フリードリヒ・ラッツェルの生存圏とルドルフ・チェレンの経済自足論

フリードリヒ・ラッツェルの生存圏と領土拡張の自然主義的な正当化
ルドルフ・チェレンの経済自足論と資源独占の力の論理

フリードリヒ・ラッツェルの生存圏と領土拡張の自然主義的な正当化

ランドパワーの大陸国家であるドイツの地政学(geopolitics)は、フランスやオーストリアをはじめとする強力な外国と国境線を接していて、外国の攻撃・侵略(領土奪取)を受けてきた経験から生まれたもので、地理的条件と民族の生存を結びつけて考えるという特徴がある。

アメリカやイギリスといったシーパワーの海洋国家であれば『海』が外国勢力の防波堤としての役割を果たしてくれることもあるが、外国と地続きでいつ攻撃や侵略を受けるか分からない危険に晒されてきたランドパワーの大陸国家にとっては、『国境線と首都の位置・地理的条件と交通路・人口と資源と産業』は軍事的な国防だけではなく民族の生存と尊厳に関わる極めて重要な地政学の諸要素であった。

ドイツ帝国(プロイセン)では1891年に、対フランス・対ロシアの二正面作戦『シュリーフェンプラン』で知られる軍人アルフレート・フォン・シュリーフェンが参謀総長に就任して、地理学・地政学をドイツの軍事戦略の方向性や戦況判断に活用すべき科学的学問として位置づけた。ドイツの地政学は地理と兵站の効率的な関係を研究することから始まったが、ドイツの陸軍参謀本部では次第に国家を一つの成長を続ける生命体として定義する『有機体的国家論(国家有機体説)』を元にした軍事戦略が構想されるようになっていく。

ドイツの地政学の基本的な考え方である国家を一つの生命体と見なす国家有機体説を唱えたのは、地理学者・生物学者のフリードリヒ・ラッツェル(Friedrich Ratzel, 1844-1904)であり、ラッツェルは優位な特徴を持つ生命体が劣等な特徴を持つ生命体に取って代わっていくことで社会全体(国家全体)も進歩するという『社会ダーウィニズム(社会進化論)』の思想に強い影響を受けていた。フリードリヒ・ラッツェルは主著『政治地理学(1897年)』において、ドイツ民族の『生存圏(Lebensraum,レーベンスラウム)』とドイツの領土拡張の正当性・必然性について以下のように主張していた。

国家は一つの有機的な生命体であり、その生命力を維持するために必要な生存圏を確保しようとして宿命的に膨張していくが、国家の生命力及び民族の生存可能性は『生存圏(領土)の広さ=生存圏で利用可能な資源量』に依存している。有機体的な生命である国家の膨張力を阻害する境界線(国境)に遭遇すると、国家はその境界線を打破して更に膨張しようとして外国との間で戦争が発生することになるが、優秀で強大な国家及び民族がより広くて大きな『生存圏』を求めるのは生物学的・自然主義的な必然である。

国家は有機体的な生命を持つ組織体(生命体)であり、その目的は膨張して成長することであり、その成長を阻害しようとする境界線や外国勢力(他の生命体)があれば、それを暴力・武力を行使してでも排除しようとするものである。膨張と成長を続ける有機的組織体の国家は、地球資源の有限性によって『複数の大国』の並立が困難であり、地球上には超大国を一つだけしか受け容れる余地がないということもラッツェルによって宣言された。

ルドルフ・チェレンの経済自足論と資源独占の力の論理

スウェーデンのウプサラ大学の政治学者・地理学者のルドルフ・チェレン(Rudolf Kjellen,1864-1922)は、フリードリヒ・ラッツェルに師事して『生存圏(レーベンスラウム)の理論』の影響を受けていた。ルドルフ・チェレンは、国家を擬人化する『国家有機体説』を前提として、国家は支配する領域の組織・資源を活用して、『自給自足的な経済』を可能にしなければ長期の生存・発展を維持できないとした。

ルドルフ・チェレンは国家の興亡の歴史や国際情勢の変化の法則を、固定的な条件である地理との相関で考える『ランドパワー(大陸国家)の地政学』を構想したが、チェレンの理想とする外国を信用しない経済は、外国との自由貿易や各国の産業の比較優位の利益に頼らない自給自足に近いものでありこれを『経済自足論』と呼んでいる。ランドパワーの大陸地政学の原理は、国家の生存に必要なものは“法(正義)”よりも“力(軍事力)”が重要であり、自然主義的な宿命として膨張と成長を続ける国家には『生存・成長のために必要な資源・物資』を力によって独占する権利があるのだという『力の論理』を主張した。

ラッツェルやチェレンの想定した有機的生命体としての国家は、『外国と闘争して生存圏を奪い合う国家』であり、生存・発展のために必要な土地・資源・物資を排他的に独占して自給自足経済を実現することが国家の目標とされた。オーストリアとの普墺戦争、フランスとの普仏戦争に勝利したドイツ(プロイセン)は、ラッツェルの生存圏の理論とチェレンの経済自足論を利用して『覇権主義・帝国主義の力の論理』を自己正当化していった。ドイツは1914年から始まる第一次世界大戦に敗れるまで、軍事力強化によってその領土を南西アフリカ、東アフリカ、華北(山東半島)、太平洋の諸島へと拡大していったのである。

ルドルフ・チェレンの国家有機体説では、一つの生命体になぞらえた国家を『精神』『肉体』の部分に分けて、国家の肉体を『自然的な領土』に対応させて、国家の精神を『国民・民族の行動による具現化』に対応させていた。

チェレンは国家を統合性と機能性を持った高度な生命体として擬人化していたが、国家の基盤は肉体である『領土』であり、『海洋』という自然的境界に向かってランドパワーの大陸国家は膨張を続けていく自然的本性を持っているとした。チェレンは国家の経済自足論を展開して、民族の居住・生活を快適に調和させ、領土内の交通を迅速かつ安全にする自然的領土が望ましいとしたが、自然的領土の境界線のメルクマールは『河川・海洋の囲繞(囲まれている領域)』であると考えていた。

ルドルフ・チェレンは『海洋国家に対する大陸国家の優位性』を前提にしており、最終的にはシーパワーの大英帝国に代わって、ランドパワーのドイツが最大の世界帝国を建設することになると予見していた。ドイツが世界最強の大陸帝国になるということの根拠は、『広大な世界の海洋』を舞台に展開するシーパワーの軍事力の分散に対して、『限定された土地』を舞台に段階的に展開するランドパワーの軍事力のほうが戦力を集中させて戦いやすいという事にあった。

20世紀初頭、シーパワー(海洋国家)のイギリスをライバル視したランドパワー(大陸国家)のドイツは、ヨーロッパとアフリカ、アジア(インド)の海の制海権を掌握しようとするイギリスの『3C政策』に対抗して、ドイツがヨーロッパとアジア(中東)をつなぐ鉄道網を支配するための『3B政策』を打ち出したりもした。

イギリスの3C政策は『カイロ・カルカッタ・ケープタウン』をつなぐ領域の制海権を確保しようとするものであり、ドイツの3B政策は『ベルリン・ビザンチン(イスタンブール)・バグダッド』をつなぐ鉄道を建設して陸上輸送路と領土を支配しようとするものだったが、3C政策と3B政策の拠点は相互に重なり合う領域を持つため、生存圏を巡るイギリスとドイツの軍事的衝突のリスクを格段に高めることになった。

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