しかし、アメリカは同時多発テロの攻撃を受けてから更に『自国のイデオロギー・自由市場原理・人権思想の正当性』を強調するようになり、米国主導のグローバルスタンダードに適応しようとしない宗教政治・人権侵害・非自由主義(権威主義)・非資本主義の国々や部族、宗教勢力に対して『啓蒙教化・自由化(民主化)の思想』を押し付けることで、戦争やテロ、衝突のリスクを自ら高めることにもなった。

ニコラス・J・スパイクマンのリムランド理論

アメリカの政治学者・地政学者であるニコラス・J・スパイクマン(Nicholas J. Spykman, 1893-1943)は、主著『世界政治におけるアメリカの戦略(1942年)』の中で、第二次世界大戦中に日本(太平洋側)とドイツ(大西洋側)の進行からアメリカを含む西半球を防衛するための戦略を研究した。

ニコラス・J・スパイクマンはアメリカがモンロー主義(不干渉主義・孤立主義)を飽くまで貫いて南北アメリカ大陸を防衛するのであれば、『南北アメリカ大陸の自給自足の持続性』がなけれがならないと考えた。しかし、『南北アメリカ大陸間の縦長の地形(ヨーロッパとアジアの間の距離以上に南北アメリカの縦の距離は長くて遠い)』『アメリカ人とラテンアメリカの人々の価値観や政治思想の大きな違い(中南米の人々は必ずしも親米ではない)』『石油・ゴム・錫などの戦略資源の絶対量の不足』によって、アメリカが南北アメリカ大陸だけに閉じこもる不干渉主義を貫いて自給自足を続けることは不可能だと結論した。

スパイクマンは、日本が進軍してくる可能性がある『太平洋沿岸』とドイツが進軍してくる可能性がある『大西洋沿岸』の相対リスクを比較したが、日本の航空機の航続距離の長さ(アジアと北米大陸の間の太平洋の距離の長さ)とアメリカの10分の1にも満たない生産能力を考えれば、日本海軍がアメリカ本土の太平洋沿岸まで直接攻め寄せてくる可能性はまずないと判断した。

アメリカ本土の防衛上の脅威は、太平洋の半分の距離しかない大西洋側からドイツ軍(航空兵力)が攻め寄せてくる可能性にあると判断して、特にパナマ運河のある『カリブ海周辺』の地域をドイツに押さえられることだけは回避しなければならないとした。カリブ海周辺の制海権やパナマ運河の施設をドイツに掌握されてしまうと、南北アメリカ大陸が分断されてしまうことでアメリカが必要とする物資の輸送が滞ったり、太平洋‐大西洋をパナマ運河でつなぐ最短通路が遮断されてしまう危険性があるからである。

スパイクマンはアメリカ合衆国を含む西半球の自給自足的な防衛体制の確立(外国と相互に干渉しないモンロー主義の徹底)は不可能であると結論したが、ユーラシア大陸の沿海地帯の“内国の半月弧”『リムランド(rimland)』と名づけて、リムランドの諸国や地域とアメリカが協力することで、ドイツやソ連、中国といったハートランド勢力の進出・拡大を牽制して抑制することができるとした。この内国の半月弧であるリムランドには、日本や朝鮮半島(韓国・北朝鮮)、中国の周辺部も含まれており、リムランドの国々が反米で連携することを恐れたアメリカの政治学者・軍事学者の中には『リムランド分裂戦略』を唱える者もいる。

地政学を創始したハルフォード・マッキンダーは、ハートランド(ユーラシア内陸部)を制覇する国が世界島(ユーラシア大陸+アフリカ大陸)を制覇していずれ世界全体を支配することができるという理論を主張したが、スパイクマンは『リムランドを制するものは世界を制する』という対抗理論を唱えた。

ハートランドは確かに広大な土地と豊富な地下資源を持っているが、農作物の生産や人間の快適な居住に適さない不毛の荒地や森林地帯が大部分を占めているために、人口が増えにくく工業・産業も発展しにくいという不利がある。一方で、リムランドは温暖湿潤な気候で農業に適した土地が広く、人口が多くて産業の発展した国や地域が集中しており、海に面している国が多いので海上貿易の利益を得ることもできるとした。

スパイクマンのリムランド理論に基づくアメリカの大戦略は、以下のようなものである。

1.ハートランドへの侵入経路に当たるリムランド(ユーラシア大陸の半月弧の周縁部)の主要な国々とアメリカが同盟を結び、リムランドに反米勢力の拠点や同盟を作らせないようにすること。

2.リムランドの国々の同盟には必ずアメリカが参加するようにして、ハートランドの大国とリムランドの国々の同盟関係(ハートランドによるリムランドの支配)が成立しないようにすること。

3.第二次世界大戦の時期における船舶の移動能力を前提にすれば、大西洋と太平洋は『防波堤』ではなく『高速道路』として活用される恐れがあるもので、アメリカは地理的距離を理由とするモンロー主義を維持することは危険でありもはや継続できないということ。

リムランドの国々や地域と連携してハートランドの大国を囲い込んでいくという戦略は、米ソ冷戦時代には、アメリカの政治学者・外交官であるジョージ・F・ケナン(1904-2005)をはじめとする『ソ連の封じ込め戦略』の前提になっていた。

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