恐怖症(phobia)
単一恐怖・社会恐怖(対人恐怖症)
広場恐怖(外出恐怖症)

恐怖症も不安障害の内の一つですが、具体的な対象や状況を特定できない漠然とした恐れとしての『不安』に対して、『恐怖』は、明確な特定の対象や状況に対する恐れの感情を意味します。

誰にでも苦手なものや恐怖を感じる状況はありますが、その恐怖の対象となっているものが、実際にはそれほど危険ではなかったり、恐怖の程度が必要以上に極端に強くて、日常生活や社会活動に支障を来たすような場合には恐怖症(恐怖性障害)の可能性があります。

恐怖症に罹っている多くの人は、自分が感じている恐怖が、『不必要なほど敏感で過剰である事』や『恐怖を感じている対象が実際にはそれほど危険なものでなく、その恐怖が不合理な事』は十分に分かっているのですが、意識して恐怖を感じないようにしても、無意識の内に特定の事物や状況に恐怖感を覚え、強い不安や苦痛を感じたり、それを避けようとしてしまいます。

最も分かり易い恐怖症として、単一の限定された事物または状況を異常に怖がる『単一恐怖』があります。

代表的な恐怖の対象には、以下の様なものがあります。

これらの恐怖の対象は、『蜘蛛やムカデは気持ちが悪くて嫌だ、蛇や犬は噛み付かれると危ない、高い所は落ちたら危険だ、狭い場所に閉じ込められると息苦しい、真っ暗な場所は何となく怖い、雷が突然なるとドキッとして驚く、地震は生命の危険があることもある、血液は見ているだけで痛々しい、注射はチクッと痛みがする、手術は大きな苦痛とリスクがある、外傷は相手の痛みを共感してしまう、ナイフは刺されると大怪我をするから尖端を見ているとヒヤリとする、鉛筆やドライバーももし間違って目にでも刺されば危ない・・・』などと言った感じで、ある程度はその恐怖の感情を共感する事が可能です。

しかし、いつもその対象を見るだけで耐え難い恐れを感じたり、全ての高所や閉所を避けて行動したり、恐怖の為に気分が悪くなったり、パニック発作、めまい、吐き気、失神を起こしたりといった形で、その恐怖を感じる程度が行き過ぎていて極端過ぎる場合は、日常生活や仕事の遂行に支障を来たすことになり、本人にも大きな不安や苦痛を与える恐怖症となります。

単一恐怖の発症の原因としては、幼少期の強烈な恐怖体験や不快で苦痛な出来事などが関係している事が多いようです。例えば、犬に追いかけられて噛まれたとか、無理矢理押さえつけられて予防注射を受けた、高い木の上から落ちて痛い思いをした、大怪我をして頭から流血して死ぬ思いをしたとか、悪い事をした罰として狭くて暗い物置きに閉じ込められたとかいった幼児期に強い恐怖を感じた経験が成長した後にまで消えずに残っている事で恐怖症となります。

しかし、単一恐怖の中には、エディプス葛藤(異性の親への愛情及び同性の親への敵意)による心的危険を外的危険に置き換えたものと解釈されるものもあり、かつての精神分析理論では『不安ヒステリー』と呼ばれていたりもしました。その場合には、リビドー(性的欲動)は不安に転換され、徐々に恐怖の対象へと置き換わるので、恐怖の対象は象徴的代理物と見られる事となります。

単一恐怖は、若年層に発症しやすく、中年期になると感覚や感受性がやや鈍くなる事から自然に症状が軽快したり消失することが多いようです。

『広場恐怖(agora phobia)』は、電車・地下鉄・バス・飛行機などの公共交通機関、人込み・雑踏・長い行列、混雑したデパート・駅、エレベーター、橋の上、トンネル、(一人でいる時の)自宅といった場所で、『もし、何か大変なこと(身体や精神の異変)が起きたらどうしよう?』という予期不安によって誘発される強烈な恐怖を特徴とする恐怖症の一種です。

広場恐怖の対象となる場所は、簡単に助けを呼びにいけないような場所やその場から迅速に逃げ出す事が困難な場所が殆どですが、『恐怖を感じる場所が、実際に助けを求められず、逃げ出せない場所というわけではなくて、本人が主観的に助けを呼べないと思い、逃げ出せないと思い込んでいる場所』に過剰な恐怖を感じてしまうのです。

広場恐怖の『広場=agora』とは、ギリシア語の広場のことで、元々は『市民が多く集まり、議論を戦わせたり、市場を開いたりする広い場所』を指していました。広場とは、物理的な広い場所を指すという意味合いよりも、人が大勢集まる公共の場所という意味合いが強く、本人がその場から逃げ出す事が難しいと思い込んでしまうような衆人環視の場所でもあります。

広場恐怖が進行すると、恐怖や危険を感じる公共の場所が増えてきて、外出する事そのものに強い恐怖感を感じるようになり『外出恐怖』に発展してしまう事もあります。

広場恐怖には、パニック発作を伴うものと伴わないものがありますが、その多くがパニック発作を経験した事が契機となって発症してしまいます。

混雑した駅や混み合った電車・バス・地下鉄といった公共交通機関などで激しい動悸やめまい、呼吸困難、大量の発汗、手足の震えを特徴とするパニック発作を一回経験すると、『また、同じ場所に行くと、パニック発作が起きてしまうのではないか?』という予期不安が頭を離れず、その場所を回避する行動を取るようになっていき、広場恐怖になってしまいます。

広場恐怖を乗り越えて、特定の場所に対する恐怖感を克服していく為には、少しずつ段階的に『恐怖を感じる場面や状況』に接近していき、『外出しても発作が起きなかった、電車やバスに乗ってもパニックにならなかった、混雑したデパートの中でも買い物が出来た』という成功体験を積み重ねていって、自分の環境適応能力を高め、自信をつけていく事が大切です。

このように恐怖症には、自分が恐怖や苦痛を感じる対象や場面に段階的に直面して立ち向かっていく『系統的脱感作法と呼ばれる行動療法』が有効とされています。

焦らず、急ぎすぎないようにして、自分が耐える事の出来る段階まで頑張ってみて、その次の段階はまた今度挑戦してみるといった形で段階的に着実に恐怖を感じる場面に慣れていく様にしていきましょう。

社会恐怖とは社会不安障害(Social Anxiety Disorder:SAD)とも言われ、対人恐怖症を中核とするもので、他者からの視線や評価を過剰に意識してしまい、対人関係のある社会的場面で過剰な恐怖や羞恥を感じるものです。その過剰な羞恥心や恐怖心によって、人前で話をする事や行動する事、会議や会食に参加する事など社会的対人関係を持つ事が困難となり、日常生活や職業活動に支障を来すようになってしまいます。

社会恐怖は、10代半ば~20代前半の比較的若い世代で発症しやすい病気で、異性関係や友人関係に非常に敏感で感受性の強い思春期に入って『他人から自分はどのように見られているか?他人から自分はどれくらいの評価をなされているか?』という自己意識の過敏性が種々の対人恐怖症の原因として作用していると考えられます。

自己意識には、大きく分けて、自分の価値観や考え、意見、感情、感性、知識教養など内面的な心理・知性に対して抱く『内的自己意識』と自分の容姿や外貌、表情、服装、視線、外見の美醜・洗練など外面的な姿かたちに対して抱く『外的自己意識』の二つがあります。

内的自己意識が強く過剰になり過ぎると、『こんな発言をしたら、バカにされるのではないか?』『自分の意見をみんなはまともに聞いてくれないのではないか?』『自分みたいなものが、あの子を好きだなんて事がばれたら、軽蔑されるのではないか?』『こんな価値観を持っていたのでは、社会に認められないのではないか?』というような自分の持っている価値観や意見、感情に対する不信や不安が高まってしまい、人前で自分の意見や気持ちを明らかにする事に恐怖感や羞恥心を感じるようになってしまいます。その結果、複数の人の前で発言することを極端に避けたり、結婚式や儀礼祭典の席のスピーチが出来なくなったり、気持ちを伝えられず、恋愛の機会を逸してしまったりといった困った事態が出てきます。

一方、外的自己意識が肥大して過度になり過ぎると、『相手と話をしている時に、奇妙な表情や顔つきになっているのではないか?』『人前で話をする時に、真っ赤に赤面してしまったり、声が震えてしまったりして恥ずかしい思いをするのではないか?』『自分の視線がきつすぎて、相手に威圧感や不快感を与えてしまうのではないか?』『人前で文字を書くときに手が震えるのではないか?人前で食事をする時に、自然な会話や食べ方が出来ないのではないか?』というような自分の容姿・表情や、声の調子、身体の運動に対する不信や不安が高まってしまい、あまり親密でない人と会話をする事や人前で文字を書いたり、会食をする事に強い恐怖感や羞恥心を感じるようになってしまいます。その結果、新たな知り合いを増やす為に対話をする事が困難になったり、人と話をする事そのものが苦痛で負担となり、社会的な対人関係場面に対応できなくなるといった障害が出てきます。

社会恐怖の症状として恐怖や不安を感じている時には、『手足が震える、呼吸が苦しくなる、心臓がドキドキして大量の冷や汗が出る、顔が赤くなる、声が震える、トイレが近くなる』といった自律神経機能の調節がうまく出来なくなる事によって起こる様々な症状が出てきます。

社会恐怖の人たちに共通するのは、上述した『自己意識の過剰』と、『強い劣等感』『自分への自信の欠如』『他者の評価・注目・視線への敏感さ』『人前で恥をかくのではないか、変な人と思われるのではないか、失敗をするのではないかという過度の緊張感と不安感』です。

また、恐れている社会的状況にさらされるとほぼ必ず不安症状を呈するという特徴もあります。その不安や恥ずかしさの経験を積み重ねる事によって、パニック発作と同じような『また、あの状況になったら緊張して手足が震えたり、言葉に詰まってしまうのではないか』という予期不安に襲われ、予期不安を感じる社会的状況を回避する行動をとるようになってしまいます。

社会不安障害は、『強烈な不安や羞恥を感じる頻度』によって、殆ど全ての対人関係を伴う社会的場面において強い不安を感じる『全般型』(発症年齢が低く、先天的な原因が想定されます)、2,3の社会的場面において強い不安を感じる『非全般型』、1つの限定された社会的場面において強い不安を感じる『限局型』に分類されます。

対人恐怖症を中心的な苦悩や問題とする社会不安障害は、他人との調和や協調を常に重んじる集団主義の土壌がある日本では比較的発症しやすいもので、数十年前には日本にめだって多い文化結合型症候群と言われた時期もありましたが、現在では個人主義的な価値観がベースであった欧米の人たちにも増えてきていると言われます。自分自身のしっかりとした意見や考えを持ち、それを他人に主張していく事は、それと反対する考えの持ち主の気分を害して反論や攻撃を招く可能性がありますから、集団主義の社会通念の中で生きてきた人は、極力、自己主張を避けて、周囲の大多数の意見に合わせようとします。その為に、絶えず他の人たちの意見や顔色、賛否を気にしていなければなりません。それが行き過ぎて、他人や所属集団の評価だけを基準に発言し、行動してしまうようになると、対人恐怖症的な過度の他者への配慮や心配が産まれてくる素地を作ることになります。

対人恐怖症になりやすい性格傾向としては、内向的で自分の考えや意見を周囲と比較して価値判断しやすい性格や潜在的には自己顕示欲求や優越欲求が強いのに、それを表に出して自己主張できないやや臆病な性格の人が対人恐怖になりやすいようです。そういった性格の人が、何かのミスを他人に人前で指摘されて劣等感を感じたり、人前で言い間違えをして笑われたり、職場のプレゼンテーションなどで失敗してしまって恥をかいたりした『その状況にいる事が苦痛で、他者から恥辱を受けたと自分が思い込んでしまっている主観的な経験』を契機にして対人恐怖症になる場合がよくあります。

また、どんな話題でも気軽に話し合う雰囲気のある家庭、日常のおしゃべりが活発な家庭では、円滑なコミュニケーションを保つ為の社会的対話スキルを自然な日常生活の中から学習することが出来るおかげで、対人恐怖症になりにくいと言われています。

一般的に対人恐怖の対象となる人は、それほど親しい訳でもないが、全くの他人でもないという『ちょっとした知り合い・少しの面識がある知り合い』が多いようです。

これは、ごく親しい家族や友人ならばお互いの意見や気持ち、趣味が分かっているから、気を遣わずに話す事ができ、全くの初対面の相手であれば、挨拶をして自己紹介をしたり、社交辞礼を交し合ったりといった形で決まった形式通りの会話をしていれば済むからです。しかし、ちょっとした面識がある相手の場合には、お互いの興味を引くような話題を探したり、相手の心理状態を推察したりして話を進めなければならないので不安や気後れ、気まずさを感じて、大きな心理的ストレスになってしまうのです。

社会不安障害(社会恐怖)の中心的な症状である対人恐怖症には、以下のように実に様々な種類があります。


社会不安障害の治療には、薬物療法以外に、不安や恐怖を感じる社会的な場面を段階的にイメージを用いて克服していく『イメージ療法による系統的脱感作』や不安や恐怖を感じる社会的な場面に実際に参加してみて、少しずつ段階的に対人関係に慣れていく『エクスポージャー(曝露)法による系統的脱感作』などの認知行動療法的な方法が有効です。

それらの実践的な療法を行いながら、社会的な状況や対人関係で感じる不安感や恐怖感を自分自身でコントロールできるという自信を強めていく事が重要で、その為に、実際の会話場面を想定したロールプレイングを行って、会話をする時の話題の選び方、会話の進め方、視線の運び方、間の取り方などを学習していく『ソーシャル・スキル・トレーニング(社会技術訓練)』も非常に効果的な方法となります。

その他にも不安や恐怖が原因で起こる不安症状を緩和する『リラクセーション法・自律訓練法』や自分の表情や声の調子などに対する否定的・消極的な考え方が客観的に正しいものかどうかを再検討する『認知修正法』なども社会恐怖を克服する為には有用なものと言えるでしょう。

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