強迫性障害(強迫神経症)は、『強迫観念』と『強迫行為・儀式行為』の二つの特徴的な症状によって規定される精神疾患です。DSM―Ⅳでは、不安障害の範疇に含まれますが、必ずしも不安感による動悸や発汗、呼吸困難といった自律神経症状が起きるわけではないという点が他の不安障害とは異なります。
『強迫観念』とは、『考えないでおこうとしても考えずにはいられない不快な思考内容。意識からどれだけ追い払っても追い払う事が出来ず、絶えずまとわりついてくる不安感を伴うイメージや思考内容。』のことです。強迫観念は、長時間にわたって反復的に繰り返される不安な観念で、通常の不安感のある嫌なイメージとは違って、自分の意志で消し去ったり忘れたりする事が出来ません。その内容は多岐にわたり、千差万別ですが、『~しなければならない』というある行為を行うことを要請するような強迫観念が多いようです。
『強迫行為』とは、強迫観念によって引き起こされる不合理で実際的な意味を持たない行為の事で、強迫性障害の人は、強迫観念に基づく『不安・恐怖・不確実感』を和らげる為に強迫行為を長時間にわたって繰り返し反復します。強迫行為を行う事によって、一時的な安心感や安定感を得ることが出来ますが、再び強迫観念が頭の中に湧き起こってきて、強迫行為をとらないではいられなくなるといった悪循環に陥る事で日常生活に支障を来すことになります。
強迫行為は、大きく分類すると、何時間も同じ行動を繰り返し反復的に続ける『反復行動』と完全な行為の遂行をする為に繰り返して何度も確認する『確認行動』に分けられます。
強迫観念と強迫行為の思考内容は、実に様々な種類があります。以下に、代表的な強迫観念と強迫行為について説明します。
最も代表的な強迫観念は、排泄物・汚物・分泌物・他人が触れた物・動物・飲食物などの汚れが必要以上に気になって仕方がないという『不潔恐怖』の強迫観念です。不潔恐怖には、多くの場合、『細菌感染恐怖』が一緒になって現れます。
トイレに行くと、排泄物の細菌が手についているという観念が湧いてきて、どれだけ手を洗っても完全に綺麗になったという安心が得られなかったり、他人が食べた箸やフォークは汚いので絶対に使えないという考えが頭を離れなかったりします。昼間行動していて、汗をかくと、その汗がとても汚いものに思えて何度も洗濯を繰り返したり、外出して帰った時には、必ず繰り返しシャワーで全身を洗い流したりします。食事の後の口の中の汚れが気になって、何時間にもわたって歯磨きを反復的に続けたりする事もあります。また、犬、猫などの動物には恐ろしい病気になる病原菌があるので、汚くて触ることが出来ないと感じたり、動物に触れてしまった場合には強迫的に何回も手を洗ったりします。
不潔恐怖と細菌感染恐怖の根源には、『汚れによって健康を侵害されてしまうという恐怖・不安の心理』がある事が多く、その恐怖を和らげて安心を得る為に強迫行為である『洗浄行為』を執拗に反復して行います。しかし、強迫観念や強迫行為の原因として、その考えや行為そのものとは全く無関係な『抑圧された無意識的な苦悩や不安』といったトラウマ的体験が背後にある場合もあるので、短絡的な原因探しや対処法は慎まなければなりません。
自分が汚れてしまっているという観念が頭から離れず、洗浄強迫行為に一日、数時間も消費してしまうようになると通常の日常生活を送る事が困難になってきます。重度になると、汚れることへの恐怖から、外出する事が出来なくなったり、トイレへ行ったりする事が出来なくなります。
『出掛ける時に、玄関の鍵をかけ忘れたのではないか?』という心配は、誰もがよくする心配で、時には一度家に戻って鍵を掛けたかどうか確認する事もあります。しかし、強迫性障害になると、何度確認しても、『もしかしたら、鍵を掛け忘れたのではないか?』という強迫観念が頭を離れず、繰り返し何度も何度も確認しなければ安心できません。他にも、電気器具のスイッチを切ったかどうかを何度も確認したり、ポストに投函する前の手紙の郵便番号や住所を何十回も正しいかどうか確認したりといった形で強迫的な『確認行動』を取らないと気持ちが落ち着かず、不安になってしまうのです。IT時代の現代ならば、送信したメールが本当に相手に送られたのかどうか繰り返し送信メール欄やアドレス欄を確認したりといった形で確認行動が出てくるかもしれません。
英単語のスペルが正しく綴れるかどうか不安になって、appleのような単純な単語でも、何度も何度もスペルを確認したり、漢字が正しく書けるかどうか気になって仕方がなくなり、読書が困難になるといった形で強迫的な確認行為が現れる事もあります。
反復的で強迫的な確認行動の不安の根源には、『不完全恐怖:自分の確認行為が不完全である事への恐れ・行為の完全性を目指しながらも絶対的な保証が得られない事への不安』があると考えられます。デカルトではありませんが、この世界の中で絶対的な明証性及び確実性を有するものは考えている自分の思考内容以外にはないのかもしれません。故に、私達の認識や判断は、絶えず間違いを犯す可能性を持っていますが、日常生活を滞りなく円滑に営んでいく為には、取りあえず自分の認識や判断が正しいものとして考え、何回かの確認で妥協して納得していくことが必要なのでしょう。
確認行為を強制する強迫観念が自分の服装や容姿というものに及んでしまうと、『強迫性緩慢』といった症状に至ることもあります。これは、外に出掛ける時に、『自分の選んだ洋服や靴は変じゃないだろうか、顔は汚れてないだろうか、髪形は乱れてないだろうか、持っていく物に忘れ物はないだろうか、約束の日時に間違いはないだろうか・・・』といった外出に必要なあらゆる事柄に対する不確実感や不完全感が募って、不安になり、確認に必要とする時間が常識外れに長くなってしまって、外出する事が困難になるといった状態です。
『縁起恐怖』というのは、自分に幸運をもたらし、災厄から守ってくれると信じている縁起をかつがなければならないという強迫観念にとらわれてしまい、仕事を成功させる為には毎朝、靴紐を10回結びなおさなければならないといった強迫行為をせずにはいられないといった種類のものです。縁起恐怖と似たものに、『入眠儀式』という強迫行為もあります。自分が気持ち良く眠りに就くためには、あるいは、不眠症にならないためには、ある一定の手順に従った儀式的行為を行わなければならないというものです。
縁起恐怖や入眠儀式に共通する要素は、『独自の自己規範の制定』です。自分だけにしか適用されない奇妙なルールだが、それを必ず守らなければ何か恐ろしい事態が自分に起こり、破滅してしまうという強固な確信によって強迫観念と強迫行為が支えられ、維持されています。そして、自分で作った不合理な決まり事によって、自分自身の行動や考えを規制し、がんじがらめになってしまい日常生活に障害が出てきます。その自分で決めたルールがバカバカしくて奇妙である事は、それを守っている本人自身にも十分に自覚されているのですが、どう抵抗してもやめることが出来ないというところに強迫性障害の苦しさと悩みの深さがあります。
強迫性障害の人たちは、生活や仕事の全般にわたって完全性を求める完全主義者とは違って、ある特定の行為や出来事に限定して、徹底的に完全に行おうとします。
強迫性障害は、精神障害の中で、うつ病(気分変調障害)、パニック障害に次いで多い心の病気で、人口の2~3%に発生していると考えられていますが、治らない奇妙な癖や性格として済ませていたり、症状を説明することを恥ずかしく思っていたりする事が多く、実際に専門機関や病院で治療を受ける人は極めて少ないようです。
日常生活を正常に楽しく行える為には、強迫性障害に効果的な認知行動療法によるカウンセリングや医師の治療(薬物治療)を出来るだけ早期に受けた方がいいでしょう。
強迫性障害になりやすい性格傾向として、几帳面で些細な事が気になりやすい神経質な性格や物事をいい加減に行うのが嫌いで完全主義の傾向があり、外部の刺激に敏感な性格が挙げられます。
生物学的な原因としては、SSRIの投与によって強迫症状が軽減する事からの帰納で、脳の情報伝達過程の障害(ブレイン・ロック)が考えられ、脳内ニューロン間で情報を伝達するセロトニンの分泌が不足している事が原因であるとするセロトニン仮説が有力とされています。おおまかな説明ですが、神経伝達物質のセロトニンの働きが悪いことと、脳内の線条体という電気的な情報刺激を取捨選択する部分が適切に機能していない事によって強迫観念が繰り返し起こってくるという事になります。
実際の強迫性障害の発症には、元々、強迫性障害になりやすい性格的気質(脳の器質・機能的特質など生物学的素因も含む)があって、そこに環境や対人関係からの強いストレスや特別に衝撃的な外傷体験が加わって、セロトニン系神経による脳内の情報伝達過程がスムーズに行われなくなり発症すると考えられます。
強迫性障害の非薬物療法としては、自己洞察や悩みの根源的葛藤を突き止める精神分析や支持的カウンセリングはあまり効果が期待できず、認知行動療法が一般に効果が高いとされています。