摂食障害(Eating Disorder)と自己愛の病理
摂食障害の心理療法と家族療法的なアプローチ
食行動の強迫的・嗜癖的な異常である摂食障害には、俗に拒食症と呼ばれる『アノレクシア・ネルヴォーザ(神経性無食欲症)』と過食症と呼ばれる『ブリミア・ネルヴォーザ(神経性過食症)』の二つがあり、両者の既往(エピソード)は繰り返し出現します。食欲が異常に減退して健康を維持するだけの食事が摂れなくなるアノレクシア・ネルヴォーザ(Anorexia Nervosa)と食欲が過剰に増大して過食と嘔吐を繰り返すブリミア・ネルヴォーザは、一見すると、正反対の精神疾患のように思えます。
しかし、アノレクシア・ネルヴォーザによる過度の節食や不食(断食)をして痩せ衰えていたクライアントが、次の日には、ブリミア・ネルヴォーザによるビンジ・イーティング(無茶食い)と誘発性嘔吐(下剤乱用)の症状を見せることは頻繁にあり、拒食のエピソードと過食・嘔吐のエピソードは何度も執拗に繰り返されます。拒食症と過食症は『強迫的な痩せ願望・摂食行動への罪悪感と抑うつ感・自己愛の過剰・家族への依存心・精神的な退行・身体に関する美的感覚の歪み』といった共通点を持っており、二つの精神疾患は同じ自己愛性の病理の表と裏なのです。摂食障害は、薬物やアルコール、対人関係(性行動)に対する嗜癖(依存症)や強迫的な食行動に生活を支配される強迫性障害とオーバーラップ(重複)しやすい疾患ですが、境界例(境界性人格障害)などに示される自己愛の病理に近い特徴を多く持っています。
特に、小学校高学年から中学生・高校生に好発する思春期痩せ症と呼ばれるアノレクシア・ネルヴォーザ(Anorexia Nervosa)では、母親への情緒的な依存性や怒り(感情)のコントロール困難が見られ、不安定な対人関係と衝動的な自傷行為を特徴とする境界性人格障害(境界例)の診断基準を満たすことがあります。しかし、最近の摂食障害のクライアントには20代後半から40代に至る比較的高い年齢の人が増えており、思春期に発症しやすいアノレクシアである思春期痩せ症という病名が使われる機会は減っています。摂食障害の発症年齢の広範化により、30代以上の高い年齢の人にも境界性人格障害の問題を抱えた摂食障害者が増えてきています。
境界例(境界性人格障害)と嗜癖(依存症)は、幼少期に両親からの保護と愛情を十分に受けられなかったアダルトチルドレン(Adult Children)に発症しやすい疾患と考えられていますが、摂食障害の場合には『過去に問題のあった家族関係』よりも『現在の問題のある家族関係』が重要になってきます。子供が摂食障害を発症した親の中には、『自分の育て方が間違っていたのではないか?子供時代に十分な愛情を注いであげられなかったのではないか?仕事が忙しくて子供を構ってあげられなかったのが悪かったのではないか?育児放棄や精神的虐待を知らず知らずのうちにしてしまったのではないか?』と自分を責めるような形で原因を追求される方もいますが、(明確な虐待がある場合を除いて)親の不適切な育て方だけが原因で摂食障害を発症するケースは余りありません。
アダルトチルドレンと摂食障害を含む嗜癖問題には有意な相関がありますが、摂食障害の発症の全てに明確な家族因(両親の歪んだ育児態度・両親の病的な嗜癖)があるわけではなく、痩せた身体を過度に美化する社会の風潮や日常生活における心理社会的ストレスなど複数の要因が関係しています。摂食障害の発症原因には、機能不全的な家族関係以外にも、喪失感の大きい失恋や離婚、強い挫折感を伴う受験(就職)の失敗、肥満恐怖と痩せ願望を煽るメディアの影響、他者の愛情を際限なく求める自己愛障害を考えることが出来ます。嗜癖の一種としての摂食障害は、社会活動(学校生活)における心理的挫折や対象喪失(愛する者を失うこと)によって急速に発症することもあり、不登校(登校拒否)やひきこもりの問題と合併することも少なくありません。
身体衰弱が激しくなり学校に行けなくなったアノレクシア・ネルヴォーザ(拒食症)の人や他人(社会)との接触を断ち切ってひきこもりながら拒食と過食、嘔吐を交互に繰り返している人は、『美しくなる為に食事を摂らないのです・自分に揺るぎない自信をつける為に痩せなくてはならないのです・痩せた魅力的な身体を維持しないと自立できないのです』といった現実の状況と矛盾した発言をすることがあります。
重度のアノレクシアを持つ人にとって、拒食を継続することが自分の自信や魅力、価値を飛躍的に高めることであり、拒食から過食に症状が移行すると自分には生きている価値がないと思い込んでしまうのです。こういった摂食障害者の発言から分かるのは、食事を過度に制限して体重をギリギリまで減らす『拒食(不食)』に特別な儀式的意味(主観的価値)を持たせているということであり、食事を摂らなければ摂らないほど『自分の存在意義(揺るぎない自信・脅かされない自尊心)』が高まると確信しているということです。
摂食障害の病理水準が深ければ深いほど、『食事を摂らないことが、価値ある自分を作り上げる』という非現実的な確信が強くなり、食べなければ食べないほど(痩せれば痩せるほど)自分に特別な魅力や不動の自信が身に付くと信じ込む傾向が見られます。『そんなに食事を拒否していると死んでしまう』という合理的な説明をある程度受け容れられる人や『あなたの健康や生命が心配だから、何とか食べて欲しい』という親や医師(心理士)の感情的な心配に耳を傾ける余裕のある人は、比較的摂食障害の病理水準が浅いと考えられます。
摂食障害の回復期には、それまで両親の意見や心配を頭ごなしに拒絶していたクライエントが両親の話に少し耳を傾けるようになり、医師(カウンセラー)の指導や助言をまるで聞かなかったクライエントの態度も緩やかに変化してきます。『痩せ続けることには特別な価値がある』という主観的な強い思い込みや極度の肥満恐怖と個人的な美(魅力)へのこだわり、食行動を完全にコントロールしようという強迫的な日常生活(行動パターン)が少しでも和らいでくると、摂食障害の治療は加速度的に進展していきます。
自分の価値観と一般的な価値観、両親の気持ちを客観的に比較することが出来る段階になってくると、病的な痩せ(不食)へのこだわりも弱まり生命の危機を感じさせるほどの食事の拒絶はおさまってきますが、そこに至るまでには、摂食障害を維持している特異的な家族関係(家族成員の強迫的パーソナリティ)の肯定的変容が必要となります。生命の危機が心配される重症の摂食障害の場合には、医師とカウンセラーが共同して治療に当たることが原則です。特に、カリウムやナトリウムの血中濃度が異常に低下する低カリウム血症(野菜・果物などの食事の拒絶が原因となる)や低ナトリウム血症(水や氷の過剰摂取が原因となる)には、点滴による栄養補充など医学的治療が必須となりますので注意が必要です。低ナトリウム血症や消化器疾患(消化性潰瘍)を併発する摂食障害で多く見られるものとして、毎日大量の水分を摂取し続けることでストレス解消をする行為や固い氷をガリガリと強迫的に食べ続けないと気持ちが落ち着かない『氷食症』の症状があります。
美味しいものを食べたいという本能的欲求(生理学的欲求)を無理に押さえつけて我慢する不食(拒食)行為は、摂食障害者の『全てを思いのままにコントロールしたい』という幼児的な全能感をある程度満たしてくれます。しかし、多くのクライエントは体力と我慢の限界もあって、長期間にわたって食欲を押さえ込み続けることができず、そのリバウンド(反動)として異常な過食行為へと駆り立てられます。拒食症の症状を示すクライエントの中には、『自分は何も食べたくないし、無理して食欲を押さえ込んでいるわけではないから構わないで欲しい』という人もいますが、拒食症と過食症のエピソードが頻繁に交互することを見ても分かるように、拒食症の人は『抑えがたい慢性的な飢餓感』を抱えているものです。
逆に言えば、慢性的に襲い掛かってくる強烈な飢餓感(食べたくてたまらない衝動)を自分の力で押さえ込むことが出来たという『達成感(有能感)・征服感(力の感覚)・満足感(安心感)』が、ある種の道徳的マゾヒズム(正しい事をやり遂げて受ける苦痛や空腹に対する被虐性)による快楽を生み出していると言えます。食事を力づくで我慢することで得られる道徳的マゾヒズムと自尊心の高まりが、苦痛と空腹、社会不適応をもたらす摂食障害を慢性化させているのです。また、過食や嘔吐、パージング(強制排出行為)は口腔・食道・胃腸・肛門といった消化管を強く刺激するので、摂食障害者の多くはその物理的な刺激に対する反応として、苦しみ(気持ち悪さ)と同時に快楽(気持ちよさ)を感じています。
摂食障害を『自己愛性の病理』と考える最大の理由は、摂食障害者がこの道徳的マゾヒズムと節食・過食嘔吐による身体感覚(自己存在のリアリティ)の強化によって、自分を特別な尊厳と価値のある存在にしたいと考えているからです。そして、過剰な自己愛の表れとして、摂食障害の顕示的な激しい症状を通して、家族(両親)や周囲の人々の行動と関心を思い通りにコントロール(操作)しようとするのも摂食障害の特徴です。
拒食と過食嘔吐の既往(エピソード)を延々と続けている摂食障害者は、毎日24時間『食事の制限・食欲の抑制・体重のコントロール』のことが頭の中を支配しており、食行動のコントロールを失う恐怖と不安によって社会的機能(自由な行動の選択)が大幅に制限されています。拒食のアノレクシアのエピソードが過食(無茶食い)のブリミアのエピソードに転換すると、自己嫌悪や抑うつ感が途端に強まっていきます。その為、『本能的な食欲に負けたという罪悪感(敗北感)』や『動物的に食物をむさぼってしまうという自己嫌悪』を薄めるために、自己誘発性嘔吐や下剤・利尿剤・浣腸の乱用といった『精神的浄化を目的とする排出行為(パージング, Purging)』が見られるようになります。
食事を過度に制限する『痩せ願望』と過食した食物を即座に嘔吐したり排泄したりする『排出行為(パージング)』は、『際限のない主観的な美の追求』という自己愛の亢進を意味しています。自己愛的な美をがむしゃらに実現したい理由としては、『他者からの承認欲求』と『家族への愛情希求(被保護感覚の欲求)』があり、痩せた美しい身体と食事をむさぼらない高貴な精神さえあれば『見捨てられ不安・成熟拒否の不安』に悩まされることがないという無批判な確信があります。
見捨てられ不安とは、自分にとって重要な位置づけを持つ他者(母親・父親・恋人・配偶者)からの愛情や関心を失って見捨てられてしまうのではないかという不安であり、早期母子関係の不全や情緒的なコミュニケーションの少なさ、本人の性格傾向の過度の偏りなどが原因となって起こります。成熟拒否の不安には、『性的パートナーを持つ女性性の成熟に対する不安』と『社会的義務を負う社会性の成熟に対する不安』の二つの側面がありますが、性道徳が弱まり性の自由化が進んだ現在では後者の不安が強まるケースが多いようです。他者の愛情や保護を求める傾向が強い摂食障害者が、性的逸脱を伴う行動化(不快な感情の行動による浄化)を起こした場合には、対象選択(相手)に余りこだわらない不特定多数との性的関係が見られることもあります。その意味では、自分を愛してくれる他者がいない孤独感や空虚感に耐えられない摂食障害の人は、恋愛依存的な嗜癖やセックス依存的な行動障害、DV(ドメスティック・バイオレンス)を伴う異性関係の繰り返しを示しやすいと言えます。
摂食障害者は『不食の維持・体重の制限』に強迫的で儀式的なこだわりを見せますが、嗜癖行動でもある摂食障害の特徴の一つが強迫性障害にも通底する『食行動のコントロールにまつわる強迫観念(強迫行動)』なのです。何故、摂食障害でこのような強迫症状が生まれるのかというと、食事を厳格にコントロールすることが彼らのレゾンデートル(存在意義)や理想的な自己アイデンティティにつながっているからです。摂食障害は現象面だけに着目すると、極度の痩せと顕著な衰弱によって生命の危機をもたらすものですが、不食(拒食)と過食嘔吐を繰り返すクライエントにとっては、傷つき挫折しながらも何とか生き残ろうとする『生への欲求』を象徴した病気なのです。
摂食障害の悲惨な現象面だけに注目して『緩慢な自殺(生の欲求の減衰)』として解釈する人もいますが、一般的には、意味ある生活と価値ある自己を目指そうとする『生への敏感なこだわり(不器用な生きる意味の追求)』として摂食障害を解釈したほうが適切ではないかと思います。摂食障害の症状が長引きやすい理由として、両親から正当な愛情と力強い保護を得たいという『発達早期の親子関係への精神(行動)の退行』があります。つまり、拒食や過食嘔吐の症状が完治してしまうと、今までのように両親が自分に注目してくれず愛情を持って接してくれないのではないかという『見捨てられ不安』があるわけです。
苦痛な病気に罹っている間は、両親や周囲が優しく看病してくれて丁寧に接してくれるという『子供時代の記憶痕跡(疾病利得の思い出)』が、自分が深刻な病気になってさえいれば愛情や保護を奪われることがないという『病者アイデンティティ』を育てていきます。自分は重い病気を患っているという病者アイデンティティは、両親や周囲の人たちの手厚い看病や優しい対応を生み出し『見捨てられ不安(対象喪失の恐怖)』を和らげますが、その疾病利得によって『回復拒絶の心理(病気のままでいたい依存欲求)』を強めてしまいます。摂食障害の各種の激しい症状によって得られる疾病利得や自己愛の充足として以下のようなものを考えることが出来ます。
摂食障害の心理療法とは、この『回復拒絶の心理(心理社会的自立に対する不安)』と『自己愛に根ざす強迫性』を段階的に弱めていくことであり、特別な心身症状で両親の注意や心配を惹きつけなくても自分は無条件に愛されているという感覚(対象恒常性の感覚)を培うことが大切になってきます。摂食障害の心理療法(カウンセリング)において家族病理が明らかになる場合には、精神内界に形成されるべき対象恒常性の欠損として現れてきますが、対象恒常性(object consistency)というのは、心の内面にあって決して消えることのない『自分に愛情を注いでくれる対象』のことです。
対象恒常性の多くは、自分を大切に育ててくれた母親や父親のイメージ、あるいは、子供時代に優しく面倒を見てくれた祖父母のイメージとして現れてきます。摂食障害に対処する心理療法や家族療法(家族合同面接)の最終的な目標は、いつも心の中で自分を見守ってくれているイメージ(表象)を再形成することであり、他人の保護的な関心を集める拒食や過食に依存せずに自分の価値・魅力を実感できる『適応的な自己アイデンティティ』を再構築することなのです。そして、気分を安定させ不食・過食を抑制する対象恒常性を再形成するためには、家族のカウンセリングに対する協力と両親の子供に対する共感的な理解が必要になってきます。家族病理に注目しても注目しなくても、自己愛(特殊なアイデンティティへの固執)と依存性を特徴とする摂食障害の心理療法では、家族療法的なアプローチや家族(両親)を同席させる心理面接が重要な意味合いを持ってきます。
摂食障害に対する医師の診察では、医師の側の回復を願う気持ちや体調を気遣う不安を伝える為に、『四肢・背側肋骨・腹部』などの念入りで丁寧な触診を行うことが効果的だとされますが、直接的な診断行為ができない心理臨床家(カウンセラー)の場合には、異性に対する触診は非臨床的な性的メッセージとして受け取られる恐れがあるので控えるべきです。摂食障害の人には愛情や思いやりを込めた身体的な接触(タッチング)に効果があるので、母親の体力が許すのであれば一定の時間を決めてお互いにマッサージをして上げるというのも良いと思います。但し、無制限に長くマッサージ(肩たたきや首もみ、肩ふみ)をして上げるのは、幼児的な退行を強める恐れがあるので夜に30分までとか時間の制限をきっちりつけることが大切です。カウンセラーの心理臨床行為のみで安全性と効果を期待できるのは、病的な痩せが見られない軽度の摂食障害だけであり、拒食や過食嘔吐が激しく身体的な衰弱が見られる場合には、医学的な身体的ケアと点滴による栄養補給が必要になります。
摂食障害の心理療法やカウンセリングを実施する心理臨床家(カウンセラー)の中には、クライエントが話したい食行動の異常に敢えて触れずに、日常生活や職業上のストレスを取り上げ家族関係の問題ばかりを話題にする人もいます。拒食や過食嘔吐の話題に触れないようにするカウンセラーは、食行動の異常を話題に取り上げることが症状の悪化につながり本人の自尊心を傷つけると推測していますが、カウンセラーとクライエントの信頼関係(ラポール)が成立しており、クライエントが摂食障害の悩みを抱えていることが明らかな時には積極的に摂食障害の症状や気持ち、意見について傾聴すべきです。
不食・節食・拒食のエピソードを経験しているクライエントは多くの場合、気分がハイ(爽快)になっており軽度の躁状態(躁的防衛)にありますから、自分から拒食の症状や拒食する理由、過食に移行した時のつらい気持ちや嘔吐する時の自己嫌悪について話してくれることも少なくありません。摂食障害は、気分障害(躁鬱病)に似た気分易変性(気分の変わりやすさ)を示すことでも知られますが、躁状態と抑うつ状態の出現は拒食と過食のエピソードの発生に対応していることが多いです。
つまり、自分の理想とする痩せた身体に近づいていると実感できるアノレクシア・ネルヴォーザ(神経性無食欲症)のエピソードの時には、気分が晴れやかになり活動的になって軽度の躁状態になります。これを摂食障害に特有の『躁的防衛』と呼ぶこともあり、摂食障害の人はこの躁的防衛によって自分の心理的挫折やアイデンティティの拡散による空虚感から自分を守っているのです。反対に、自分の嫌悪する太った身体に近づくようなブリミア・ネルヴォーザ(神経性大食症)のエピソードの時には、気分が落ち込みひきこもりがちになって抑うつ状態(精神運動抑制)を示しやすくなります。
摂食障害のカウンセリングでは、まずクライエントが抱えている食行動の異常(拒食・過食)の持つ『心理的な意味(自分にとっての価値)』を丁寧に聞くことが大切で、その症状がクライエントにとって自我親和的(肯定的)なものなのか自我異和的(否定的)なものなのかを判断した上で、クライエントの置かれている状況の理解を進めていきます。しかし、摂食障害の多くのケースでは、完全に自我親和的である症状や完全に自我異和的である症状は少なく、両者(肯定的な感覚と否定的な感覚)が混在するアンビバレンツ(矛盾する両価性)なものとして摂食障害は体験されています。上で書いた各種の疾病利得(他者の愛情と注目の獲得・社会的義務からの免除・特別な自己アイデンティティの確立など)を念頭に置きながら、回復拒絶の心理を弱め現実的な自己認識を取り戻していく形でカウンセリングを継続していくことになります。
ここでは、摂食障害が自己愛性の病理であることを詳しくて見てきましたが、回復拒絶の心理として現れる過剰な自己愛は『平凡恐怖・標準嫌悪・自己の特別視の心理』として表れてきます。摂食障害を発症することによって得る自己アイデンティティの特徴を一言で表現すれば『私は平均的な大衆とは違う特別な価値(意味)を持つ存在である』ということであり、見捨てられ不安や心理的挫折(トラウマティックな体験)によって生じた自己否定的な感覚を『食行動の徹底したコントロール』という特殊な方法で補償しようとしているのです。食行動の徹底的なコントロールは健康な人であってもなかなか出来るものではないのですが、摂食障害の強迫性が『コントロール欲求・秩序志向性・完全主義・スケジュール管理』として現れることで摂食障害の症状にある種の義務感や達成感、充実感が生まれてきます。
摂食障害を持つクライエントだけでなくクライエントの家族にも、特別なこだわりや完全主義的な欲求、過剰な活動性を持つ強迫的なパーソナリティ(性格構造)の持ち主が多く見られます。摂食障害の家族病理として指摘できる一つのポイントとして、完全主義欲求・過剰な活動性・特別な家族内のルールに示される強迫的パーソナリティを指摘することが出来ます。家族療法的なアプローチでは、家族成員のそれぞれが気付いていない強迫的な行動パターンや認知(考え方)に気付いてもらい、クライエントと一緒に『~しなければならない』という強迫的な価値判断を弱める共同作業を進めていきます。精神分析の性格理論では、強迫パーソナリティ(強迫的な性格)は『肛門期へのリビドーの固着・退行(肛門期性格の形成)』として説明されますが、肛門期性格の特徴として『厳格・頑固・几帳面・秩序志向性・倹約家(吝嗇)・整理整頓の悪さ・過活動性』などを上げることができます。
上記した肛門期性格(強迫パーソナリティ)は、摂食障害の病前性格として認識することもできますが、発症後の退行的な行動パターン(食行動の完全なコントロール欲求・嘔吐後の後始末の悪さ)や症状の慢性化にも強迫的なパーソナリティが影響していると思われます。摂食障害のカウンセリングでは、個人精神療法(個人心理面接)よりも両親・家族が同席する家族療法(合同心理面接)のほうが有効です。家族療法的なアプローチでは、まず、摂食障害の子供を一生懸命に世話して疲れきっている母親の心痛と苦悩に共感してサポートすることで、子供を守る家族システムが機能し続けられるように援助していきます。次いで、普段は余り家族の問題に深入りしない父親を家族療法(家族面接)に取り込むことに力を注ぎ、子供の摂食障害の治療にあたって『父親の病気に対する理解(子供への関心)とカウンセリングへの協力』が非常に役立つことを説明していきます。
摂食障害の子供へのカウンセリングは、本人の希望している『愛情欲求の充足と安心できる家庭環境』を整えるところから始めていき、完全に治ってしまったら両親の愛情や世話を受けられなくなるという『退行的な回復拒絶の心理』を和らげることに集中していきます。親に対する愛情欲求を充足していきながらも、盗癖(万引きや盗みの習慣)や家庭内暴力、薬物・アルコールへの破滅的な依存、異性(性行為)への病的な依存については厳しく注意する態度を維持し続けることが必要であり、境界例(境界性人格障害)のカウンセリングと同じように『して良いこと・して悪いこと』の境界線をはっきりと明示することが本人を『クリティカル(致命的)な破滅・犯罪につながる危険』から守ることにつながります。
退行的な回復拒絶の根拠は、『摂食障害が良くなったら、もう両親の温かい保護や世話を受けられなくなるのではないか?』という依存的な不安にありますので、摂食障害の家族療法では『少しずつ良くなっていっても、今まで通り両親が全力で応援して協力する』と約束して上げるとクライエントは安心します。実際の家族療法的なアプローチでは、家族構成員それぞれの感情や意見、考え(価値観)を自由に発言して貰いながら、日常の家庭生活ではなかなか気付かなかった『家族成員それぞれの長所(強さ)・短所(弱さ)・悩み・気持ち』などに気付いてもらうようにカウンセラーが適切なフォローをして心理学的な説明を入れていきます。
家族療法的アプローチの進行過程では、摂食障害を維持している非機能的なコミュニケーション・パターンを改善し、相互尊重に根ざした良い家族関係を作り上げていけるような言語表現と行動パターンを身に付けていきます。機能的な家族関係を取り戻すためには、『自分の行動・発言・態度』が他の家族にどのような影響を与えているのかをしっかりと理解して、(一定の年齢に達した)家族成員が相互に温かい思いやりと適度な自立心を持つ必要があります。摂食障害の子供の『家族に対する依存心(愛情欲求)』と『家族からの自立心(自尊感情)』のバランスが取れ、標準嫌悪を克服した『(摂食障害に依存しない)自己アイデンティティ』が芽生えてくると、摂食障害の症状や行動化の問題は段階的に軽減していくのです。
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