ジョン・ロールズの『正義論』

ジョン・ロールズの『正義論』に見る原初状態から導かれる正義
ジョン・ロールズの正義の二原理と最悪に配慮する平等主義

ジョン・ロールズの『正義論』に見る原初状態から導かれる正義

現代の政治では、所得と資産・社会保障などの『格差問題』がクローズアップされることが多く、格差を縮小あるいは是正するための『平等性』への配慮が一つの社会正義として捉えられることがある。一方で、自由主義国家(資本主義国家)では『機会の平等』は守られるべきだが、『結果の平等』は努力して成功することの価値を貶めるので望ましくないという意見が一般的なものとして聞かれる。

政治的課題・目標とされるべき『平等性』とはどのような平等なのかについて、原理的な政治思想を巡らせたのが、アメリカの哲学者ジョン・ロールズ(John Rawls, 1921年2月21日-2002年11月24日)である。ジョン・ロールズは著書『正義論(A Theory of Justice, 1971)』で社会制度の徳目となるべき正義について考え、あらゆる社会の基本構造を成り立たせるためには、『正義の諸原理』に対して原初的合意(原初的契約)が成り立つのだと主張した。

ジョン・ロールズは平等かつ公正な正しい秩序のある社会の構築を、『正義の原理の目的』としており、この正義の原理は『社会的基本財の公正な配分ルール』によって規定されるとした。ロールズのいう社会的基本財(social primary goods)とは、社会的な価値や影響力をもつものの総体であり、『自由・権利・機会・資産・所得・自尊心』などが代表的な社会的基本財になっている。

正義の原理(公正としての正義)とは、これらの社会的基本財を平等かつ公正に配分することである。ロールズは正義を善の目的(幸福の総量の増加・信念の具現化など)に従属させる『目的論的な正義論』ではなく、みんなが所与のものとして尊重すべき公正かつ平等な社会ルールを設定する『義務論的な正義論』の文脈で捉えていた。

アメリカを代表するリベラリストであったジョン・ロールズは、『政治的リベラリズム(1993年)』において、一つの社会に複数の多様な善の構想が存在し得るという『多元主義』を展開しており、多元主義を承認して特定の善を無理矢理に強制しないためには、『単一の善(目的)』ではなく『普遍的な社会のルール(義務)』が必要になるとした。

正義を特定の善(目的)から切り離すことで、それぞれの個人が自分にとっての善(目的)を自由に追求できるようになり、特定の善(目的)に従わない人が政治的・社会的な抑圧やプレッシャーを蒙る危険性も無くなる。価値観や生き方の多様性を承認するリベラルな多元主義では、同調的な『目的論(みんなで目指すべき目標)の正義』ではなく、一定の枠組みの中で自由に生きる『義務論(前提ルール)の正義』が求められるからである。

ジョン・ロールズの正義論は、自分自身が何者であるかを全く知らないまっさらな『原初状態』を仮説的に想定するという意味で、ジョン・ロックやジャン・ジャック・ルソーといった自然状態を仮定する『社会契約論』の思考プロセスと類似したものになっている。ロールズは正義の原理を、自分の能力・属性・階層・血統などについての情報が何一つ与えられていない『原初状態(original position)』とみんなが平等に自分自身について何も知らないという『無知のヴェール(veil of ignorance)』から導出している。

自分自身の能力・資質・属性・家柄が分からず、自分がどのような社会的・階級的・政治的な地位に属しているかも分からない時(人々が無知のヴェールに覆われている時)に、人間はどういった条件を持つ社会に生まれてきたいと思うだろうか。つまり、原初状態における『社会的基本財の配分ルール』を、不偏不党の中立的な立場あるいは自分があの人になるかもしれないという想定の元に決定するのが、正義の原理の導出なのである。この結果、正義の原理はゲーム理論におけるリスク回避型の『マキシミン・ルール』によって採択されることになり、無知のヴェールに包まれた人々は、想定される最悪の結果を緩和できて大きなリスクを回避できるような『社会のルール=正義の原理』を合理的に受け入れると考えられる。

ジョン・ロールズは無知のヴェールに覆われた原初状態における合理的判断の結果、社会的基本財の公正な配分ルールである『正義の二原理』を承認することになると主張した。

ジョン・ロールズの正義の二原理と最悪に配慮する平等主義

ロールズが『正義論(改訂版)』で公開した『正義の二原理』とは以下のようなものである。

第一原理

各人は、すべての人にとっての同様な自由の体系と両立し得る、最大限の基本的諸自由の平等な権利を持つべきである。

第二原理

社会的そして経済的不平等は、以下の双方を満たすように設定されるべきである。

a.正義に適った貯蓄原理と矛盾を引き起こさない範囲で、最も恵まれない人々の最大限の利益に配慮した不平等。

b.機会の公正な平等という条件の下で、すべての人々に対して開かれている諸々の職務や地位に伴うものとして。

『正義論』の第一原理は『平等な自由原理』であり、第二原理よりも優先的に社会のルールとして適用されなければならない。第二原理の“a”は最も不幸な人に配慮すべき『格差原理(the difference principle)』であり、“b”はすべての人に機会の平等を認めて職業・地位の参加障壁をオープンにしなければならないとする『公正な機会均等原理(the principle of the fair equality of opportunity)』である。第二原理の内部では、bの公正な機会均等原理のほうが、aの格差原理よりも優越するとされている。

ロールズは正義の原理に適った社会のルール(社会システム)として、『基本的自由の平等性』が担保されていなければならないと考え、この第一原理を提起した。更に、原初状態では誰もが自分が『最も恵まれない不幸な人』になる可能性があることから、最も恵まれない人々の利益を最大化させるために『社会的経済的な不平等』は是正されるべきだとする第二原理(aの格差原理)を導出した。

ジョン・ロールズの公正な平等性に基づく正義の原理は、『平等主義の階梯・段階』を持っており、最も重視されるべき平等は『基本的自由の平等』であり、それに続くのが誰もが競争機会に参加できる『機会の平等』である。しかし、無知のヴェールに覆われた原初状態では、誰もが能力・資質・財力(家柄)のない最も恵まれない人々の一人として生活する可能性があることから、正義の原理は『最も恵まれない不幸な人々の利益の最大化』に配慮しなければならない(最も不幸な人を放置してはならない)ということになる。

ロールズは『結果の平等』までは認めないが、自由で平等な個人が機会の平等という条件下で競争して社会的・経済的格差が発生した時には、『最も恵まれない不幸な人々』の利益を最大化する財の再配分を行うため、その社会的・経済的格差は最大限是正されなければならないとする。諸個人の基本的自由を侵害しないレベルで、機会の平等が失われない程度の『格差の是正』を行うことは、誰もが最も恵まれない人になっていたかもしれない可能性を持つことから、正義の原理(社会的基本財の再分配のルール)に適っているというのである。

即ち、諸個人の基本的自由の平等性を保護する『第一原理』、公正な機会の平等を確立して促進する『第二原理』のために、社会的・経済的格差は是正されなければならないというロジックがそこにある。格差の拡大を放置すると最も恵まれない貧困層はそれに合わせて『基本的自由にアクセスする力・機会の平等を生かせる力』までも失っていってしまうので、社会的・経済的な格差を是正することによって『格差の固定・意欲低下の慢性化・競争からの離脱』を防いでいるという見方もできるだろう。

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