流言(デマ)の心理学:G.W.オルポートとT.シブタニの流言理論

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このウェブページでは、『流言(デマ)の心理学:G.W.オルポートとT.シブタニの流言理論』の用語解説をしています。

G.W.オルポートによる流言(デマ)の定義・定式化

T.シブタニの『流言と社会』における流言のコミュニケーション的特徴


G.W.オルポートによる流言(デマ)の定義・定式化

他者から伝達された客観的事実とは異なる伝聞的で無責任な情報を『流言(デマ)』という。流言(rumor)は一般的に日本語では“デマ”とか“噂話(風説・風聞)”とか言われることも多い。ウェブ時代の2000年代に入ってからは、『根拠が曖昧なインターネット上の個人情報・肖像(写真)』を元にして、少年犯罪や凶悪犯罪の容疑者とされる人物の実名・住所などが一方的に臆測と勢いで決めつけられる『流言(デマ)』の被害も増えている。

過去にはインターネット上の流言(デマ)によって、実際には凶悪犯罪(1988年に東京都足立区綾瀬で起こった女子高生コンクリート詰め殺人事件)の加害者たちと何のつながりもないのに、ある芸能人が一方的に犯人たちと知り合いで犯行にも加担していたと決めつけられる誹謗中傷事件も起こっている。このネット上の長期間に及ぶ誹謗中傷事件は、2008~2009年に初めて大勢の容疑者の一斉検挙が行われることになったが、逮捕された19人のうちの実に18人が『流言(デマ)の内容を真実だと信じていた・許せない凶悪犯を懲らしめたいという正義感から中傷の書き込みをした』と供述している。

“流言(rumor)”の特徴・性質を研究した古典的著書としては、アメリカの心理学者G.W.オルポート(Gordon Willard Allport, 1897-1967)『デマの心理学(1947年)』がよく知られている。G.W.オルポートは、その著作の中で“デマ(流言)”を以下の三つの要素で定義している。

1.話の内容が客観的事実(真実)であるかどうかの確認も検証も行われていない。

2.もっともらしさを感じる“パーソナル・コミュニケーション”を介して流布していく。

3.知っている人や権威者・有名人からその話を聞いたなどの理由から、大勢の人々に事実として信じられていく命題である。

不特定多数の他者を経由して情報が伝達されていくプロセス(過程)によっても、伝えられる情報の内容は大きく変化していくことになる。その情報変容のプロセスでは、以下の3つの作用が働いていると考えられている。

1.平均化……初期の伝達内容に含まれていた“多数の要素”が“少数の要素”へと簡略化されてその内容も平均化されていくプロセス。

2.強調化……平均化・簡略化の影響を受けた“少数の要素”のうちで、典型的な内容あるいはインパクトのある内容だけが強調されて伝えられていくプロセス。

3.統合化……伝達内容の各要素同士のバランスを取って、全体として命題の意味が成り立つような形に統合していくプロセス。

G.W.オルポートは、以下の公式で『流言(デマ)の基本法則』を定式化している。

R=I×A

Rは“流言(デマ)の流布量”、Iは“内容の重要性(Importance)”、Aは“内容の曖昧さ(Ambiguity)”を意味している。

流言(デマ)がどれくらいまで広く流布するかの“流布量”は、不特定な他者から受け取った伝達内容がその人にとってどれくらい重要であるか(興味があるか)、その伝達内容に関する根拠や証拠の曖昧さがどれくらいかの積によって規定されるという公式である。

伝聞で伝えられてきた情報内容に対して、その人が全く重要だと思わず興味がなかったり(I=0)、その情報内容の命題についての根拠・証拠が極めて明確だったり(A=0)する時には、『客観的事実と異なるデマは流布することがない』という結論がこの公式から導かれることになる。

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T.シブタニの『流言と社会』における流言のコミュニケーション的特徴

アメリカの日系の社会学者・社会心理学者であるタモツ・シブタニ(Tamotsu Shibutani, 1920-2004)も、流言(デマ)の形成・流布のプロセスに関する社会心理学的研究を行っている。T.シブタニは流言(デマ)の研究をまとめた著作として『流言と社会(1966年)』を書いているが、T.シブタニの定義する“流言(デマ)”は、G.W.オルポートの定義と比較すると『曖昧状況において個人間で合理的解釈を行おうとするコミュニケーション・プロセス』として肯定的に評価されている側面もある。

T.シブタニは、人々は情報の真偽がはっきりとせずそれを確認する方法もない『曖昧な状況』に巻き込まれると、根拠がないままに個人と個人が情報を交換し合う『パーソナル・コミュニケーション』を通して、曖昧な状況に意味を与えることのできる合理的解釈を行うことになると主張する。シブタニの想定している『流言(デマ)』とは、意図的な悪意に基づく虚偽情報の伝聞でもなければ、伝達情報の特定部分の強調や変形でもなく、非合理的で恣意的な解釈によって虚偽情報が撒き散らされるものでもないのである。

T.シブタニは流言(デマ)を、『情報の不足した曖昧状況において人々が伝達情報の意味を確認するために行う合理的解釈のコミュニケーション』として定義しているのである。このような曖昧な状況や内容に対して、合理的に意味を与えようとするコミュニケーションが集合的に生じることによって、いわゆる流言(デマ)が流布することになってしまう。

流言(デマ)の流布が起こりやすいのは、マスメディア(マスコミ)や専門家の分析、政府の広報(公的機関が担保する内容の説明)といった『権威的・制度的・専門的な情報伝達のチャネル』を介した信頼に足る正式な情報が十分に配信されていない場合であり、この場合には『私人間の予測・臆測・不安・悪意・扇動』などが入り乱れた危険な流言(デマ)の範囲・速度が拡大していくこともある。

一般に信頼できる公的な情報伝達のチャネルが制限されている場合には、不確実かつ感情的な私人間の対面コミュニケーションである『補助的チャネル』に依存する割合が高くなり、流言(デマ)が広範囲に広がりやすくなってしまうのである。

現代の社会心理学では、どちらかといえば上述したオルポートよりもT.シブタニの流言理論のほうが支持されている。G.W.オルポートの理論は人から人へと情報が伝達されていくプロセスにおいてその内容が変容していく(言い間違えが積み重なっていく)という『伝言ゲームの過ち』が流言の原因とされている。一方、T.シブタニの理論のほうは信頼できる公的チャネルが制限されている曖昧状況の中で、『人々による意味確認の合理的解釈(合理的コミュニケーション)』が行われることによって流言が生みだされるとしている。

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