デビッド・ミラーの『ナショナリティについて』

デビッド・ミラーのリベラル・ナショナリズムと自由民主主義
現代の多文化主義・グローバル化に対するネイションの意義

デビッド・ミラーのリベラル・ナショナリズムと自由民主主義

第二次世界大戦でナショナリズム(民族主義)とファシズム(全体主義)、ナチズムが融合する排他的・弾圧的な大惨劇が起こってしまった影響で、政治学・政治哲学の分野では長らくナショナリズムやネイション(国民・民族)を『前時代的・暴力的で危険な思想や概念』として敬遠する傾向があった。しかし、個人主義の行き過ぎに警鐘を鳴らす共同体主義、西洋中心(モノ・カネの経済中心)の価値観を批判する文化多元主義など、『地域集団・伝統・文化』に対する関心が高まったこともあって、1990年代から再び政治学・政治思想でも『ナショナリズム研究』を行おうとする研究者が増えてきた。

現代のナショナリズム研究では特に、ナショナリズム(民族主義)とリベラリズム(自由主義)の両立・相互補完の可能性を模索する『リベラル・ナショナリズム』に興味を持つ研究者・政治家が増えており、ナショナリズムと自由・平等、民主主義、文化多元主義、多文化共生、グローバル化との関係性を規範的視点から検討し直している状況がある。

ベネディクト・アンダーソン『想像の共同体』アーネスト・ゲルナー『民族とナショナリズム』に見られるように、社会学・歴史学・文化人類学の分野では、ネイション(国民・民族)及び国民国家の『人工性・人為的な創作性』が強調されてきた。ベネディクト・アンダーソンは、近代社会のメディア・出版産業(出版文化)の急成長及び公教育が人々に『共通の知識・情報の基盤』を与えて、『想像の共同体』である国民国家に帰属感を抱くことのできる『国民』が形成されたという仮説を提示した。

アーネスト・ゲルナーは工業(第二次産業)を中心とする近代産業社会の誕生と発達が、『標準化された言語・文化・習慣・価値観に適応した労働者』の大量なニーズを生み出し、そういった近代産業社会(企業中心社会)からの要請によって『ネイション及び国民国家』が段階的に構築されていったと主張した。アンダーソンやゲルナーにとってのネイション(国民)と国民国家は、『自然発生的・所与のもの』ではなくて『人為的(経済的文化的なニーズ)・創作的なもの』であり、国民国家は社会文化的な構築物として捉えられていたのである。

デビッド・ミラー(David Miller, 1946-)はイギリスの政治学者で、オックスフォード大学で政治学の教授を務めていた。グローバリゼーションや文化多元主義が進展する現代において、ネイションや国民国家制度の価値を強調するという意味で、ミラーは保守反動的・反時代的な思想家としての顔を持っている。デビッド・ミラーは“ネイション(国民)”を、『政治的な自己決定を強く希望する人たちの同質的な集団・共同体』と定義しており、これは言い換えれば『主権者意識を持つ人たちの集団単位』でもある。

共通の祖先・文化・歴史を持つ人たちの集団を“エスニック集団(民族集団)”と呼ぶが、ネイションはエスニック集団とは違って『政治的な自己決定=主権者意識の実感・政治の仕組み』に対する願望・欲求が非常に強いという特徴を持っている。国民国家は英語で“ネイション・ステイト(nation-state)”といわれるが、ここでいうステイト(state)とは『ネイションの政治的な自己決定・政治参加を保証してくれる政府・統治機構』のことを指している。

D.ミラーはナショナル・アイデンティティの特徴として、複数のエスニシティ(民族)の異質なライフスタイルや思想信条、価値観に対する『包括性』とナショナル・アイデンティティがマイノリティや異質者にも配慮する可能性がある『柔軟性』を上げている。デビッド・ミラーは、ネイションやナショナリズムは、以下のような自由民主主義(リベラル・デモクラシー)の構成要素との“相性の良さ”を持っていると主張している。

熟議民主主義……ナショナル・アイデンティティが『個人間の連帯意識・帰属感』を強めることで、議会での反対者の意見を冷静に聴きやすくなったり、徹底した議論で問題解決を図るための『帰属感・目的性の共通感覚』が生まれやすくなる。

個人の自由・権利……個人の自由・権利を社会契約説的に保護するためには、『ステイト(政府・国)』が必要であるが、このステイトを防衛するための愛国心・忠誠心としてナショナリティ(国民意識・民族帰属)が大きな役割を果たしている。

社会的な平等……ナショナル・アイデンティティが『個人間の連帯意識・帰属感』を強めてくれることで、自分や家族、恋人・友人以外の他人に対しても『最低限度の思いやり・共感性』を持ちやすくなり、『財の再分配政策(社会的困窮者の救済による平等化原理)』が上手くいきやすい。

現代の多文化主義・グローバル化に対するネイションの意義

デビッド・ミラーは、ナショナリズムやナショナリティは自由民主主義(リベラル・デモクラシー)の構成要素との相性の良さを持っており、『リベラル・ナショナリズム(自由保護の国民主義)』を生み出す潜在的な可能性を持っていると述べた。

リベラル・ナショナリズムに対しては、差異を無視して同質化や愛国心を強制することで、『個人の自由・権利』が抑圧されたり『マイノリティ(少数派)』が排除されたりするのではないかという反対意見も出されている。その批判に対してD.ミラーは、『ナショナリズムの排他性・固定性・頑迷性』をコントロールすれば、十分に包括性(包摂性)と柔軟性(可変的な適応性)を発揮することができ、個人の自由・権利やマイノリティの主張を尊重することができるとした。

ミラーは同じナショナリズムやナショナリティでも、ナショナル・アイデンティティ(国民アイデンティティ)を固定的で排他的なものであるかのように捉える『保守的ナショナリズム』については否定的に見ており、熟議や交渉によってそういった排他性も柔軟に変えていくことができると述べた。ナショナリズムを強制的・排他的・反マイノリティ的なものとして批判する『急進的多文化主義』に対しても、ミラーはナショナリティは必ずしもマイノリティ・ジェンダーを抑圧するものではなく、マイノリティ集団やそのアイデンティティを包摂する奥行きの深さ、寛容さがあるのだとした。

D.ミラーの『ナショナリティについて』は、ネイション(国民)を基軸として、『ネイションの自己決定権(民族自決・国民国家の主権性)』を最も重視しているという特徴がある。ミラーは国民国家体制を支持しつつも、『ネイションの包括性・柔軟性』によって、マイノリティな民族も集団もその自治権・独立性をで維持きるくらいには保証されていなければならないのだとした。

ミラーのネイション(国民・民族)単位の自決権の尊重は、いわゆる『国家主権・民族自決権の相互的な不可侵性』をイメージさせるものであり、そこから必然的に『自分たち以外のネイションに対する義務』が発生することになる。代表的な他のネイションに対する義務として、ミラーは以下の4点を上げている。

1.外国に物理的危害を与えないこと。

2.弱い立場にある国を搾取しないこと。

3.国際法や国際的な約束・義務を守ること。

4.自然災害の時には外国にも人道的援助を与えること。

D.ミラーは国際社会の諸外国に対しても、『正義論』の格差原理の正義を主張しており、豊かで力のあるネイションは、困窮している弱いネイションを支援して、自分たちで自己決定が可能になるレベルにまで引き上げてあげる義務を背負っているのだとした。ミラーはまたグローバル化(グローバリゼーション)の問題点として『格差の拡大・利益の寡占・競争の激化』を上げており、グローバル化によって人々の興味関心が『経済的・職業的な利益(勝ち組になるための準備)』ばかりに傾いてしまって、同じネイションの間でも『連帯感・相互扶助の意識』が失われていく危険性を指摘した。

D.ミラーはグローバル化の結果としての『仲間意識の崩壊・個人の孤立化』を憂慮したりもしているが、市場原理主義やグローバリゼーションの弊害を緩和していくには、『ナショナリティ(国民意識)の機能性』に再注目して再検討を加えていく必要もある。ナショナリティの最大の機能は、人々に同じネイションに帰属しているという感動的な実感を与えることであり、国民の間に連帯感・仲間意識を醸成することで、『相互扶助のメンタリティ・財の再配分政策への同意』が生み出されやすくなったりもするのである。

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